石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

田舎の寂れた薬局さん

【日記】

 あけおめ。お鍋と日本酒の組み合わせしか手っ取り早く他人の力を比較的(目に見える範囲で)要せずかなり確実に己を幸せにできる手段がないかもしれないね。以下本編。

 

 都合により推し精神科おじさんへの通院が物理的距離により面倒になっている。車に乗りたいが、最近意識レベルが常に若干数%ほどおかしいので、20-30分を超える長さで乗りたくない。ちょっと厄介である。

「……」

「えっとね。お眠剤は継続して出してください」

 診察室入った後でおじさんから聞かれることはない。多分私に全体的に緊急性がないのと、私さんがお喋りなので普通にその辺放任的なのだと思う。だから診察室入って一番最初の会話は、これ↑から始まりがちだ。

「卒論を此間提出したんですけど」

「……あ。そっか。卒業だっけ?」

 ボケ始めの祖母を思い起こす。この台詞。

「オホホwww そっか卒業?」

「あい」

「ンフフホホホwwwwwwフッフwww おめでとう。

ありがとうございます。

 おじさんは私が正当に大学一年生だった時から世話になっているため、まあ本当にお世話になったものである。あとこのオメデトウを言ってくださった時はこっちを見てくれていたし。

「で次どうするんだっけ」

「同じ研究室に進学ですね」

「そっかそっか」

 おじさんさぁその話何回カルテに書くん???

 

 精神科医おじさんとの診察日常小話はいいのよ。

 

 それらが終わってから会計待ちで待合に行ったら、大学の知り合いに会っちゃった。個人的には割とガチで最悪である。毎日会うような方ではないが、それはそれとして然程親密ではなくしかしある程度顔合わせたら好意的ご挨拶と時間が許せば世間話も楽しむくらいの!!

 「この後時間あります……?」とか言われちゃったりもしたが、ある訳がないのでさっさと離れたく「体調芳しくないのでぇ(事実)」とお断り申し上げて、さっさと病院を離れた。問題だったのは、その知り合いさんが私が普段使う処方箋薬局に向かっていくのを見てしまったため、エンカウント回避のため他の薬局を探さざるを得なくなったことである。

 

 病院漁りをその市内でしたことがない上、ウロウロ寄り道せずに帰りたかったため行ったことのある+確実に処方箋受付をしている薬局しか行きたくなかった。そうして若干の思案の末に向かってみたのが、かつて親知らずを引っこ抜いた時に使った薬局であった。歯医者怖すぎて書いた怪文→ 歯医者怖え - 石は沈みて木の葉浮く

 その時一回こっきりしか利用したことがなかったが、滅茶苦茶小さい薬局だった。私以外のお客が入っているのを見たことがなく、埃があってもおかしくないとすら思えるほどあらゆる棚が古めかしく、市販薬品や日用品が割高な値段で置いてあり、大きく飾り気のない窓から夕日が差し込むと郷愁的な雰囲気を醸し出す。初めて入った時は「この歯医者の最寄り薬局はここしかないから」と入ったが、外観からしてかなり年季が入っていたことには違いなかった。

 精神科の処方箋を持った私がガタつく自動ドアをくぐると、歯医者の際に訪れた時と同じよう、ヨボ……という擬音すら似合ってしまうくらいのお爺さんが、レジに一人静かに座っていた。

「いらっしゃい」

 にこやかに口角を上げてヨタヨタと立ち上がったお爺さんに「これお願いします」と処方箋の紙を一枚渡すと、お爺さんは何も言わずにそれを持ってまじまじと確認し出した。私は保険証とお薬手帳を出そうとしていたのだが、差し出すそれに目もくれず笑ったまま処方箋をまじまじと読むと、

こりゃあ、おもしろいもんが来たぞ。

 とだけしわがれた声で言って、お爺さんは処方箋を凝視したまま奥に引っ込んでいってしまった。見えない仕切りの奥からパチンパチンと薬のアルミ包装を分ける音がする。いやお薬手帳読んでくれ献血時にも唸られたりしがちな種類を長年服用しているので、素人目線でも飲み合わせを気をつけた方がいい類やぞ、多分。普段使っている薬局は半ばこちらの顔を覚えられていることも多かったりなどがあるので、ここ何年もほぼ詳しい確認もなしに出してくれるものだが。今日初めて来た薬局やぞ。私のあのかかりつけ医おじさんの元からこのやや離れた寂れ薬局に来ることはほとんどないと見受けられるが。

「石澄さんちょっと」

 流石にそう思いつつ立っていると、そう確認に出てこられた。

 ヨボ…なお婆さんが。

 ご老体夫婦経営かよ微笑ましいな。私が物心ついた頃の祖母(先述の今やおボケ遊ばせている)も貴女くらいの雰囲気でしたし、アルバイトだかパートでしたわよ。薬剤師現役は正直尊敬するのだわ。でもお腰が曲がっておられるのだわ。奥で待機のご婦人とレジ対応の旦那様で、処方箋が来た時はお二人で奥でごゆっくり対応されてるのか。こちとら 全然大丈夫なんだけど本当に経営が心配になるわよ

「このお薬の種類、云々だけどねえ、いいの?」

「それねえ、〇〇っつってお出しいただいてるものでえ(デカめ・ゆっくりめ・滑舌良いめ)」

「あらそおなのお」

「そおなのお。ここにお薬手帳ございますけどお」

 おずおず差し出すと、受け取ったお婆さんはまた無言で奥に引っ込んでいった。仕切りの向こうからパチンパチンと聞こえるアルミ包装の音、再開。何なの。

 商品棚に並べられている日用品を眺めながら待っていると、「お待たせえ」とお爺さんが出てこられた。私しかお客居やへん状況下で、死ぬほど混雑する普段の薬局と同じくらい待ったが。店の雰囲気が非常に好みだったため待たされた感じはしなかった。

