石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

声褒められた話

【日記】

 死ぬの、怖すぎ。

 以下本編。

 

 己の声が苦手である。

 否、最近かなりマシになってきた方だ。それは特に声で以て丁寧に話す内容が展開と命運(?)を分けるゲームを友人らとプレイするにあたり、その記録を録音として残される機会が増えたため。

 しかしそれにしても自身の声は苦手である。カッコよくも可愛くもない。低いうえ喉が開ききっており喩えるならば、キモオタの必死な声色といった次第である。耳から聴くこと自体は最近できるようになったものの、自分の声を別媒体から他人事のように聴くのは未だ堪えるところがある。

 

 しかしながら。

 私は一度、お世辞抜きに己の声を褒められたことがある。“話し方”というより、“声”そのものをだ。別にそれが自信に繋がっているだとかそんなことは断じてないが、断じてないが、愉快なことに真剣に“声”そのものにのみピンポイントでフォーカスされて、予想だにしない人間から能動的に誉められたことがあった。

 

 それは中学の頃の話だ。転校先の中学で、クラス内に友人もほぼおらず、そもそも私自身が通い先の中学校自体が総合的に好きではなかった。故に私は大抵独りで行動していた。移動教室もその一つだ。多くの生徒はトモダチとつるみながら廊下を押し合いへし合いして横に並んで、通行のクソ邪魔をかましながら歩き、教室間の移動をする。そして私はそんな彼らを心底軽蔑しながら、独り早足で廊下を歩いていた典型的な陰キャであった。

 そのクソド陰キャの女に、“彼”は平然と話しかけてきた訳であった。

「石澄さん」

 振り返って見てみれば、いつの間にか私のすぐ真横について話しかけてきていたその人物は、とある私のクラスメイトであった。流石に八ヶ月以上の付き合いであるし、勿論記憶の中で顔と名前は一致していたが、私と彼は話したことがなかった。マジでなかった。なんと授業中での“グループになって〜”系の何某ですらご縁がなかった。また、勿論私から彼をマークしていたこともなく、ただ稀に視界の端に映るのみの有象無象クラスメイトのうちのひとつでしかなかった。

 彼が私に話しかけてきたのは廊下だ。体育館で、全学年で卒業式の練習だか何だかやってきた帰りの、渡り廊下を抜けた先の屋内の廊下。マンモス校だったので生徒でごった返していたが、その人混みをするする抜けて難なく彼は私に接近してきて、話しかけてきたのだった。

 ビビり散らしながら私が「何です…」と返事をすると、彼は続けてこう言った。

 

「突然すみません。あの……『はんけつの術』って言ってみてもらえません?

は???

 

 は? って言った。

 マジで言った。このブログ、割と私の返答や人からの問いかけには脚色をいれることが多いが、この「は?」はマジでそのまんま返した類のセリフだ。

 がやがや周りの喧しい中学生らは、無論我々を意にも介さずスルーして通り過ぎている。我々も足を止めず歩き続けている。私は「は?」の顔のまま歩いている。彼もまた「言ってみてもらえません?」の顔のまま私の横について歩いている。

 何を言い出したか皆目理解できない私に対し、再度彼は私の耳元に口を寄せ丁寧に手すらも添えて、

「『はんけつの術』です」

 とまた言った。

 いやちゃうねんその辺が聞き取れなかったから聞き返した訳ではない。そうやなくて。いや。何? 私は混乱した。

 しかし彼は何らかの罰ゲームを受けて私に話しかけているとかそんなベタな気配もなく、何より彼の顔が本当に真剣だった。あまりに真剣だったし、それに彼が口にした“お願い”もそのまま理解すれば全く実行には困難ではない、タイプの、筈の要求だったので。

「……はんけつの術」

 仕方なく注文どおりに私は指定された台詞を紡いだ。果たしてこれが彼にとって何の意味を持つのか。言い終えてから半ばドキドキしながら私は彼の返事を待った。

 彼は私の台詞を聞いて、ふむ…と顎に手をやった。

「───できればもう少しシリアスな感じで……」

 そんな追加注文あるか?????

 此処何処やと思う? 公立中の廊下やが? そもそも私はただのド陰キャクラスメイトやが? そんな追加注文あるか?????

「は……はんけつの術…………」

 しかし追加注文を求める台詞がこれまた更に真剣だったことに気圧され、私は気付けば要求通りに少し声を落としていた。声色を低めに、ゆっくりめに、重たげな感じをやや意識して、くらいしか応えられなかったが、いや『もう少しシリアスな感じ』などどうすればいいか正直分からなかったから。

 しかし私がそう読み上げてみせると、

「はぁぁ……素晴らしい……!」

 と彼はあからさまに目を見開いて笑顔を見せたのだった。ボンドルドか?

「有難うございます! 凄くいいです!

何なんだアンタ本当

 ぺこぺこと私に対してしきりとお辞儀をしながら何の説明もせずに彼は立ち去っていった。何でもいいが本当に本当に嬉しそうな顔をしていたから、『何なんだ』とは思ったが別段不快な思い出としては認識していない。

 寧ろこんな褒められ方をしたのは生まれて初めてであったし、ここまで極端なものはこれからもきっとないだろう。私の“声”に対して何の脈絡もなく唐突に真っ直ぐアクセスしてきて、唐突に台詞読み上げをさせ、ピンポイントで心底嬉しそうな顔をしてそれで彼と私の会話は終了したのだ。これら行動には世辞の類いが全く入る余地がなかったといえる。他者からのお褒めや何やらに疑り深くなってしまう私にとって数少ない、『アレはガチで純粋に褒めてくれてたんやな』と断言できる事象が、この事件なのである。

 

 私は覚えている。私はこんな中学生活だったが、卒業アルバムのフリースペースには面白がった人々によるコメントが何件か残されている。面白がっただけだな、と思うような人物からもあるが、その中にはその“彼”からのコメントも何故か存在するのだ。

 卒業式の日、私自らがとある美術の先生に、お世話になったからとコメントを貰いに行った時のことだ。彼自身美術部だったようで、顧問からのサインを貰った帰りらしきところで彼と私は出くわした。私に謎の台詞読み上げをねだった時から殆ど話さなかった彼はしかし、そこで私を見ると

「ああ石澄さん! よければ僕のにも書いてください。そして石澄さんのにもひとつ書かせてください」

 と知己の如く笑顔で宣ってきた。困惑しながらも私は了承した。私から彼へ何と書いたかは覚えていない。

 アルバムとしては空白だらけのあのフリースペースには、彼からのコメントとして今もこう残されている。たまに思い出して、ややニヤつく。

 

 『ありがとう。いいお声で』

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 合鴨(生産性でも見るだけでも食でも)