石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

家族が屑だったならどんなにか

 遊園地ではしゃいで疲れきった帰り道。

 高速道路のトンネルの断続的なナトリウム電灯の光と、前座席の両親の会話を微妙に認識しながら、何も気にすることなく広い後部座席で姉と一緒に眠ったあの夜。

 

 三桁坪はあろうかというほどに広い庭を毎日のように駆け回り、姉と共に馬のおもちゃや小さいプールに沈めたラジコンで仲良く遊んでいたあの昼の陽。

 

 ドアマンが我が家の外車のドアを開け、荷物を運んでくれるようなリッチな旅館へと毎年度末家族旅行に行っていた時期。

 

 「今日は柴犬、見に行くで!」と朝っぱら子供部屋の扉を開けて宣言してきた母親と、とっくに起きていた父と飛び起きた我々姉妹とでブリーダーへ子柴犬を迎えに行ったあの秋の日。

 

 帰ったら誰かが「おかえり」と言ってくれ、自分もまたそれに「ただいま」と返す。今日のご飯は何?と母に聞いて、嫌いなものだったら食卓に並べる時にこっそり父のに入れる。

「今日のザ・マンザイおもろかったな」

「『トリートメント』を変なふうに言うてた人ら、何て言ってたっけ」

「トトーリトーメンやろ」

「そうそう」

 四人、家族全員揃った食卓で、何でもないアホみたいな話をし合って笑う。飼っている柴犬も、人間の言葉など分からないクセして団欒に参加している風な顔で横に座っている、あの日常。

 

 嗚呼。私は思う。切実に思う。

 これら私の愛する家族たちが、真正の屑どもだったなら───どれだけ良かっただろうかと。

 

 

  ◆◆◆

 

 

 激しく来訪した低気圧に大敗し、朝六時前時点で一時的に目が覚めたにも関わらず五万回ほど意識を飛ばしてしまい、五十回くらい奇怪な夢を見たのち、ようやっと意識が覚醒したちょうどその時。

 昼過ぎだった。ちょうど母からLINEがあった。「今うちの家に来てるバァバが、あんたの事『体調崩してへんか』と心配して聞かないのでビデオ通話今できるか」との事で。

 その母方のバァバは帰省するたび諭吉をくれる人だった。また最近だと成人式の後撮りの小綺麗にした写真を見せただけで大層喜んで、これまた「ええもん見してくれた」と諭吉をくれた。前々年にややメンタル失調に陥った際も「可愛い孫の問題が金で解決するもんなら」と諭吉を数人くれたくれ過ぎやろ たまにボケて諭吉をくれた後にもう一回諭吉を渡そうとしてくる時すらある(流石に人道的に反則なので受け取らない)。

 恐らくそれら諭吉達は、些細な遊びなり何なり秒で消えてしまっているだろう。兎角そのバァバは、金銭的にも他においても非常にお世話になっているバァバなのである。かなり老いてきておられるが、そのボケ方はかなり可愛いものであるし。

 で、そういう訳であるし祖母孝行はなるべく欠かすつもりはなかった(大学受験期間中、大好きだった大叔父の葬儀に行けなかった事など思い出していた)

 低下し続ける気圧に大敗していたがギリギリ起きられていたので、まともな受け答えが可能だろうと判断し祖母その他とビデオ通話をした。「アンタよう肥えたな」とまた祖母に言われた。恐らくカメラの性能と寝起きの浮腫みと光の加減などの影響だろう。少なくとも質量では全然肥えてはいないが、このバァバは久し振りに見る女性の大体全員に「アンタ肥えたか」と第一声を放つので、まぁつまりは『いつもの事』である。

 満足し安心した祖母から母へ電話を代わった際、実家のイッヌを見せろと懇願してカメラ越しに犬を見せてもらった。相変わらず可愛い

 生粋の犬に対して猫撫で声を投げかけまくっている最中、母が言った。

 

「帰っておいでよ、夏休み」

「……」

 