「お会計ね。****円ね」

「……。あの。まだ保険証を提示してへんのですけど」

「いいの、いいの! 分かるから!」

 どういうことなの分かるて何。普段の薬局なら基本最初に当たり前のように初っ端で提示を求められるんですけど。自分は医療従事者ではないので、その辺りの制度が分からなかった。

「じゃ。此れ。ネ」

 普段の薬局ならnヶ月同じ薬を出され続けていても『最近どうです?眠れないです?』て薬のリストを見てそのようにどの薬剤師さんも会計前に聞いてこられる。それもそれでとても丁寧で温かな接客をいただいているなと感じられて嬉しいものだが。

 いやこのご老体夫妻の薬局また来たいな〜〜〜〜〜〜〜と思ってしまった。だが「おおきに〜」とだけ言ってこの日は普通に帰った。以前親知らずを引っこ抜いた時にかろな〜るを処方された奴と、同一個体とは思ってらっしゃらないだろう。

 ご老体が細々と経営するお店など(悪口だが)田舎にはゴマンとある。あるし、限界集落クソど田舎で幼少を過ごしそこで生活を営む大人達に多大に世話になり可愛がられながら育ってきた私という個人的にはそういう方々と交流がしてみたいし、品質がいいならお金を払って利用することで短期的でも支援めいたものをしたい。だが私ときたら“入ったことのあるファミレス”にしか基本食事に入ることができないほどの臆病者なため、そういうムーブはできない。今回のように、偶発的な成功体験に縋るしかないのである。

 次回におじさんの元へ通院するのは一ヶ月以上先だが、その時車を持っているか分からないが、持っていなかったとして時間に余裕があるか分からないが。可能であれば。またそのご夫婦の薬局へ訪れたいなと切に思う。

 好きなものには好きですと主張したいよね。お前もそう思うだろ。

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 タイピングすること

 

【AI提案の記事タイトルへのダメ出しコーナー(新規)】

『好きなもの;タイピングすること』:文末から安易な推測をすな。それが本題ではない。

『診察室から始まる日記』:ラブコメでも始まりそうな上にこれじゃ閉鎖病棟が舞台になってまうやろ。

『成功体験と不安』:少なくとも今回はそんな重いコンテンツではない。

『精神科』:私の書いた記事の5割以上該当するがな。

『おじさんへの通院』:おじさんへ通院はしてねえから。

『好きなものはタイピングすること!石澄香の日記』:だからそれが本題じゃねえから。

『お鍋と日本酒で幸せに!精神科おじさんとの交流』:精神科医と鍋囲んだみたいな絵面になっちゃうからおやめ。

『臆病者の成功体験。次回の通院に期待』:通院確定じゃねえか最悪の次回予告は避けなさい。

美味しいと明言できる土産菓子

【日記コーナー】

 本日はホルモンバランス崩壊にはっ倒された勢いのまま起き上がることができず、密林でポチった電気毛布を洗濯するしかできなかった。逆に言えば、明日からの生活の生産性向上及び電気代ケチりのための手段の準備に日を費やしたことになる。以下本編。

 

 隣の席の先輩が、PCを睨みながら焼き菓子を食べていた。何処で手に入れた焼き菓子だろうと横目で見ながら自分もPCを睨んでいると、研究室の外から助教の部屋のドアが開けられた音がした。

 もちもちと足音が真っ直ぐ近づいてきて、かちゃと開けられた学生研究室ドアの隙間から、助教が顔だけ突っ込んでこられた。

「ちら。」

 と口で擬音を口にしながら、私とその先輩以外誰もいない研究室を一瞥して、

「お嬢さん。はとさぶれ好き?

 と私に聞いてこられた。先輩が食べていたモノの出所が分かった。

 

  ◆◆◆

 

突然ですが、石澄さんには来週末に鎌倉に行ってもらいます。

 殺人の依頼かよと思った。

 京都から引っ越した先の中学校。授業に参戦する前に、一旦学年主任の先生と母と交えて面談するために来校していた訳だが、いきなりスゴいことをその学年主任に言われたのだった。つまり、曰く、『なんと偶然なことであるが、貴様の転校日の直後に鎌倉遠足という校外学習イベントが控えており、貴様にも無論参加してもらう』ということだった。

 班分けの概念はあるかと問うと、あるという。

 では、自分は初対面のクラスメイトと班を組んで、歩いたことのない新天地を歩けというのかと問うと、そうだという。

 いやクラスメイト氏(顔まだ知らない)と担任氏(顔まだ知らない)可哀想すぎる〜〜〜と思った。こんな時期に転校してくるヤツがいる時点で担任氏の心労は予想できたが、私という異分子が問答無用で突っ込まれる、既にスケジュールなど段取りが済んだ班員たちのことを考えると申し訳なさすぎでヤバかった。

 めっちゃ陽キャだったらどうしよう。ハミにされるくらいならしょうがないにはなるが、あからさまに邪魔そうな目を向けられたら流石に困っちゃうが。

 

 まあ怯えに怯え倒していたが、両親にそんなそぶりは見せてられない状況なので、帰宅してから笑って話す。鎌倉遠足来週あるんやって、やってらんないですわ、絶笑、お土産とか買ってらんないけど許してクレメンス、みたいな感じ。

 すると、黙って真顔で別のことをしながら話を聞いていたらしい父が、にっこり笑って言ったのであった。

お父さん、はとさぶれ買ってきてほしいかな

 ぎょ、と目を剥いた私に、母も「ええ考えやわ! お父さんにはとさぶれ買うてきてあげたって!」と便乗し、遠足で私がはとさぶれを買ってくる流れがいつの間にか出来上がっていた。両親がはとさぶれの存在を望んでいた。

 知名度の高いお土産物がおおよそ全部美味しくはないだろうという強めの偏見が頭をもたげていたから驚いたこともあるが、それよりも思い出したことがあった。

 

