石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

嘲笑はよくない怖いから

【日記】

 文章が読めない。ので文体崩壊が著しければ後でこの記事は消す。以下本編。

 

 叱責されるのがマジで苦手である。

 否、得意な人間を探す方が困難であることや、苦手だと感じる方が多いのは割と当たり前であり、わざわざ字に書いて主張するほどのことでもない……ということも分かっている。かつ、『自分が持つ意見と正反対の発言をされると自身が攻撃されたと思い込む』という思春期のような厄介な気質を、今も自身が持っていることも自覚している。これらの存在意義についての議論は、最早不毛である。ので、こんなところでだらだらとは喋らない。

 

 先日、私の通う大学の二人の教官による二種類の『無知に対する苦言』を、私は同時に聞いた。片方が私(?)、片方が私ではない上級生に向けられたもの。

 私に向けられたある教授による『苦言』は、至極真っ当なものだ。名指しではなく、呼び止められて直接叱られた訳ではなく、婉曲的に『匿名人』としての私個人を指されて

「こんなことも知らないのは恥ずかしい」「素人はお前」「ヤバいよ一年生でもないくせにこんな回答すんの」

 とニッコニコの笑顔で講義の場で言われた感じである。う〜〜〜ん……読んで字の如くこの時は血の気が引いた。引きすぎて脳が回らなくなり、この日のこの後の問題は全部、更なるクソポンコツな回答しかできなかった。激弱過ぎる。

 否、実際ポンコツなのは事実である。なんせ一年ただ横向きになって、どうしようもない自分自身のことだけ見てべそべそするしかしていなかった人間だ。なので所謂(かなり)広義での自身の専門分野においても、基礎知識ごとそこそこ吹き飛んでいる。しかも復習が皆目間に合っていない。教授側が“ド基礎中のド基礎”として出した問題ですら自信がなさすぎて、あらぬ方向へと思考がぶっ飛んでゆく。そしてその結果、教授に(ギリ名指しで晒された訳ではなかったが)講義時間に嘲笑されたという次第である。

 ブチギレになってしまった点がひとつあり、それは教授が「悪気はないのよ?」と、その嘲笑の前後にわざわざ取り繕うように付け足されていたことだ。

 喧しいわ貴君がどれだけ口にして取り繕おうと、貴君のその錆びた小鍋で丁寧に煮締められた人格の歪みの澱みたいな性格の悪さは変わらんわ。みたいなことを言いかけて、勿論口を噤む。理性があり、かつビビりな人間であるので。

 キレたのでキレながら高校レベルのド基礎まで遡上して現在復習の最中であるが、血の気が引いた瞬間を思い出しては一々頭蓋を破壊したい衝動に駆られている。誰のって? 一応私の。

 個人観ではあるが、このような方法による“批判”は本当にやめてほしいし、誰が相手でもやめておいた方がいいと感じる。自分が無知であることを恥じいるのは薬ともなり得るが、過度な自信喪失及び無知から自ら脱する過程の阻害になる、とも考えるからだ。現状、私がそうである────いや涙腺の閉まり具合がゼロかジュウでしかなくなっている情緒不安定性を現状持っているので、やや過剰な可能性も考慮しての話だ。

 しかしほぼ断言できるのは、羞恥でもってしてヒトを叩き上げることはできないということ。下がりゆくところを止めさせることはできるかもしれないが、絶対にそれで、人間のパフォーマンスは上がらない。ひとによっては、慢性的に下がる。それをご存知でない人間が多い上、人生において完全にそのような者を回避するのは困難である。

 

 これに対して後者の助教が一部学生(私ではない)に向けたものはどうだったか。温情の助教である。

 助教の研究生が集まるゼミの様子を諸事情でオブザーバーとして覗きに行った際。途中、一部学生に対して

「今の質問は、生物学に携わる学生としてはどうなのか」

 ということを助教が言った。曰く、『現在の議論テーマと離れているどころか、言葉尻を掬って揚げ足を取っている質問である』『それはいかがなものか』ということであった。

 側から聞いていた私としても、『え!? そんな大筋と関係なさそうなところまで批判対象とは……研究計画発表、怖すぎでは!?』と縮こまっていたが、実際大筋と関係ない話のみつついた質問をした学生さんの方が逆に助教につつかれていたのだ。その話、今する必要ある?と。

 しかし助教についてはひと通り『なぜ生物学生として些か「よろしくない」などと言ったか』を冷静な口調で言ったのち、

「今後の君達がそういうところもココで学んでゆかれることを期待します」

 と締めたのだ。

 嗚呼〜〜〜人間、私が師事する人間、全員こうであってほしい。分からないこともあるし突拍子もない思考に陥ったり、あり得ない思い込みから脱せない時もあるのである。特に私のようなスットコドッコイは。毎回許せとは断じて言わないので、ただ本当に『嘲笑して羞恥に追い込む』『見限って無視する』のだけは勘弁してほしい。

 『今後ココで学んで』───学生の積極性に依存した話ではある。しかしこの言葉を前にして、は断りがたく日常に含まれるものだ。

 後から分かったことであり、因果関係は不明であるが……助教は理学博士の他、教育学修士も出ていた。マジか……何処となく何故か納得してしまった私がいた。

 

 一年も寝転がっていたのがよくないのだ。復学する前に復習くらいしてろと言われれば、それまでである。用語説明すら危ういところが多く、更にはまたクソ馬鹿にされるのではないかという恐怖感が正常な思考力を削る。世間的に見てあの教授の講義方法が正しいかそうでないかはさて置き。完全な私怨による復讐を、個人的には今すぐにでもやりたいところである。

 驚くほどに『人権がない』と感じる。比喩である。私という人間が持つ能力値には幅があるが、総合的に見て低さが目立ち過ぎるところしか、大学では露呈しない。事実が目に見えているだけであるが、些かキツイところがある。

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 寝起きに手首を内側に曲げて鳴らす時