石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

そういうヤツ1

 理科室の後ろの方で部員の輪から離れてただ一人、黙々と本を読んでいたのがその人であった。

 私という希少な新入部員がいるということで、他の先輩方が私を囲んで相手してくれている状況の中。混じろうとすらせず只管に一人で本を読んでいて……日が沈んできた頃に不意にさっさと帰って行ってしまったのが、その人であった。表情ひとつ動かず、「お先に帰ります」以外の何も喋らず去ったその人を指して、

「あの人何年生です?」

 と私が一個上の先輩に聞くと、

「私らと同じ学年の熊本君だよぉ」

 と先輩は教えてくれた。

 教えられて、ほお成る程彼の名前は熊本さんというのか、と、もう跡形もなくその場から消え去った一人の先輩の姿を私は思い返した。恐ろしく無愛想な“熊本先輩”のイメージは───私からの第一印象として、

 “非常に好感が持てた

 のは間違いない。

 

 

 高校時代は日記をつけていた。

 高校生になってから所持を許されたスマホのアプリで、なるべく毎日。つけ始めたのは、一年生の文化祭直前辺りから。

 どうしてこの時期からだったのかについては特に理由はない───ことはない。寧ろ大いに不純なきっかけがあった。己はかの熊本先輩のことがだいぶ好きなのやもしれぬ、と自覚したのがこの頃だったためだ。

 文化祭に近づくと、文化部である我が部は一年間で最も活動的になる。故に、部活動絡みで部員同士が交流する頻度が増える訳だ。学年が違う先輩方とも方針について論ずるに論じ倒し、ついでとばかりに他愛なき世間話も喋りに喋り倒す。そうして熊本さんとも顔を合わせ倒し、そして話し倒しをしていた時期に、

『なんと笑止千万たることに己は人生三度目の片想いを開始してしまったのやもしれぬ』

 と私は気がついてしまったのであった。

 

 活動不可と分かった日には井戸端会議にも参加せず早急に帰り、元々の口数もボディランゲージも僅少、表情も真顔の一種類がメイン、ニンゲンと接触するより読書する方が有意義と言わんばかりに本を読んでおり、部室に次いで出没頻度が高いのは昼休みの図書室。熊本さんはそのようなタイプの人間であった。押し付けられたか自主的か不明だが、図書委員をやっていたし。

 この手の人は“ガチでニンゲンがキライ”という可能性もちゃんと考えられるため、あまり勘違いして距離を詰めてはならないと私は知っている。しかしこの熊本さんとやらに関してはその限りではないと、初対面後一ヶ月程経った頃にちょっとしたきっかけでちゃっちゃと判明した。少なくともニンゲンと話すこと自体を忌避しているタイプではないと。

 まぁ、とはいえ活動後の駄弁りに参加しないで爆速退勤していくのも変わりなく、同期の先輩から「熊本君も○○する?」と言われれば

「いや。俺はいいです」

 とぶっきらぼうに返すのが常。そういえば部員以外の生徒教員と話しているところを見かけることすら、かなり少なかった。付き合いが悪い上に、それに関して全く忖度する様子も見せぬ冷たさ。

 正直、『それの何処に惚れたんですか?』と問われれば「え? うーん……」となってしまって即答できない。

 

 ああしかし、アレが“きっかけ”だったかについてはちょっと自信がないが、それらしいものはひとつ覚えている。

 一年生の時、文化祭の準備等に追われていた頃、部室(理科室)の机に突っ伏して寝ている熊本さんを見たことがあった。私含めた部員数人が部室外で済ませてきた用事に、これまた一緒に行くのを断っていた彼が一人で待機していたためだ。

「先輩終わりましたよぉ」

 と私が声をかけた時にむくりと体を起こした寝惚け眼の熊本さんの前髪が、上向きに跳ねてめちゃくちゃになっていた。『おもろ…』と思った記憶がある。

「終わったんですか。じゃ俺は帰っていいですか」

 低い声でそう言ってから、いつものように熊本さんは帰って行った。文化祭の直前のことだ。“寝顔”という概念が好きであるのは、この経験が影響しているのかもしれない。

 そしてこの頃から少しして、私は痛々しい日記を書き始めた。

 

 コイツは小っ恥ずかしい、昔の片思い日記の残骸たるシリーズです。

 

 石澄香

 

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