 未だ休学中の私には夏休みもクソもないのだが、要は夏期間に帰省したらどうかと母は提案してきた訳だ。正直、絶対言ってくるだろうなと思った。

「うーん、まあ考えておくわ」

 しきりと「帰ってきたら」と提案する母へ、私は繰り返し「考えておくわ」と返した。

 帰るつもりはない。なかった。

 普段ツイッターを開いてそこに存在する───私と言う人間そのものや過去背景を一切知らないアカウント達とばかり交流する『私』。ご時世と休学という状況から、他の人間と会うことすら殆どない私。そんな私は『実家に帰省する』という単語を考えた瞬間、えも言われぬ憂鬱感に襲われた。

 

 今年に入って、現時点で二回実家に帰っている。精神的な不調で休学をしたと打ち明けた時に「頼むから一週間だけ帰って来い」と両親に懇願された時。この時の話は既に三月頃に記事としている。それからそのあと成人式の後撮りとして、着物姿を撮影しに行った時(我ながらなかなか大和美人に撮れたのではないか)だ。

 前者の時、私は自分の抑え込んできた感情と思いを言葉に出し、結果的にめちゃくちゃ傷ついて大泣きしながら『どうして私は自分の感情などという塵芥にも等しいものをわざわざ家族へ明かしてしまったんだ』と多大に後悔した。それが非常にトラウマとなってしまったため、後者の時は二泊しか帰らず残りは友達のお家に泊まらせて頂いて酒盛りをした。この二泊の時は、不気味に思うほどに実家で何のトラブルも起きなかったというわけだ。「何も起こらんでよかったね」、と母も帰る直前に言った

 

 端的に言うと今、これらを書き始めた私は母から電話を貰った日の夕暮れ時からずっと泣いている。

 泣きながら「今日はもう閉店ガラガラしよう」と眠剤を飲んで、シャワーを浴びながら涙と鼻涙管を経由して鼻口になだれこんでくるその塩水に溺れそうになり、仕方なくふらふらしながら近所のスーパーに言って酒を四瓶くらい買ってきて一本ずつ開けながらこれを書いている。

 ツイッターで出会った人たちが聖人レベルに優しい人ばかりなのでとりあえずは一時泣き止んだが、何まで明かしたか確認するために獅子身中の奴の記事(獅子身中の - 石は沈みて木の葉浮く)を読み返してシンドミになってきてまた泣いて、これを書いている今は紅茶酒の二瓶目を開けたところ。サントリーの紅茶酒にちょっと牛乳を入れるととても美味い 

 なお、咽ぶ自分の声は聞きたくないので大音量で平沢進の新曲をイヤフォンから流している。泣くのは非常に苦手である。苦手である理由を敢えて他人のせいにすると、「泣いたって何にも解決せんのやで」と母に言われ続けて育ったことを思い出して、泣く自分が酷く情けなくなってきて更に心がしんどくなるからだ。

 

 私はあの時、成人式の後撮りで超短期間帰省をしたあの時。

 何にも諍いを起こさずただただ仲の良い様ばかりを見せつけてきた実家に対して『懐疑心』を抱いてしまった自分に対して凄まじい罪悪感を覚えている。

「遅れたが妹へ誕プレな。遅れた分と……なんか頼まれたものがショボい気がしたからもう一個プレゼントつけといたわ」

「明日、撮影に行くのか? じゃあ今日一回だけ私が使ってる高い方のシャンプーを今晩使っていいよ。全然髪質違てくるからな」

 これの前回の帰省の際、「アンタが(自分と母親の諍いに)勝手に挟まれに来てるだけ」「余計なことをしているのはそっち」といった旨を宣った姉(先述リンクの記事参照)が、こんな事を私に言ってきたのだ。母と姉が下らない話をしている様子も夕飯時などに多々見られたが、彼女らは前回と違って何の諍いも起こさなかった上、私が一人暮らしの家へ帰る時は姉は妹の見送りにすら来た。まるでよくできた心優しい姉のように

 

