石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

転がり出る芋

【日記】

 ブログ記事、下書きが何件かたまっている。その件についてあったことを書き連ねているとなんか一本あたりが長くなってしまうので。

 

 ジョウチョのオワリである。夜半である。酒は飲んでいる。明日も一限からあるので日付変わる頃には寝る。しかし酒は飲む。程々に。焦がしキャラメルの味でうまい。牛乳と合わせると大勝利する。

 こんなもの書いていたって何になるんだ、と酒飲みネガティブ文章を書く度に思う。律儀にツイッター(鍵付きだが)に、書いた記事のリンクを貼りツイートするあたりやはり承認欲求を得たいのだろうか、私は。まあ承認欲求で呼吸をしている人種なので全く間違ってはいないだろうが、こんなもの読んだ人は具合が悪くなるに決まっている。私が逆の立場なら具合悪くするに違いない。なのに書いては表に出す。とんだテロリズムではないか。読まないでおいてくれと願うなら表に出すのをやめろ、そう思いつつ書いている。

 一種の認知行動療法かもしれない。自分は何を以ってして何と名をつけられた感情を抱き、何を求めているのかを言語化して把握する奴だ。私は精神科医じゃあないから知らんけど。しかしこうして言語化しては、私は私の痛いところをありありと自覚しショックを受けて泣くしかしたことがない。本当に効くのか?此れ。それともやりかたが間違っているのか? 分からない。私は私が抱く感情を自認するたび泣き、かつその際特に自分の中でコトが進展した試しはない。

 以下本編。

 

 何故復学などしたのだろう、と考える。

 まぁこの思考に陥るのは一番予測していたことであるが、やはりというか何度も何度も『何故』を考える。何故大学生にまたしてもなったのだろう。咽び泣きキレながら「もう二度と理系大学生になどなってやるものか」と全てを投げ捨てようとしたというのに、何故私はまたしてもこんな所にいてこんな風に泣いているのだろう。……と、図書館で自主勉しながら思い起こす。両隣で同じく課題やるなり勉強するなりしている他学生達は、私という人間が滔々と泣いていることに気がついていない。

 締切にズレはあれど三種くらい同時進行しているうち、最も期限が近い課題に取り組む最中、分からない単語や概念が頻繁に発生する。分からないものは分かるべし、本だのインターネットだので調べる。把握する。また分からないものが出てくる。調べる。把握する。また分からない───それらを繰り返していると、情けなさに潰されてしまうわけだ。どうしてこんなにも“分からない”のか。

「進学して長期研究するくらいになりたかったな」「○○したかったな」「××しようとしてたのにな」

 直接的には無関係な後悔ばかりが募り、マトモに課題が進捗しない。時間をかければいつしかできるのだろうが、設定された締切を考えるとどうしても焦燥する。それもこれも何もかも私自身が足らぬからである───そのように考えては、ケチョミソに駄目になる。

 酒を飲んでるつったが大して飲んでいない。焦がしキャラメル味の。ケーキみたいな味で甘党としては最高のやつ。最近、すっかり疲れて内臓が漠然とアルコールを拒否しているからだ。まぁ脳が泥濘の如く曖昧さを持つ思考を求めているので飲むが。頭蓋に注射器刺してアルコール入れたい。

 何故復学などしたのだっけ。まず勿体ないからだ。高度な教育機関で研究という概念に携われることなど、人生一回あれば贅沢すぎることである。本当に、真の意味での理系の“研究”など、しかも弊学のような環境でそれが叶うなど、本当に類稀だと思う。逃すには勿体ない。小学生時代、『科学者になりたい』と漠然と阿呆の夢語りをしたどっかの誰かに、掠る程度でも報いるには今しかないのである。

 次に、三、四年くらい前の自分自身、及び当時のそれを応援してくれた周囲が報われないからだ。四年前に苦痛を垣間見て実家を飛び出したいと願った私自身、及びそれを手助けしてくださった親しき人間達が報われないからだ。平日も休日も予備校が閉まるまで自主勉強し、疲れた日はトイレの個室の床で失神し、食欲は失せカフェインを常用しだし、片道一時間かけて電車で講習に通い、勉強し勉強し勉強し、その勉強の費用も親に出してもらい。……私自身今の大学に入れて、大層喜んだ。恩師も皆して喜んでくれた。セ試ぎりぎりボーダーだったくせに、べしゃりの能力で滑り込んだ。入試のその面接会場の端の机で『ほぉ面白そうなやつだ』みたいな顔で私を見ていた教授が、今の私は酷く怖くて仕方がない。

 メンタルレベルが下降すると、いらんことも思い出していく。

「賢く産んでやったんだからアンタは賢い」

「今でも私は父も母も恨んでいるし許さない」

「死ぬのなら人様に迷惑をかけないように」

 最低の記憶ばかりが芋蔓式に蘇る。GWに会った彼らと記憶の中の印象の彼らが乖離する。私にとって正答は何か。賢くなければ殺されるのか。私自身も恨まれているのか。私は死ぬべきなのか。どういう死に方が一番迷惑じゃない? 何?

「大学は出た方がいいよ」

 大学を出ねば殺されるのか。直接的に殺されはせぬだろうが見捨てられるのか。失望され二度と前と同じように愛されなくなるのか。折角戻った実家の雰囲気が私のせいで崩壊するのか。私が家族に愛されなくなるとどうなるのか。期待希望に応えられないとどうなるのか。私はどうなるのか。応えられない私が全部悪いのか。悪いのだろうなそうだろう。何故なら私の人生を構築するほぼ全ては結局は私の意思だからだ。私を支配する感情を総合的に纏めて言い表すのであれば、それは間違いなく『恐怖』である。

 そうなると私は私にやれることをするしかない。即ち恐怖を避けるための努力を行なうのだ。甘ったれることができる期間はとっくのとうに終わった。幸福は苦痛と等価交換である。相応の苦痛を得なければ、ひとは望む幸福を手にすることはできない。無条件に助けられる時期は二十年弱で終わった。失敗体験に固執せず、幸福を二十年弱も無条件に享受できたのをただ有難く思うがいい。

 

 太陽もない上、まだそこそこ寒い時期の夜半に酒を飲みながら一人で悶々と考え込む負のスパイラル状態の思考が“正しい”筈がない。分かっている。しかし現在自身の曰う主張を論破することが、私にはできない。他人に言おうが無駄だと感じる。最終的に私自身の人生について判断して何もかもを決断するのは、どう足掻いてもこのどうしようもない私自身だからだ。決断を許されているだけ、人生イージーだとも言えるかもしれない。

 アーア何もできない取り柄がない。人権も価値も強度もない。

 イージーな己を許すことができない。優しい周囲が私を許すほどに、私自身は己を許してはならないと感じるからだ。

 やや頭がおかしい。突然机を殴りだす手が止まらない。手が腫れそう。酒は泥酔寸前まで飲む。カフェインは摂っていない。講義中に心拍数と呼吸がおかしくなるし図書館で泣き出し吐き気を催し昼があんまり食えない。

 しかし酒は飲む。程々に。しじみも齧る。肝臓は労わり大切にする。実際しじみは二日酔い対策に効くから面白い。

 

 石澄香

 

【好きなもの】

 スチームパンク