 話が飛んで飛んで恐縮ながら、この段落はもっと幼少、もっと記憶が曖昧な頃の話だが。

 両親が言い争いしている時があった。“珍しく”言い争いをしているイメージだったが、私自身忘れているだけで実は珍しくもなかった可能性もある。その時の言い争いは『母:貴方ももっと子供のことを考えてあげてよ』『父:無言』のタイプであった。……父が無言だったので言い争いではないな。まあ言い争いとしておこう。私はその時家の中で絵を描くなりおもちゃで遊ぶなりで一人遊びしていたはずだが、確かそれが気まずくなって庭に出たのだ。庭や庭の横の川で一人遊びするのは、当時の日常だった。

 ススキを引っこ抜いたもの、もしくは園芸用のポールを振り回して遊んでいると(定かでないが、当時は長い棒を振り回すのが大好きだった)、不意に家の中から父が出てきた。

「香、お父さんとバドミントンしよう

 あっこれお母さんになんか言われた末の結論がこれかと幼少お花畑アホンダラのパーな私でも察した。というか確かその場で父とバドミントンしながら「お母さんに言われたから私と遊んでくれるん?」とド直球で聞いた。父はやんわり否定した。後ほど母にも聞いた。否定された。数年後もう一回母に聞いた。否定された。まあ普通否定するやろなと思ったので、聞くのをやめた。

 

 その時と同じ顔だった。

 「バドミントンしよう」と言ってきた父と、「はとさぶれ買ってきて」と言ってきた父。そっくりおんなじ顔をしていた。

 つまりそういうことだなと思った。それ以上を聞くのをやめた。はとさぶれを買う努力をしようと私は思った。

 

 最終的にまあ紆余曲折あって鎌倉遠足はおもろかったのだが、その話は別項目にしよう。はとさぶれは、買えた。紙製のちっちゃいバッグみたいな形の、八枚入りみたいな奴を買ってきた。家に帰ってきて父に渡して、開けてみると自分の予想よりもデッッッケえ鳩が出てきた。自分も一枚食べた。

 ……バターの香りがして、無駄な添加剤の味もせず、美味しい。

 はとさぶれって美味いんだ。

 はとさぶれを私からもらった父の顔はもう覚えていないが、自分が初めて食べて感動したはとさぶれの味に上書きされたのではないかと思っている。

 

  ◆◆◆

 

「いやあ。後輩のいる横で食うのも先輩としてダメかと思ったんだが」

 助教からめぐまれたはとさぶれをモヒモヒ齧る私の横で、先輩が笑っていた。

「来客からもらったはいいものの数限られてるから、渡せる学生の数も限られるって。とはいえ、澄ぴょんも貰えそうだよって共有するのは私からできたし、共有されてない後輩の横でさぶれを平然と食うのは先輩としてダメだった。あなや。愚か愚か。人類皆愚か」

 何も言っていないのに、勝手に先輩はそう言いながら頭を抱えた。十年ぶりくらいに食べたはとさぶれは、まあ変わらず美味しかった。

 弊研究室では、助教を中心として定期的に甘味ばら撒き循環が生じている。

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 日本酒!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

そういえば心当たりがない。

【日記】

 変な香りのするめちゃくちゃ安い洗顔剤を買ったら、顔がぴりぴりしだしたので使うのをやめた。しかし大容量(安物あるある)なものをまんま余らせるのも勿体無いと思う精神が発動したため、脚を剃る際に使うことにした。すると脚がぴりぴりしだした。以下本編。

 

「なぁに。石澄さんは今、世を儚んでいるの?」

 ニコ!としながら助教が仰った台詞である。これだから“““教養”””って大事だよなぁ……と第一に思った。一撃でこういう言い回しができるのは、『最高』の一言に過ぎる。しかも、ニコ!と笑うその表情は表情で、『死にたがってるバカがここにいますよ笑』でも『今時流行りの希死念慮ですか笑』でも『どうせ大したことないやろ笑』でも『やれやれ参った学生だな笑』でもなかったのは些か驚いた。かと言って何のニコ!だったろうかと思うと…………何やろ……

 ……“保護”……?

 まぁ、兎角今日は頑張った方だ。

 朝から病院行ってお医者に「休学届云々の話じゃねェね」「入院検討よ」「ンなことより貴女の命を救う方が先」とボロカス言われ、昼過ぎから学年担当教員の下に行って教授から「あんまり大事そうに見えないし損得からすると休学せん方が」「具体的に何が頑張れないの?」と無邪気に微笑まれ言葉に詰まり、エーンと内心半泣きで最後に助教を訪ねた。助教については目的として、研究周りのよくある打合せをしに行った限りであったが。しかし気がついたら世への明確な儚みを自白させられていた。何故。

助教、メンタリストでは?」

「……。違うんじゃナァイ?」

 『私はメンタリストではないので分かりませんが』を連呼しながら話をする助教にそう聞くも、戯けるように首を捻る助教を信用できない。話すつもりのなかったこちらからものの十分如きでこのクソデカ本音を引き摺り出した挙句、一と半時間の間に別の話題を挟みながらも私は色々諸々等々。順番に順繰りと全部白状していた。どうしてこうなっている?と思いながらたまに研究関連の話が挟まり「ア、ハイ……」と書類へ修正を入れる。たまに一年近く前ふと私が助教へ世間話として言及したような些細な話をあげられ、「なんで覚えているんですか……???」とビビる。

 前回、しっかりと研究もとい将来もとい現状の精神状態についてお話をした時に『気持ちや分岐などを紙に書き出してみてはどうか』と助教にアドバイスを受けていた。

「書き出してみました?」

「み、みたんですがね……」

 結果がなんというか、ああ(https://agatelastone.hatenablog.com/entry/2023/08/21/200917)である。

 紙は持っていなかったがそう言うと、間間に研究打合せを挟みながら助教は怒涛の勢いで私の思考にメスを入れてこられた。

 