 私は、これが実家らが仕組んだ狂言だったのではないのかとすら疑っている。

 「末娘が帰省する、だからもう前のようにトラブルを起こして泣かすな。細心の注意を払え」と、父母姉の間で事前に言い合っていたのではないかと疑ってしまっている。

 そしてそれには、

 『私という存在の心をこれ以上実家から離れさせたくない』

 という画策が内包しているのではないのか、そう思っているのだ、今の私は。

 

 

 実家における自分の存在に対し、自意識過剰と貴方は思うだろうか? だが私という何も知らない子供の存在が、あの時の実家の修羅場的雰囲気を和らげる一因となっていたのは母の言動からも明らかなのである。

 先ほど、そう今朝の母からのビデオ通話でもそんなことがあった。

 何も知らない(筈の)祖母は勿論、楽しげに笑う母、ドヤ顔を映されていた姉、画面外から聞こえる父の笑い声。これら映り込んだ事象に関して、普通に考えて何にも不自然なことはない筈だろう。そうだろう、私も心の端でそう思う。

 だが末娘に対して『実家では喧嘩はもう起きていないし起こさないよ、だから帰っておいで。帰っておいで』と私に言っている不気味で猫撫で声で気持ちの悪い声が、私には聞こえたのだ。

 

「帰っておいで」

「アンタがいるのといないのとで私と長女との空気は違うのよ」

「アンタがいないと私がオタク的話題を振る相手がいなくなるんよ」

「君がいないと妻と長女との雰囲気の悪化の度合いは違ってくるから」

 

 私はそんな幻覚が聞こえてくるのだ。

 実家から出て二年半。未だに私の脳内にはそんな根拠のない幻聴が響いている。

 

 

 

 どうして私が『泣いて』いるのかについて、ちゃんとは書いていないことに気がついた。

 私が何かに対しておいおいと泣いて止まぬ事はこの人生数える程だったが、この半年間に関しては定期的に涙腺が決壊し塩水を顔面から垂れ流している。その感情の殆どは───『悔しさ』そして『自己嫌悪』である。

 ビデオ通話で母はこう言っていたのだ。

 

「せや、アンタにな、サンダル買うてん」

「こんなん。私の足にも合うからアンタにも絶対ぴったりやわ」

「これ取りに帰っておいでさ」

 

 慈母的な口調で母は優しく私にそう声をかけた。母から送られるビデオには、シックで可愛いサンダルが映っていた。今私がペディキュアで塗っている足の爪ときっと凄く似合うだろうと分かる、確かに可愛いサンダルだった。

 最終的に「まあ考えとくわ」と曖昧な返事を変えぬまま、私は母との通話は切った。

 

 私がこの夏に帰省しなかったら、母は末娘が喜ぶだろうと買ったこのサンダルを、新品のまま夏が過ぎ去って押入れの肥やしになってしまうこのサンダルを見て、何を思うだろう。帰省を拒否した娘が履いてくれる筈だった可愛いこのシックなサンダルを見て、何を思うのだろう。そう考えると親不孝による自己嫌悪で涙が止まらなくなる。

 『母親が勝手に買った靴だろう』と思うだろうか。母は私の、衣服等に執着せず惨めなまでに使い倒すまで買い替えをしない、かつ絞られた選択肢を提示されたとしても衣服等を選ぶのを面倒臭がる私の性格を知った上で、若者の流行を知った上で昔から勝手に買ってくれるのだ。実際私が人から褒められる靴は、靴箱に入っている履物の殆どは母がくれたものだ。

 『母親が勝手に買った靴』ではない。これは『母が私を想って買ってくれた靴』なのだ。こんなものを提示されてこの夏、帰らない選択肢をこの私が選べようか。

 

 

  ◆◆◆

 

 

 ツイッターでは相互フォロワー、その内明確に『お友達』といえるであろうと(少なくとも私が一方的に感じている)人達がそこそこおられる。相手にその意図を伝える必要は特に無いし私自身が何かする訳でもないので、この程度の認識で大丈夫なのがSNSのいいところである。

