石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

なんで短文ブログ始めたん

 中身薄〜くて短ぇ〜ブログを書き始めて、二週間で十個書いた。三日で終了するかと思った……。

 何故こんなことを今更始めたんですかという話だが……理由は実は二つある。

 全く別のベクトルの理由が。

 

 まず一つ、文章書きが上手くなりたいからだ。

 確か初めて自分の意思で小説を書いたのは小学校中学年くらいの頃。十数枚渡された写真から一枚選んで短編小説書いてみよう、というような授業でだった。私は芝に寝転がる可愛い子猫の写真を選び、捨て猫周りのめっちゃシリアスな話を学年一の長さで書いて同級生に引かれた(尚、学年人数は六名だけね)。中学でネットに繋がっていないパソコンを与えられてからは色々と一次創作を書いていた気がする。その型落ちしまくりパソコンはぶっ壊れたので二度とその厨二文章たちは日の目は見ぬが。

 エッセイ形式の文章の初めは、これまた小学校の卒業文集だろうか。……、今、ちょいと見返そうとしたが、一番初めの入学式の描写で

「私はその日長椅子に座り、来賓による長い話が終わるのを黙って待っていた』

 とかいうガキらしからぬ小癪過ぎる書き出しを見てしまいブチキレそうになったので読むのをやめた。なんだコイツこれから卒業するからっていい気になりやがって。今もこんな感じの手法はめっちゃ使っている気がするが、もうやめたくなってきた。

 ……つまりは絵を描き続ければ画力が上がるのと同様、文章もまた数書けば色々スキル向上が見込めるのではないか、と漠然と思っている。そしてそうして継続的にものを書くには日常で発生した話や己の考えなどでないとそんな毎日ネタが出ないので、エッセイということにしている。もしかすると一年後くらいの自分がこれを見返しに来て、この拙さに鳥肌を立たせているかもしれないね。

 

 そしてもう一つは、“継続的に何かタスクを行うこと”を自分に対して少しずつ課そうとしているからだ。

 一年以上、何にもしないで過ごしてきた───いやTwitterと趣味活動くらいはしていたもんだが、『継続的に行わねばならぬこと』の片っ端から逃走して今に至る。

 そもそもの体力以前に精神的な耐久力が障子紙になっているのだ。ほんの少し イヤ で 面倒臭 くて 他者とのやり取り が介在して人間としての 責任能力 が問われるタスクが 複数 重なるだけで、「ウゥワァーーーーーーッ嫌だァーーーーーッ死ぬしかねェェェーーーーッッッ!!!!!!」みたいになる。復学届の紙取りに行くだけで動悸しまくって本当。ミジンコかよ(ミジンコに失礼)

 だから少しずつ食べる量増やして胃を拡張するように……精神に少しずつ負荷をかけて……慣らしていこうと思って……だって流石に一年以上……元来の甘ったれが凄まじいデカさになっているのを感じるから……。毎日三食食べるとか、掃除機かけるとか、皿を洗うとか、寝る前に英語勉強するとか……年末前にやり始めたそれらに加えての、このブログ更新のつもりである。

 

 まぁ年明けてから全部おじゃんになったが。ワハハ(ワハハではない) 朝どころか昼も食欲ないって何???

 ブログ更新止まってもバカにしないでね。多分飯食ってるから。

 

  石澄香

 

【Today's 私の好きなもの】

 誰か()に渡すであろう立派な花束を携え歩いている仕事帰りのおじさん