「ご自身に対する“好きではない”と“嫌い”は少し違うと思うんですが、どちらですか?」

「研究室の学友と話すのはネガティブな影響となりますか?」

「おひとりなのは苦手ですか?」

「自己肯定感が高くないのですか?」

「完璧はお好きですか?」

「達成感は石澄さんにとってポジティブな影響を与えますか?」

「ご両親などへのネガティブな感情の凄く根本の正体が何であるか考えたことはありますか?」

「近辺に住む方の中に、石澄さんにとっての“拠り所”となる場所はありますか?」

「ならば抑うつ的になって何もできない時にはどう過ごしていますか?」

「頑張れない時に今の周囲へその旨は言えますか?」

 

 沢山聞かれ、その都度回答した。大体のこれら質問の内容は私もよく考えたことのある話なのですぐ答えられたが、その場で初めて言語化したものもあった。関係ない話はなく、野次馬めいたものもなく、全てがつまらない話で、それらを真剣にかつ時折笑いながら助教は聞いた。助教の変わったところは、私の言い分を聞きつつたまに「ハイ!」と勤勉な学生の如く挙手してから質問を挟んで来られるところだ。

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「今ウワー(下降)になっちゃったのはきっかけがありますか?」

「あんまり心当たりが……いや……昨日……何にもできなかったんです……洗濯しか……だから『存在価値無〜ッ』になってしまって」

「エ!洗濯ができたらエラいじゃないですか!」

「バ先のタスクも夏期休業入ってからやれてなくて……私が『やる』つったので私がやらねばならないんですが」

「やること忘れてないだけよくない?」

 助教Twitterのフォロワーみたいなこと言ってくれるもんなんだなと思った。

 因みに『洗濯だけ』はちょっと嘘。あと、助教のデフォルメが上下にぽよぽよするだけのgifとか作っていた。バカにしてんのかと思われるかもしれんがバカにはしていない。ただ手が滑って。

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「私の場合になりますが、大学の頃」

 此処で助教から割とクソデカ爆弾を落とされて思わず慄いてしまった。勿論研究者としての来歴しか存じ上げず、青二才如き預かり知らぬ所で沢山苦労されてきたのだろうとは思ってはいた。しかしいざ対話をしていると聞いてよかったのかすら疑問に思うほどのお話をサラッと知ってしまい、絶賛世を儚む最中の青二才としては『エ!なのにこんなにもお元気に生きておられる……』と思ってしまった。

「ご両親に対して感じておられる“負い目”ですとか、聞きたくなかった言葉への感情。それが苦しいのは石澄さんに自我があるためですよね」

 自我の話、前にも違う恩師に言われたな、と思い出す。どっかの記事に書いた気もする。

「でもそういうのは、ご両親を先に送ってからでないとやはり上手く整理がつかないものだと思います。先に見送ることにきっとなりますからね。でしょう? だって貴女の方がテロメアが長いんだから

 おもろくなるから急に理系ネタをぶっ込まないでほしい。

 

 ビックリしたのが(個人的に)こんなビックリな観点でいきなり質問を振られたことだ。

「休学するとして、休学すること自体が更に石澄さんへの“負い目”として蓄積している可能性は考えられますか?」

「ファッ!?」

 “負い目”でしかない。間違いない。だから『またしても休学する』と言い出すことへの抵抗感もある。院試受け直すのが嫌過ぎるのが大半だが。そういえばそう。“負い目”が多過ぎる人生であった。

「三年前に休学された時は?」

「なんか……十ヶ月くらい何もせず……云々……どうこう……」

「……。じゃ、その一年が存在したことは“負い目”になっていないんですね」

「……。あれ。」

「これからの休学とそれらの休学と他の“負い目”。ご自身の許せる基準はなんですか?」

あれェ!?

 完璧だった自己否定のロジックにまさかの穴が露見した。休学期はそりゃ、呼吸するだけでお終いになっていたものだが、今となっては『まぁ必要だった』になっている。今のこの、最悪なメンタル失調の状況ですら何故かそれは変わっていないのだ。そういえば、その辺の基準がどうにもおかしい。許せる心当たりがない。

 何故だろうか? 済んだことだから? いや、母親から言われた台詞というのは“済んだこと”ではないのか?

 母からの言葉は私にとって“済んだこと”ではないとか?

「まぁね。ご自身に対して優しくなれると、いいですね」

 ニコピ…と笑って助教は言う。指示でも放棄でもなく“祈り”。

「今日は病院にゆかれて○○先生とも会われて私と話して、三つもやってますね。今日のご自身のことは許してあげられますか?」

 

 この時期の助教は年度末並みにお忙しい。一般的な社会人の“休日” “出退勤時間” “残業”全てに縁遠いだろう。私と話してる最中も途中抜け出して、研究所長と直近の段取りを話し合っておられたし。だが助教は時間で妥協せず私と対話をしきって、全部話し倒してから初めて

「他には?」

 と一度だけ私に問いかけた。スゲェとしか言いようがない。

 実在の証明ができない神とは訳が違う、実在の(しかも目の前の)人物に“救い”を見出すのは間違っている、と私は考える。だから私は助教のペルソナそのものではなく、それらが吐く台詞のひとつひとつが救いだとするのなら多分許されると思う。

 

 だが他が自己を救うことはない。助教もまた、だいぶ昔にご自身でご自身を救って今、私の目の前に立っておられる訳であるし。

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 生チョコ

紙にないてまとめる

※お酒の勢いでなるべくポップに書くけどそれなりな話です

 

 

 

 hら沢進のアルバムジャケットにあるみたいな、黒い地の色に赤の差し色ってカラーパターンが大好きなのですが。普段の衣服にもそれを取り入れるべく、赤のベルトを持っているんですね。しかしお洒落な革ベルトなので研究調査には向かないんです(機能はするけどちょっと何というか変な目で見られそう)。なので黒のシンプルなバックル式ベルトを一本持ってまして、それを調査用のズボンに使っています。長さ調節が微妙なところまで自由な、非常に使いやすい一品なんですよ。

 