 その人達と関係が繋がれたのは、ただ運が良くお互いを認識してお互いの趣味嗜好を理解し合えて、その他の人間的な性格も理解し合える人達である。未だ殆どの人達とは顔も知らなければ、普段どんな生活をしているのか知らないし、彼ら彼女らの本当のお名前を互いに知った上で交流している人など片手で数えられるほどである。

 特にこんな情勢・災禍の中、最近人間として交流しているのがこのインターネット上で知り合った人々ばかりであるが、この人々は(一部憶測もあるが)多様な人生背景をお持ちである。

 ブラック企業からの転職を繰り返していらっしゃったり、苦労学生だったり、典型的ヤバい実家から逃げ出してきた方や、明らかな限界社畜の方など。未だ学生(しかもメンタルを病んで休学という情けなさを発揮中)である私としては、

 

『特定なんてこと興味ないのでどうやってあなたがそのご年齢まで生き延びてこられたか教えてくださいませんか!!』

 

 と、人生インタビューしたい人々が沢山いらっしゃる(数名にはインタビューできた。ご協力に感謝……)

 どんな人生背景をお持ちであれ、SNSで出会った彼ら彼女らとの交流の方が多くなっているこの現状において、突然実家からのコンタクトがあると過去の感覚を思い出して酷く動揺してしまうのが、現在の私のメンタルコンディションである。

 

 実家は私、及び私の姉に対して非常に素晴らしい教育をしてくれた、と思っている。

 中学の頃、担任が進路関係の話をする際に

「行きたい高校があるって言って、それを目指してずっと頑張り続けた教え子がこないだ合格したって連絡が来てん」

 と嬉しそうに話をしていた時があった。私はそれを聞いてフーンと思い、家に帰った際に姉と母がいる場でその話をした。

「へぇそうなんや。ほんでその子の志望校って何処やったん」

「〇〇高校やってさ」

「は!? 〇〇て偏差値50ないやんかwwwwwwwwww」

必死に勉強してそことかwwwwww」

 母と姉は爆笑した。

 そして私も、「せやんなあ低レベルにも程があるなあ」と一緒に笑った

 

 尊敬していた先輩の卒業式に行ってきた、と帰宅後母に話した。

「ああ、アンタが好きやったあの、熊本先輩やっけ? 何処大行ったん」

「〇〇大やって」

 胸元に花をつけたその先輩は第一志望に落ち、滑り止めへの進学を決定したと教えてくれていた。

「〇〇大。偏差値は?」

「**くらいやったかな」

「はあ……」

 赤の他人の子であるにも関わらず、つまらなそうな顔をした母の顔が今でも脳裏にこびりついている。

 

 高校三年間変わらなかった私の大恩師の一人について、母と噂話をしている時。

「あの先生何処大やっけ?」

「□□大やって」

「ええ!? 意外やなあ! あんなにも凄い先生やのに」

 訝しげに目を剥いた母に、慌てて私は付け足した。

「でも院から入った大学は、××大の所やって言うてた」

「××大!? ああ、そら納得やわ。××大は凄いからなあ」

 大学の名前でコロッと私の尊敬する担任への印象をひっくり返した母親の態度は、よく覚えている。同時に、それに全く迎合した自分の浅はかさも未だ心の底に突き刺さり、よくよく覚えている。

 

 また家族で車に乗って出かけた際、道端を歩くおばさんを指し示して、彼らは言った。

「ほら。ここ、M市に入った途端、K市のハイソな奥方らと違って出かける服があんなだらしない人達ばっかり道端歩いているようになった。やっぱM市の治安が知れるわ」

 ジャージにヨレたシャツとった姿の婦人は、私の住んでいた地域のハイソな近所では絶対に見かけない光景だった。私と家族が住んでいた地域の真隣のM市は治安が悪く車の運転が荒いものが多い地域としての印象が、当時の私には強かった。

 

 私のSNSの仲良し人(なかよしんちゅ)達には、その、当時の私と私の家族が嘲ったM市に住んでいる人くらいいるんじゃないだろうか。そうでなくとも、そのくらいの治安の場所でそのくらいのだらけ具合で暮らしている人や、学歴など卒業大学など気にせず社会人になっている人達が沢山いるようである。

