【日記】
変な香りのするめちゃくちゃ安い洗顔剤を買ったら、顔がぴりぴりしだしたので使うのをやめた。しかし大容量(安物あるある)なものをまんま余らせるのも勿体無いと思う精神が発動したため、脚を剃る際に使うことにした。すると脚がぴりぴりしだした。以下本編。
「なぁに。石澄さんは今、世を儚んでいるの?」
ニコ!としながら助教が仰った台詞である。これだから“““教養”””って大事だよなぁ……と第一に思った。一撃でこういう言い回しができるのは、『最高』の一言に過ぎる。しかも、ニコ!と笑うその表情は表情で、『死にたがってるバカがここにいますよ笑』でも『今時流行りの希死念慮ですか笑』でも『どうせ大したことないやろ笑』でも『やれやれ参った学生だな笑』でもなかったのは些か驚いた。かと言って何のニコ!だったろうかと思うと…………何やろ……
……“保護”……?
まぁ、兎角今日は頑張った方だ。
朝から病院行ってお医者に「休学届云々の話じゃねェね」「入院検討よ」「ンなことより貴女の命を救う方が先」とボロカス言われ、昼過ぎから学年担当教員の下に行って教授から「あんまり大事そうに見えないし損得からすると休学せん方が」「具体的に何が頑張れないの?」と無邪気に微笑まれ言葉に詰まり、エーンと内心半泣きで最後に助教を訪ねた。助教については目的として、研究周りのよくある打合せをしに行った限りであったが。しかし気がついたら世への明確な儚みを自白させられていた。何故。
「助教、メンタリストでは?」
「……。違うんじゃナァイ?」
『私はメンタリストではないので分かりませんが』を連呼しながら話をする助教にそう聞くも、戯けるように首を捻る助教を信用できない。話すつもりのなかったこちらからものの十分如きでこのクソデカ本音を引き摺り出した挙句、一と半時間の間に別の話題を挟みながらも私は色々諸々等々。順番に順繰りと全部白状していた。どうしてこうなっている?と思いながらたまに研究関連の話が挟まり「ア、ハイ……」と書類へ修正を入れる。たまに一年近く前ふと私が助教へ世間話として言及したような些細な話をあげられ、「なんで覚えているんですか……???」とビビる。
前回、しっかりと研究もとい将来もとい現状の精神状態についてお話をした時に『気持ちや分岐などを紙に書き出してみてはどうか』と助教にアドバイスを受けていた。
「書き出してみました?」
「み、みたんですがね……」
結果がなんというか、ああ(https://agatelastone.hatenablog.com/entry/2023/08/21/200917)である。
紙は持っていなかったがそう言うと、間間に研究打合せを挟みながら助教は怒涛の勢いで私の思考にメスを入れてこられた。
「ご自身に対する“好きではない”と“嫌い”は少し違うと思うんですが、どちらですか?」
「研究室の学友と話すのはネガティブな影響となりますか?」
「おひとりなのは苦手ですか?」
「自己肯定感が高くないのですか?」
「完璧はお好きですか?」
「達成感は石澄さんにとってポジティブな影響を与えますか?」
「ご両親などへのネガティブな感情の凄く根本の正体が何であるか考えたことはありますか?」
「近辺に住む方の中に、石澄さんにとっての“拠り所”となる場所はありますか?」
「ならば抑うつ的になって何もできない時にはどう過ごしていますか?」
「頑張れない時に今の周囲へその旨は言えますか?」
沢山聞かれ、その都度回答した。大体のこれら質問の内容は私もよく考えたことのある話なのですぐ答えられたが、その場で初めて言語化したものもあった。関係ない話はなく、野次馬めいたものもなく、全てがつまらない話で、それらを真剣にかつ時折笑いながら助教は聞いた。助教の変わったところは、私の言い分を聞きつつたまに「ハイ!」と勤勉な学生の如く挙手してから質問を挟んで来られるところだ。
「今ウワー(下降)になっちゃったのはきっかけがありますか?」
「あんまり心当たりが……いや……昨日……何にもできなかったんです……洗濯しか……だから『存在価値無〜ッ』になってしまって」