 ソイツをさぁ、ドアノブに引っ掛けて“使う”時の長さを測ってしまった時点で「コイツァ多分不味すぎるやつだな‼️」と思えた訳です。きっかけなんか現時点でありがたくも存在し無いが、“きっかけさえあれば”やっちまう道筋を自分で立てちまった。衝動的にやっちまったらこりゃ大変なことになるな!と予約もなしにかかりつけの医者おじさんの下に行った。

「予約は来週でしょォどしたの」

 未遂すらしていない、未遂の未遂なのでそれは訴え事項から省いたが、未遂した場合のことをソッと聞いたら「即入院なので即日来なさい」と言われてしまった。学会控えてるんだが。未遂かまして小児病棟の隅に突っ込まれたから行けませんてンなもん色んな人に何で言えぁいいのよ。

「大学院にはねぇ『コイツ適性ねぇな』って奴も来ちゃうもんなんだよ」

 そりゃそうだろうなと思う。目を泳がせながら「まだ不明瞭です」「勉強不足なのですが」を連呼し面接官側にいた担当教員たる助教に補足をさせてしまった私の院試面接だが、悠々と合格を貰ってしまっている。就活嫌過ぎるって理由で院進する奴もいるのだし、私の進学理由の20〜30%はそれだし。

 

 医者に暗に『お前院生の適性ねェ』って言われちまった! 三年前を思い出すな!

 『大学やめるしかないじゃんね』みたいなこと暗に言われて退学届出そうとしたもんな!

 

 でも院進学に適性ないのはマジでずっと思っていた。だって頭悪ィんだもんな自分。思考力が足んなかったり耳からの情報処理能力劣ってたり、挙句の果てによく喋る方のコミュ障だもんな。つか好きなことには興味あるくせ深いとこ迄の勉強行為とか苦手だし。全体的に頭悪いし。マジで『そらせやな』でしかないわ。アーア。院入ってから言い出すよかマシやろか。

 でも「もっとこの分野を知りたい」と思ったのも、事故起こすほどに悩み倒したのも事実。取り敢えず大好きな助教に早めの相談をしよう。そう思いメールをしたのが昨日の夕方。翌日午後にでも話をしようと返信があったのがその日の夜。もう寝てた。カー!

 

 本日の午後でも大丈夫ですと今朝方メールを送り、アレ返事がねェ大丈夫なのかこれ確認遅れたからブチギレとかそういうのはないのかと転げ回っていたところ、「いつでもいいよ」と助教自ら声かけくださったのが今日の昼過ぎ。

 

「まずは体調の方をお聞かせください」

 死にたいと言うとちょっとアレなので、実質的問題を引き起こしている部分について回答する。

「一週間くらい前からチョト悪化している。情緒不安定で研究室で一人になって静かになった時危うく泣きかけたし、さっき作業しようと思ったら字が読めなくなった」

 それはよくないと助教は穏やかに言って、卒論の進め方や院の進め方、院進学を遅らせることや目の前のタスクも場合によっては一旦休みにしてもいいことにすら言及した。院進学のテーマも可変にせぬかと打診があった。かの助教の中には研究アイデアが溢れかえっており、昨今よく私を野外調査にゆかせていたのもその辺の適性を見たかったのだと言った。次から次へと代替案を出し、時間をかけることも視野に入れながら、サポートを受けながらになるが、院進学を今ここですぐに諦めることはないと言った。

 加えて、自分という教員の仕事はそうであると宣われる。

「石澄さんに大学院生の適性がないとは私は思えない。だから此間の推薦院入試の推薦書も書いた」

「メンタル失調を理由に、諦めたら後悔する大学院生の世界を諦めてほしくはないな」

 思わず『本心だろうか』と疑ってしまった。この私に?院生の適性がないことがない? 人間関係に恵まれながら、大学と関係ないことを掘り返して病み、阻むものがないにも関わらず身体を動かしづらくなり、豚のように知性のない悲鳴を上げるばかりの私に?

 しかし助教はその場限りの嘘や詭弁を口にする人ではないと私は思っている。そんな“ココロヤサシイ”人間ではない。助教は、私が大好きなタイプのお人である。私の助教は過干渉も、人格否定も、無責任という名の放任も、しない。

 

 ああこんなにも私は他者に恵まれているのに。

 

 半年休学をするならそのためにすることも丁寧に教えてくださった。三年前と似た症状があるので、多分このままほっとくと私は数週間以内のある朝通常の一千倍を悠に超える希死念慮に急に襲われる。先述した通り、三年前と違い今の私には“道筋”があるためマジで不味い。何かをどうにかしなければならない。

 自分でも状況をよく考えるため、紙に書きながら色々な要素を含めて考えてみるといいと助教は言った。なお、“最悪”な場合すぐ助教が駆けつけられるよう、また研究室の友人らと気軽に会話ができるよう、今の家から研究室付近まで物理的に近くに引っ越してきてほしいらしい。

 そりゃそうだ。今の家は車で最大二時間だ。精神状態が悪ければ交通事故リスクも跳ね上がる。そりゃそうだ。ただ私としては研究室付近にサイゼリヤがないことが本当にツラい。マクドはいい。ドミノもいい。サイゼがないことがツラい。サイゼが私の引っ越し嫌々気分の一端を負っていると言っても過言ではない。

 

 ああこんなにも私は環境に恵まれているのに

 

 さて。

 一人でも取り敢えず考えを整理すべきと思い、アナログに紙に書き出してみようとした。

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 よくないな。しぬれば解決に全て集約しちゃうので第三者の意見を聞こう。休学時によくお世話になってたおじさんが「協力しよう!」と言ってくださってるそうなので、思考にご協力を要請しよう。

 それはそれとして自身の根本の希死念慮にもついでに向き合おう。紙に書き出してみると果たしてどんな感じになるのかな。

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 まぁ大体分かってたけどどうにかして私さんときたら他人のせいにしたいらしい。しかも人生史上最大の恩人に対してだ。こいつぁどうしようもない。

 

 どうしよってんだろうね!!!!!!