 私は何気なく、ただ趣味の共有が気軽にできる人間が欲しいと願って始めたSNSで、趣味とは全く関係のない学びを得たのだ。

 

 『人間の“良さ”とは、学や人生背景で決定するものではないのだ』と。

 

 だが私の中では今も、幼い頃からの歪んだ認識を抱いたままだ。

 確かに世に数多く存在する他人のうち、公衆の場で危うくだらしない格好をした年配の人間にはあまり近付くべきではない。また、偏差値の高い学校に入ることができた人間はそれ相応の努力が出来る、及び才能を有する人間だという大いなる判断材料になり得るため、母や姉の反応に大きな誤りはないと思っている。

 

 『相手の学歴を確認せよ』『その偏差値は60以上が望ましい』『在住している地域も把握せよ』『親の家族構成はどうか』『その人物自身の学力は如何程と推測できるか』。

 

 こんな風に相手を識別することを、直接的に強制されたことはない。父からも、母からも、姉からも。かつ、これらは私が大好きな人達について評価する際に必須な事項では断じてないと思っている。

 というか、そんな人達をわざわざ全て『評価』する必要性などないだろう。己と関わる人間の持つ属性の全てを認知する必要は一切なく、お互いに一部ずつ知っていてその一部ずつを好み合っていれば良好な人間関係を、一時的であれど築くことができるのだ。友人とはそうであるべきだ。そうでありたい。

 

 なのにどれだけ親しい友人、例えそれがあの私が死にそうになっていた時に助けてくれた連れに対してであれ、『学が如何であるか』を、今も。必ず一瞬考えてしまう自分が本当に嫌だと思う。

 私自身の知り合いにもし私のような人間がいれば速攻で縁を切る判断を下すのに、私と親しくしてくださっている人達はどうして未だ私と交流を続けてくれているのだろう。

 

 

  ◆◆◆

 

 

 私の中で出ている結論は、この間の三月帰省から明白である。

 きっと私は実家から距離をとって、なるべく関わらないようにして生きるのが心の安静のためには良いのだろう。複数人の友人らからもそう言われた。かかりつけのあのお医者も、それを婉曲的に勧めている。

 しかし私は、どうしてもそれができないのだ。

 

 何故なら私は、『実家が大好きだから』である。

 

 根拠は数え切れないほどにある。

 まず実家は私を愛してくれる。カッコいい父は私を不器用ながらに可愛がって、私にかかる育成費を一生懸命稼いできてくれた、私という存在を誇りに思ってくれている。母親として欠点を探す方が大変なほどよくできた母親たる母は、いつだって私のトラブルに迅速に対処してくれて、夫が単身赴任の困難な状況の中五体満足健康体で私を育ててくれた。私の姉は生まれたての私へ一身に愛情を注いでいてくれて、自分の不調時に私へ苦労をかけた負い目を感じてくれていて今も帰省の度に嬉しそうに私にオタクの話題を振ってくれる、昔から妹たる私のことを大事に思ってくれている姉なのだ。

 

 父も母も姉も、誰ども代え難い大切な私の家族で、彼ら彼女らは私を愛してくれているし私もあの人たちが大好きなのだ。世界の何よりも返し難い恩ばかり貰っていて、大半以上返せてはいないのだ。

 例え私の人生の話を端から端まで聞いて私の感情の吐露も聞いて、私に同情してくれた友人達が、

『それは本当に愛情なのか』『君の家族の何処かしらは異常なのではないのか』

 と。仮に、万が一、億が一言ってくれたとしても、私は永遠にそれを確信することができない。私は実家の者達への懐疑心や追及心の奥底で、彼ら彼女らからの恩を忘れる事はない。そしてそれらは、たとえこれからどんな裏切りがあろうと簡単に打ち消されるもの達ではないと思っている。

 

 「いいや絶対そんな事はない。私の家族は世界の何処にいる誰よりも素晴らしいもので、私は世界の誰よりも贅沢に生きてきた人間である」

 

 と信じきっている。

 

 虐待をされた覚えはない。ネグレクトをされた記憶もない。過干渉をされた訳でもない。

 ワーカーホリックで倒れ、数年の療養を要した父。その父の療養先が原因で心の病みが進んだ発達障害の姉。その姉と、何も知らない妹をたった一人で限界集落の中で育てなければならなかった母。一体彼ら彼女らの誰が悪者だと言うのだろうか?