「エ!洗濯ができたらエラいじゃないですか!」
「バ先のタスクも夏期休業入ってからやれてなくて……私が『やる』つったので私がやらねばならないんですが」
「やること忘れてないだけよくない?」
助教もTwitterのフォロワーみたいなこと言ってくれるもんなんだなと思った。
因みに『洗濯だけ』はちょっと嘘。あと、助教のデフォルメが上下にぽよぽよするだけのgifとか作っていた。バカにしてんのかと思われるかもしれんがバカにはしていない。ただ手が滑って。
「私の場合になりますが、大学の頃」
此処で助教から割とクソデカ爆弾を落とされて思わず慄いてしまった。勿論研究者としての来歴しか存じ上げず、青二才如き預かり知らぬ所で沢山苦労されてきたのだろうとは思ってはいた。しかしいざ対話をしていると聞いてよかったのかすら疑問に思うほどのお話をサラッと知ってしまい、絶賛世を儚む最中の青二才としては『エ!なのにこんなにもお元気に生きておられる……』と思ってしまった。
「ご両親に対して感じておられる“負い目”ですとか、聞きたくなかった言葉への感情。それが苦しいのは石澄さんに自我があるためですよね」
自我の話、前にも違う恩師に言われたな、と思い出す。どっかの記事に書いた気もする。
「でもそういうのは、ご両親を先に送ってからでないとやはり上手く整理がつかないものだと思います。先に見送ることにきっとなりますからね。でしょう? だって貴女の方がテロメアが長いんだから」
おもろくなるから急に理系ネタをぶっ込まないでほしい。
ビックリしたのが(個人的に)こんなビックリな観点でいきなり質問を振られたことだ。
「休学するとして、休学すること自体が更に石澄さんへの“負い目”として蓄積している可能性は考えられますか?」
「ファッ!?」
“負い目”でしかない。間違いない。だから『またしても休学する』と言い出すことへの抵抗感もある。院試受け直すのが嫌過ぎるのが大半だが。そういえばそう。“負い目”が多過ぎる人生であった。
「三年前に休学された時は?」
「なんか……十ヶ月くらい何もせず……云々……どうこう……」
「……。じゃ、その一年が存在したことは“負い目”になっていないんですね」
「……。あれ。」
「これからの休学とそれらの休学と他の“負い目”。ご自身の許せる基準はなんですか?」
「あれェ!?」
完璧だった自己否定のロジックにまさかの穴が露見した。休学期はそりゃ、呼吸するだけでお終いになっていたものだが、今となっては『まぁ必要だった』になっている。今のこの、最悪なメンタル失調の状況ですら何故かそれは変わっていないのだ。そういえば、その辺の基準がどうにもおかしい。許せる心当たりがない。
何故だろうか? 済んだことだから? いや、母親から言われた台詞というのは“済んだこと”ではないのか?
母からの言葉は私にとって“済んだこと”ではないとか?
「まぁね。ご自身に対して優しくなれると、いいですね」
ニコピ…と笑って助教は言う。指示でも放棄でもなく“祈り”。
「今日は病院にゆかれて○○先生とも会われて私と話して、三つもやってますね。今日のご自身のことは許してあげられますか?」
この時期の助教は年度末並みにお忙しい。一般的な社会人の“休日” “出退勤時間” “残業”全てに縁遠いだろう。私と話してる最中も途中抜け出して、研究所長と直近の段取りを話し合っておられたし。だが助教は時間で妥協せず私と対話をしきって、全部話し倒してから初めて
「他には?」
と一度だけ私に問いかけた。スゲェとしか言いようがない。
実在の証明ができない神とは訳が違う、実在の(しかも目の前の)人物に“救い”を見出すのは間違っている、と私は考える。だから私は助教のペルソナそのものではなく、それらが吐く台詞のひとつひとつが救いだとするのなら多分許されると思う。
だが他が自己を救うことはない。助教もまた、だいぶ昔にご自身でご自身を救って今、私の目の前に立っておられる訳であるし。
石澄香
【好きなもの】
生チョコ