 今思考回路が狭くて狭くてどうしようもないですよ。『生きてて良かったー』て思った記憶もあるのでちんたら死んだりはしないが、ホントもうどうしてこうなっちゃったんだろうね。

 アーア! 今日は僕はもう寝ますよ。 明日七時に船が出るんでね。

 

 石澄香

 

【好きなもの】

 すき焼き

辛ぇを痛ぇの代替とする話

【日記】

 蝉がしっかりと鳴き出した。辟易。自宅玄関の目の前には木はないが、実家目の前には木がある。勿論蝉もとまる。私や姉は毎度絶叫しながら家に入らなければならなかった。以下本編。

 

 人間の味覚に“辛味”はない。人間が“辛い”と感じたとすれば、それは味覚ではなく“痛み”である。

 ずっと論ぜられてきた話だ。誰が好き好んで痛みを味わいたいのだと、故に私は辛いものが不得手である。同様の理由で炭酸飲料も苦手である(内臓の構造面でも飲めぬ理由はある)。あれらの痛みに対して、私は何の魅力も感じない。ほとんど行かないがカレー屋に行ったとしても、辛さ調節が可能なら一番辛くないものを希望するだろう。

 

 だが今日は某社の某辛いカップ麺を今さっき食べた話をしようと思う。

 

 何で⁉️になるかもしれないが、理由として『誰が好き好んで痛みを味わいたいのか』と述べた、この点にある。

 実はメンタルがイカれてしまった人間、特に完璧主義を拗らせた者は、痛みや苦痛を欲しがることがままあるのだ。のうのうと何もせず生きている現状に焦りを覚え、今すぐにでも牛刀で首を刺したくなることがある。しかしそれが慢性的に依存性を有するものや、数年後以降に甚大な悪影響を及ぼし得るものであってはならないな、という理性は持っている。一年前の自分は、そんな気持ち悪い衝動をどうにか誤魔化す術を見つけた。

 即ち辛いものを食べることである。

 動機がこんなクソ過ぎるため、商品名は出さないでおく。しかし我ながら画期的で、辛いのが苦手すぎるが、基本辛みによる痛みが嫌なだけで味は嫌いどころか好む傾向にあることは忘れてはならない。短期的かつ効果的な痛みのみを得られる上に、側から見ても実際問題でも全くもって健全そのものである。

 

 ということで食べていく。割としっかり見た目としても赤くて笑ってしまった。野菜の混じっていないところを取り敢えず一口食べる。

 あぁ、意外といけるもんだな。香りなど相まって辛いなりにやはり美味い。香りが好きなので最近はわさびをつけてお寿司を食べるなどもしており、辛味のよさも分かってはきていた。“辛さ”がほぼメインの料理は気が引けていたが……。しかし油っぽい太麺と共にジャンキーさが最高だ。ちょっと舌の根本とか扁桃腺やや手前辺りに痛みを感じるくらいdイタタタタタタタ急に痛みが来るなんだこのタイムラグ Chr○meのタブ開き過ぎた上にパワポでフォント埋込形式保存をしたMacB○okかと思うほどの時間差攻撃が来て、取り敢えず追加で口に入れるのを一時停止してしまった。

 嗚呼辛え。こんなんだっけ? そうだった。

 野菜が味覚の救済となっている。そんじょそこらの湯捨てる系カップ麺の中では随一の量を誇るふやけたお野菜が味覚の救済となっている。甘い、採れたての野菜くらい甘い。安過ぎるカップ焼きそばだとマジでキャベツ以外何一つかやくとして入っていないが、この麺は人参さんときくらげぽいのまで入っている。贅沢過ぎる。辛さに死にそうな人間を助けるために多めに入れているのか? もしや。

 

 イテェ……最初はベロの根元と直上が痛かったのに気付けば痛みの全てが舌の先端に集約されている。その昔子供の頃、子供向けの科学系書籍を読んでいた頃『甘い感覚は舌の先端、苦い感覚は舌の根元の方で感じるよ!苦い薬を飲む時は後ろの方に乗せてみようね!』みたいな話を読んだ気がするのだが(確か“○年生が読む云々”みたいなシリーズタイトルだったとは思うが)それを思い出したが、痛みについては載っていなかった!!! 同時に思い出すのは拷問知識を元に書かれた本で、『人間は末端なほどに毛細血管が集中していて痛みを感じやすいよ!重要情報を吐かせる時は指先を潰してみようね!』というような記述。

 つまりそういうことか? 辛味即ち痛みの場合には舌先の方がダメージがデカいと? 実に論理的な考察ではないか。ほぼ間違いないのだろうし、間違えていたとしても何ら不利益は負わない。

 

 でもよく考えたら自分、『痛みがほしい』から食べ始めたんだよな??? じゃあ一発痛い目に遭うために大きく口開け大きめの一口いっちm

 ア゙ア゙ア゙ッぐゥ駄目だなんかこう……何故か口ではなく脳のシナプスではなく鳩尾に近い内臓が激しい抵抗感を示してチッチェ〜く噛みちぎってしまった……お前……喋れたんか…………(鳩尾) 普段は胃とか肝臓とかが喋るけど……お前喋……鳩尾の下って胃以外ある??? じゃあお前は誰なんだよ。

 

 逐一文字を打つのに時間かけていると舌の激痛がマシになってきた。時間経過が痛みをマシにしてくれるということは、私の口内の細胞は何一つ不可逆的に破壊されてはおらず、ただその瞬間の感覚細胞の大荒れに対して健全に反応しているだけに違いない。

 

 ア゙いや駄目だやはりゔォア───呼吸の吐く息の温もりですら突き刺すほどの痛みがやってくる。もう麺自体冷めたのだし、熱さによる追加ダメージはほぼない。さっさと食ってしまえと、痛かろうが痛いのがほしかった貴様だろうと自分が言うがとてもじゃないが三口四口と辛いものを咀嚼することはできない。こんなヘタレのようでは余程外的要因で判断能力が奪われていない限り、自ら命を断つなんて到底できぬのだろうと悟る。

 鼻水としゃっくり出てきた。鼻水は分かるがしゃっくりは何?