 いいや。何もかもが致し方なかった事だ。

 

 だから私は言う。きっと家族に恵まれなかった人や、家族そのものがいない人などは贅沢な大馬鹿だと批判するだろうが、言う。

 

 自分の家族がいっそ、端から端まで屑だったならどれだけ良かっただろう。

 

 一生関わらないという決断を容易に出来て、自分が感じる不幸感や不安や不満、抑鬱感、怨嗟、悲哀、後悔、それら全ての負の感情の責任を負わせるに値する極悪だったなら、どれだけ楽だっただろう。もしそうだったなら、あの家族の死を漠然と願う一方で家族への愛が必ず付随するこの矛盾する心は発生しなかった筈だろう。

 

 寧ろそんな状況をそこそこ成長するまで知らされる事なく、思春期に家庭的な闇から隔離され、何の不自由なく育ててもらったこの私こそが『無知の罪』ということで最も罪深いのではないだろうか。

 そして「大きくなってきたから」と、家庭内で発生していた愛する家族達への理不尽なトラブルの全てを知らされてから勝手にショックを受けて、勝手に泣いている私が一番身勝手なガキではないか。何もかも大本は済んだ話だというのに蒸し返して掘り返して、『あの時の私の自我は何だったんだ』と嘆いている私が最も意味不明ではないか。

 

 私が何も意識していないところで私は何か非常なる罪を犯して、そのツケを今払っているだけではないのか。憎むべき、『悪い事をした』人間が私の周囲にいないのであればそれは即ち、過ちを犯したのは消去法にて私が該当するのではないか。

 私はずっとそう思っている。

 これに関する、個人的な関係を持つ自身の知り合いへの相談はあまり意味をなさない。このことについては全て、この『私の認識が如何なるものか』に因ると考えるためだ。結局は、関係者も赤の他人も干渉する余地はない。この私が自力でのみ、時間をかけて解決するべき問題なのだと思うのだ。

 

 私は金銭的にも、愛情的にも何の不自由もない幼少期を過ごした。

 先日、ある属性についてマイノリティーであり、それで家族関連についても苦労した人生を送ってきた人が、母親としっかりと向き合ったエッセイ漫画をあげておられた。その人は毅然と、冷静に、確固たる自我を持ってトラウマの一つたる母親と対面して、対談して、そしてその上で破局していた。

 私はそれを見て、嗚呼、なんて自分は無力で柔くて情けない人間なのだろうと思った。

 そのエッセイ漫画を描いている人が言っていた事。

 

『他のことに夢中になっているうち、親の記憶はただの記録となり気にならなくなります』

 

 ごもっともだと思う。

 筆者さんは私より明らかにずっと年上であり、私よりも人生経験豊富である。例え私と同年代だとしても、状況から鑑みるにその人の方が、属性的な偏りなく多様な人間に出会ってきた人生経験値は、私よりはずっと多かっただろう。

 対する私は裕福な方向へ偏りが激しめな家庭の中、偏りの激しい己の視界の中で選別した人間しか明確に認識せず、偏りの激しい世界認識の中で高校を卒業したばかりの子供である。まだまだこれから出会う人間も多数いるだろうし、これから発見する新事象もこの世界に沢山埋まっていることだろうと思う。

 今、私が真剣に悩んでいることも、十年後くらいの私はきっと笑い飛ばしているのだろう。「そんな事を気にするな。そのうち時間が解決するさ、気長に適当なことをして待ってりゃいい」、などと言って。

 

 嗚呼、少なくとも今は無理だろう。

 私はさっき、自分はきっと実家となるべく干渉しない方が身のため精神のためだと書いた。それはきっと、あとかなり暫くは無理だ。

 何故なら実家は私にとって、私の人生にとって都合のいい存在でしかないからだ。

 