 

 痛みが治ってから残りを全部啜って食べた。嗚呼辛かった。痛みを得るためにむしゃむしゃ食べてるとか商品開発の人に言ったら泣いちゃうよね。ごめんね……。美味しいのは違いなかったし辛さも辛かったからまた“そういう時”は買うと思う。美味し。

 じゃあな!

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 線香花火の断末魔

何よりであるらしい

【日記】

 びっくりするほど食欲がない(オクラと卵の冷やしうどんでギリである)のだが、深刻に「食わねば死ぬ」なので食うている。あまりに食欲がないが、例えば夏バテに効くらしい梅干しなどは買ったことがない故にハズレが怖い上にお高い気がして買いづらい。タカラズカやジヴリはお金出して観に行くくせにね。以下本編。

 

 非常に語弊のある言い方をすると、部屋の中央に座らされて怖い人たち大勢から詰められていた。やれ、具体性がなくて貴様はどうしたもんかだの、やれ、貴様の計画が結果として何を生むのか分からぬだの、やれ、云々と。それらは全て理不尽ではなく真っ当に私に寄せられる批判でしかなく、しかし萎縮しきって頭の回らぬ私は「ヒィン……;」と言いながら目を泳がせるばかりだった。お目目が自由形であった。私を囲う人たちの、絶対にこちらと視線を合わせてこようとしている大量の目が、泳いでブレる私の視界の中にチラチラ見え続けていたのが怖すぎた。

「他に(石澄に対して)質問はありませんか」

 と、詰められタイムが終わりに近づいた頃に司会役のエラい人が言うと、後ろの方で特に何も言わず静かにしていた人が、手も上げずにソッ……と何か言いたげに身体を斜めに傾けた。それで、ピリッピリになっているその空間の中あまりにいつもの変わらない調子の声で、

「研究、楽しい?」

 と、私にタメで質問してきた。

 

  ◆◆◆

 

研究なんてもうやってらんないんですよォ!!!!!

 と言うしかなかった。氷点下の中人間と喋らず孤独に淡々と発狂必至の作業をし続けありもしないことに気を揉みとうの昔に過ぎ去ったフラバに炙られしかし絶え間なくその身の上にタスクが蓄積されていき、ある日埃と髪の毛ばっかのフローリングの上で痙攣しながらぶっ倒れた私はそう言うしかなかった。で誰にそれを訴えていたかというと、何というか、当時の『学年ごとに割り振られたお困り解決担当の教員』の御人に対してであった。

「お、おぉ……」

「私にはダメでした、ちょっと本当にそれどころじゃないので大学通えないっす」

 別にいきなり彼の研究室に突撃してこんな妄言を垂れていたのではなく、聞きたいことがあるのでお訪ねしてよろしいですかと事前にメールでアポを取ってからの妄言だったことは留意していただきたい。何を聞きたかったかって?

「なので退学届って何処で受け取れます???

 退学届を何処で受け取れるか知りたかったのだった

「うん。取り敢えずお茶を淹れてあげよう。

 取り敢えずお茶を淹れられてしまった

 そのような面談をしている現場は面談室などではなく、いつ彼の教え子などの他大学生が入ってくるか分からない彼の研究室だった。大体うちの学部の教授陣の“研究室”は“私室”状態で、色んなものが積み上げられキッタネーことが多いが、その教授の部屋はかなりマシな方だった。それでも多い雑多な物の中に、ほうじ茶を淹れるセットが紛れ込んでいたことをその時初めて知った。ついでにそういうものが正式な客人ではないイカれた大学生相手にも振る舞われるなんてことがあるのも初めて知った。多分珍しいと思うので、たまにひっそり自慢しようと思う。

「で、まあ……」

 それはそれは困った様子だったようには思う。色々とその時の、剥き出しの真皮の如くヤワすぎるメンタルにチクチクと痛むことも言われてしまったように思う。故に途中からその教授の話を真面目に聞くのを、私はやめていた。俺の昔の教え子にはこういうヤツもいた、よっぽど酷い状況でも厚顔なことに適当かまして卒業していった、そんなヤツも大勢いた、そういう話を何点か教えてくださったが、聞いていなかった。

 他人の話ではない。自分の話でしかない。自身の生命活動すら許し難い状況で、他人の云々を聞いたところで耳に入りはしないのだ。

 まあ、その時は『ナニ届を出すにしても〇〇さんと〇〇さんと〇〇さんの三人のサインが必要なのだよ』と情報を聞き出せただけでも収穫と思い、お茶だけは完飲して立ち去った。ように思う。もうちょっと恥を晒したかもしれないが、まこと残念ながら覚えていない。

 

  ◆◆◆

 

 最近はまたしても精神状態が悪化してしまったので、それはそれは酷い頭痛(

唯ぼんやりとした頭痛 - 石は沈みて木の葉浮く)によりメチョ……としている。瞬きすると時計の長針が半周し、気づけばアルバイトの定刻のため全速で走って出勤するということを暫く繰り返してしまっていたため、今日は五分以上余裕めに家を出た。その際、近道になるからの大学構内を通りすがると、見知った教授とすれ違った。

 よっぽど嫌いな相手でない限り、相手に覚えられていようがいなかろうが会釈と挨拶を心がけるようにしている。教授にペコと頭を下げると、彼は何か言いたげに右手を持ち上げ口を動かした。あ、何か仰ってら、と思い、耳に突っ込んでいたイヤンホホを外す。

「君が院に進学するって聞いた時、俺はびっくりしたよ」

 開口一番それすかと言いかけて、やめて、はあ、と苦笑いした。まぁそうでしょうな、と思った。一体何の風の吹き回しかと、私が逆の立場でも思う。

「でも俺が院試の時に『研究楽しい?』て聞いたら、君『楽しいです』て言ったから。じゃあいいのかな、て思った」

 いいのかよ、と思った。

 まあやはりその意図であの時あの部屋で聞いてこられたのだなと合点がいった。私が回答した時この教授は「何よりです」と頷いて、それを聞くと今までピリッピリのガンギまった真顔で私を見ていた他教授陣も、ちょっと人間らしい顔になっていたものだから。

 

 院進学をやめたいとは思っていない。ただちょっと精神の調子が悪くて、院進学ごと人生の大体全部をやめたいだけ。適当な口調で書いているが、流石にこの頭痛にはここ一週間ほど困っている。

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 冷やした生きゅうり

多忙極まりない中

【日記】

 忙しすぎ!!!!!