 大学に通う学費を出してくれる。勿論別途教材費などかかる際も追加援助してくれたし、両親以外にも近くに住む親戚がフィールドワークに有用な道具を買ってくれたこともあった。新たな事にチャレンジしたいと私が言ったとしたら、その際発生する費用も払ってやると両親は言っていた。

 食費を出してくれる。例えスーパーに売っている安くもない刺身を月二回買ったとしても、例え友人とストレス発散の焼肉に行ったとしても、アルバイトに手を出すまでもなく私の生活は貧する訳ではない。

 生活費も出してくれる。そろそろ猛暑が人を殺す季節になってきたが、そんな中私は冷房完備の施設に逃げ込む必要もなく、自室の中でクーラーを一日中付けっ放しで居られる権利を得ている。また冬も同様、実家のある場所より冬季の寒さが厳しい私の現住所では夏と同様暖房がなければ命に危機に瀕するが、最初に決められた仕送り内の光熱費に加えて「追加」と称して万札をこの二年間二回とも実家から支給されているのだ。

 住居費も馬鹿にならない。特別凄い家賃という訳ではないが、明らかに他所の同期と見比べると圧倒的に恵まれているマンションの一室で、私は尋常でなく怠慢なことに鬱屈とした引きこもり生活を続けている。本を置く棚もあり、クローゼットも大きく、風呂もトイレ別で使いやすく、最低限必要以上の家電も揃っている。現大学出願前に母が確保してくれたこの住居から離れるのは、些か気持ち的に厳しいところがある。

 

 上記、働かずとも満たされている人間がこの世に一体どれだけいるだろうか。どれだけであるかは兎も角、この私の無能さの分に合わず恵まれ過ぎているのは明白である

 自分が如何に恵まれた人間であるか、小学の後半か中学辺りからは自覚していた筈だった。知り合いの見ているこのブログでこんなことをわざわざ言うのは、単なる逃避行動の一種に過ぎない。

 即ち、先に自身を責めることで愛する他者からの批判と攻撃を軽減させようとしているのだ。今の私は、幼い頃から溜め込んできた『信用保険』と『可愛げ保険』を少しずつ消費して生き長らえているに過ぎない。勿論それらは、いずれ予測できない瞬間に尽きるだろう。

 

 実家に帰ることの、一体何が恐ろしいというのか。

 実家の者たちから聴こえる『無い声』の全ては私の被害妄想から来る幻覚だ。

 あそこには慣れた匂いの布団がある。洗濯は乾燥機付きのものが勝手にやってくれる。床の掃除はおにぎり型のロボット掃除機がいるし、食洗機もあり、手伝いを申し出る前にその辺の惣菜や自炊飯の数百倍以上美味しい食事が出てくる。世界一可愛い柴犬もリビングを我が物顔で徘徊している。私が家の中で何をしていようと、誰も口出しはしてこない。現住所よりも実家付近にインターネットの友達もたくさん在住しているので、彼ら彼女らと遊ぶ際も実家に行った方が都合がいいしあわよくば交通費もくれる。

 これだけのことをわざわざ書き出していて涙が止まらないのは何故だろう。それは私がこれだけ恵まれた環境にいながら、サポートされながら、実家からの仕送りを食い潰して何もしない生活を続けているからだ。

 

 傲慢。強欲。怠惰。嫉妬。

 所謂『七つの大罪』の大半を、私は犯しているのだろう。

 更には自分がそれに陥っている原因を、いつだって自分ではなく他者へと転嫁しようと日々必死になっている。 

 

 

 

「私らがボケたらさっさと老人ホームにでも突っ込んでほったらかしたらええで」

 

 今の母からは、そのように口頭で聞いている。父からのその辺の正確な意思表示はまだ聞いていない。そう言った母へ私が咄嗟に返した回答は、「そんなんできる訳ないやろうが」だった。

 今ですら母は、家の中に私がいない事を寂しく思っているのだ。

 何も悪いことをしてこなかった筈の母の人生の最期が、孫を産む気もない娘に見放されての枯死だなんて、あまりに非人道的ではないか。父も母も何も悪い事はしていないのに。寧ろ我々姉妹を五体満足でここまで育ててくれたのに。私は彼らに直接何も恩返しができていないというのに。寧ろ不孝なことしかしでかしてこなかったというのに

 

 生きていて楽しいと思う事はそれはそれは沢山ある。だから『育ててくれて』は勿論のこと、『産んでくれて』有難うとは心底思っている。

 しかしそれと同時に『どうして自分はこんなにもカスなのだ』と自問し続け、自答できずにいる。これは答えが見つからないのではなく、きっと見つけたくないだけだ。きっと私の何かが絶対的に悪いのだろうが、自覚することすら恐れて避け続けている。

 

 

  ◆◆◆

 

 

 眠剤を飲んでから酒を買いに行ってかなりの量を飲んだ状態で書いたが、午前四時半の時点で眠気が来ない点でちょっと身体的に一部崩壊しているのかもしれない。最近の精神科受診では推し医師が休診で会えなかった事もあるし、ちょっと予定より早めに薬の使い方について相談に行くべきかもしれない。眠剤を複数口に放り込みかねない でも入院はちょっとしたくないな……「ODしたら入院だぞキミ」と脅されたからなぁ…………

 

 心身がかなり失調したのにはきちんとキッカケがある。

 それは最近ちょっと身動きが取れるようになってきたので、そろそろ自身の将来について現実的な検討を始めようと思い行動を開始したところにあるのだ。

 具体的には文系、心理学系に転学部をしようと思った。何にもできなかった、母校を訪ねた際にも「何にもしていません」という情けない報告しかできなかった私はしかし、やや精神的な回復を自覚し始めていた。何もしたくないと思っているこの数ヶ月間、ずっと自分の心の事ばかり考えていたのだが、

『心理学系の学問分野で何か、ちょっと面白いと思えることに出会えるのではないのかな』

 と。数ヶ月ぶりに何かに対して“意欲”を抱くことができたのだ。

 

 『自分から何か、失敗する可能性がある物事にチャレンジするくらいなら死んだほうがマシ』『というかモノを食べるのすら面倒だし死んだら大体全部解決する気がする』『ていうかこの私が自害で死んだら実家組めちゃくちゃダメージ負うだろうなあ、ざまあみろ』

 

 とすら思っていたところ、非常に些細なきっかけ(彼氏が出来て二週間恋人ムーヴをしたのち自身をノンセクシャルと自覚し普通にお別れしたという多段人生実績解除イベント)により、都合のいいことに希死念慮が薄れていた。きっかけの要因となってくれた彼には非常に感謝している。そして非常に申し訳がなかったと思っている

 

 しかし、やや割愛すると『転学部よりこのまま理学部に所属したままでいた方がいいよ』と(半年ぶりに会いに行った)担任教授に言われたりした事で悩みと病みと自己嫌悪、希死念慮が再発中である。それ即ちあの地獄の実習の実質的なリトライを意味するからである。クソザコメンタル……

 当たり前だが考えてみればそりゃあそうだ。大学での勉学について『面白いかも』程度で挑むことができれば、全人類誰も進学に対して苦労はしない。が、個人的には久し振りに自覚できた『小説など文字を書く、絵を描く』以外の意欲を、教授から

「あんま熱意感じないけど笑」

 で否定され、治りかけていた最低限の精神がへし折られ直された気分である。

 取り敢えず数ヶ月以内に直ちに取らねばならぬムーブメントやタスクはない為、現実逃避として絵や小説で一次創作をやろうとしているが、先述したように低気圧で死ぬ日々が続いており、加えて帰省するか否か関連その他諸々の悩みにより脳は爆裂寸前という次第。

 

 現状私にでき得る事とは余計な思考をする脳を、趣味没頭もしくは眠剤とアルコールのダブルパンチにより機能停止させるというもの。

 

 ───明らかに医者行った方がいいなこれ。

 

  石澄香