 忙しすぎんか? スゴいわホンマ。以下本編。

 

 というか忙しすぎるわって話をするだけの記事の予定である。

 忙しいのであと十数分でこの記事の続き全部書くし、多分推敲も殆どしない。何故なら忙しいからだ。記事を書いた後の十数分後に何かやることがあるのかと問われれば、それ即ち迅速な入眠である。

 寝るだけですか? そうです。早急に寝ないと明日朝早く起きて早くにタスクに従事することができないためです。

 何がそんなに忙しいと問われれば、それは問われた瞬間により内容が違うとしか言いようがないが、今この瞬間においては雑用セミナーの準備ウッカリ首を突っ込んでしまった故に負わされた責任学会準備卒論の計画修論の計画それらの隙間に散髪の予定を食い込ませることだ。一番最初に挙げた“雑用”は明後日には終了するが、修論計画については先が見えなさすぎて参るばかりであるし、何をどうあれ私は兎角髪を切りに行きたいので困っている。ショートヘアの人など一部の人間にのみ通じるかもしれないし、通じないかもしれないが、「ア!髪切りに行きたい」という欲求は、ある日襟足が気になった瞬間から指数関数的に発生し猛烈に肥大化するものだ。私の場合は元来の毛量がもう、高校時代の恩師に譲りたいくらいたくさんであるもので。散髪しに行きたいなと感じた時にはもう頭の重さはオシマイになっているのだ。

 

 髪の話をしたい訳ではない。多忙の話をしたい。

 私はかなり物臭で、実質消極的で、飽き性で、一つの物事へ熱中するということも少なく、注意力散漫である性格であり、しかし責任感などは持ち合わせ、認めた人間から「やりたまえ」と指示されたことには(少なくとも心から)従順に準ずるという気質である。つまり何かというと

 『やらねばならぬ』が存在しない時はほぼ何もできない

 人間である。そういう自覚がある。

 現在抱えた多忙の全ては「やりたまえ」と言われたことに収束する。そしてそれらは私自身にフィードバックしてくるものがあり、故に私はそれらタスクの消化に追われている。どれから先にやればいいんだっけ、を考えねばならないものが二つ三つほどあるが、最も直近に必要とされるものが本当に緊急性を要している上に明後日には消失してくれる筈なのでその辺の優先順位の判断もちょっと後回しにしている。

 エ!?なんでそんな状況下でこんなクソ記事書いてるんですかって!?そういう時ほど何か書きたくなるからだよ!!! ヴァーカ!!!!!

 

 二、三年前の自分を考えればあり得ない話である。

 少なくともメンタルブレイクを経た直後であった約一年前では、三つ四つほどの講義の課題の優先順位を考えるだけで頭がパンクしていたと記憶している。それら複数のタスクから逃れたいがためにすぐ短絡的に「死んどいた方がよいのでは?」とばかり考えた。今現在も割とすぐ「そろそろ死んどいた方がいいかもしれぬ」と脳裏に浮かぶが、一年前ほどではない。死ぬるのであれば、もうちょっとだけ後。もうちょっとだけ人間的に成長して満足いってからの方がいいと思う。

 

 多忙極まると深刻にネガティブなことにばかり目がゆくが、それは恐らくは逃避のためだろうと、理性的な面の人格では思っている。私は壊れた経験からネガティブな方面へ突き進むと極端な逃避手段へ目が行く。逆に言えば、深刻にネガティブなことに目が行くと逃避手段がすぐ目の前に見える。

 例えば至極正論なことで叱責を食らった先日の私は、食らった点と関連しつつも若干ズレた自身の(とても分かりやすい)別の欠点に目を移し、それを悲観し、ヨシ逃げるかと思おうとしたものだが。逃避手段の模索が先立って重要な根本から目を逸らした結果ではないかというふうに自己を評価している。

 至近に存在する『そんなことないよ』系の一言が欲しいがために、“真の欠点”からほんの若干ズレた自身の欠点を声高に主張する。そしてズレさせた“真の欠点”から、自身すらも目を逸らしてみせて、精神の安寧を図る。私とはそういう人間なのだ。自身の欠点にばかり目が移るように見せかけて、本当に欠けた部分からは徹底的に目を逸らしているのだろう。だから私の目には何も見えていない。

 

 きっと他人には見えている。

 周囲の人間は私への優しさで黙っているか、気づいていないか、気づきつつ目を瞑ってしまっているかのいずれかだ。

 人間の人格への見方について四つある窓、全てを知覚する人間はこの世には存在し得ないのだから。

 

 アア〜〜〜流石に寝ないとまずい。

 文字を書く趣味をしようにも、「お主はアカデミックライティングがなっていない」と言われたことが尾を引いているので恥ずかしくて何も書けず、絵を描く趣味をしようにもまたしても何も知らない姉に「コイツの描く絵はアホらしい」みたいな感じに言われたように感じたことが尾を引いているので恥ずかしくて何も描けず、じゃあ一次創作を練り練りするかと問われれば適職診断で「貴様は創作力がない」と言われたのが延々と尾を引き続けているので何もできなかった。

 研究室への道すがらの車の中で一人何か好きな歌を熱唱するしかなかった。

 

 もうちょっと書きたいことあった気がするけど時間がない。俺は忙しいんだ。じゃあな。

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 母親のだし巻き