石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

精神科チャレンジの話

 

 メンタルがダメになった。

 ので、人生初めて精神科に行った話。

 

 行こうと決めたのは、Twitterのフォロワーがオススメしてきたから。Twitterの仲良しフォロワー複数名が、『そういうの早めに精神科かかった方がいいですよ』と教えてくれたから。精神科にかかるのはめちゃめちゃ嫌というか、後述するが“狡い”感じに思えたので、自力では全く行く気が起きなかったのだ。

 その『行く気』ですらも、フォロワーに勧められやっとこさ顔を出したまでだ。『行きたくない』のは、変わらない。

 

 だからまずは大学の保健センターにあるカウンセリングをやってみた。タダで済むカウンセリングで事が丸く収まれば、そんな嬉しいことはない。学生万歳、タダで受けられるもん、今のうちに享受しとけ。

 私はカウンセラーに言った。ストレッサーは分かっているんです、毎週あるあの講義の前日になった途端、それはそれは阿呆の様に心が滅茶苦茶になるのです、あの講義は資格取得のためには必修で、こんなメンタル崩壊ごときのために資格を放り捨てたくありません、どうしたもんでしょう。

 カウンセラーの壮年男性は言った。

 

「ここに三つの精神病院がありまして」

 

 ○ーキド博士かよと思った。

「こういうところに行って、抗不安薬あたりを処方してもらえばよくなるでしょう」

 そういうもんなのか?

 そういうもんなのか。

 いや騙されるな、なんだかこのカウンセラーのオー○ド、怪しい。

 俺は知ってるぞ、んな薬なぞで簡単にメンタルが回復してたまるか。 

 やはりタダで受けるカウンセリングなんてこんなもんかと割り切りつつ、労力と時間を浪費した気分になりカウンセリングは逆効果と言えた。これを読む健全な精神を持つ諸氏は、メンタルを損ねた場合素直に初めから金を払って病院へ行く事をお薦めする、と偉そうなことを言ってみる。

 

 とにかくカウンセリングで更に具合が悪くなった私だったが、素直にオーキ○氏が提示してくれた病院をちゃんと調べはした。田舎だからか飛び込みで行ってもいい精神科があったので、電話したくなさが爆裂した自分は迷わずそこを選んだ。先生の性格が合わねばまた精神科医ガチャを回すまでよと、軽い気持ちで。

 とはいえ初診、しかも人生初精神科診察から本当に飛び込みでもいいのか流石に疑問に思ったので、病院のアドレスに問い合わせメールをした。

 思ったよりもすぐに病院からの返信があった。

 

『確かにその時間帯の先生は予約必須ではありませんが、一度お電話にてご相談ください』

 

 畜生。電話なんて滅びればいい。

 悪態をつきつつ言いたいことのメモを書き、番号を確かめ、もう一度番号を確かめ、言い出しをどうするかリハーサルをし、番号を凝視しながら震える指でテンキーを押し、かける前にまた番号を確かめやっと電話を済ませた。どうして数分の電話ごときに、そしてそのための事前準備十数分のためにあんなに疲れなければならぬのか。ともあれ予約をしてしまったため、もう戻れない。俺はまるで精神疾患持ちの様に、人生初めて噂のアノ『精神科』にかかるのだ。そう考えると不謹慎ながら、若干の高揚感もあった。

 

 水曜の授業終わりの午後、講義教材など抱えたままバスに乗って病院へ向かった。移動時間はずっと、ヘッドホンで平沢進メドレーを聴いていた。その当時の私の流行だった。頭が蕩ける、けったいな音楽を無限にループさせていたい時期だった。

 すぐに先生の診療が始まるわけではなく、精神科初診だったため綺麗なお姉さんカウンセラーと軽くお話をしてからだった。

 「どういう風に感じていますか」「眠れていますか」「動悸がすることはありますか」

 『ストレス診断』系の何某で百万回された質問たちだった。私はネット上の『ストレス診断』系の何某を片っ端からやって、片っ端から『重度ヤバい病院行け』と言われ、うわっはっはっはやはりネットのチェッカーなどポンコツよのうと嗤っていた。口頭でされた質問に対しても実にちゃんとした日本語でスラスラと回答できたので、自分から精神科にノコノコ顔を出しておいて精神疾患の自覚が薄まってしまい、『お前は精神疾患ではない』と追い出されたらどうしようかと少しびびった。追い出されなかったので、よかった。

 

 お医者は愛想のないタイプのおじさんだった。精神科医にもどうやら色々なパターンがいて、例えば姉のお気に入りの精神科医は歯に衣着せぬ物言いの鉄面皮で明らかにアスペルガーな先生だったらしく、姉的には『めちゃ好き』だったらしい。私が(電話したくないとかアクセスがいいとかの理由で適当に)選んだこの先生も、どちらかと言えばそういう感じのおじさんであった。

 それでOーキド氏やさっきのお姉さんカウンセラーに言ったのと同じ様なことをそのお医者にも言って、抗不安薬的なのが欲しいですと直球的に言った。

 お医者はフンと笑った。

 

「あのね、精神科ってそういうノリで薬渡してオシマイってところじゃないの」

 

 ですよね。

 いや、だって、オーキド氏がそういうノリだったもんだからもしかしてと思って一応聞いてみちゃっただけだよ。そう簡単にこの心のダークネスが払われてたまるかと思ってたよ。

 まぁ向こうは医学部を出、多くの患者を診て数多の経験を得てきた紛うことなき賢者であり、対する私は誰もが難なく通過できる必修講義如きでメンタル崩壊するほどの、至極スットコドッコイの愚学生である。

 そういう訳で、私は愚学生らしく『イヒェwwwソスヨネwwwwwスァセンwww』というようなことを言った。このキモオタは、いつだってフヒヒと笑って誤魔化しがち。

「いやまあ、抗不安の奴は出すんですけどね」

 出すんかい。

 心の中の関西人が盛大にずっこけたが、今ここでずっこけたらこの能面医者と背後にスタンドの様に立つ看護婦に白い目で見られかねなかった為、実際にずっこけるのはやめた。状況によっては○本新喜劇よろしく椅子からちゃんと落ちただろうが、仕方がない。能面の人間に対して関西人スキルを放った場合、ダメージがくるのはこちらなのだから。

 そのほか、ちょっと口を滑らせ家族構成や家族が陥っていた状況なども、どうしてか酷く詳しく聞かれた。正直今の私のストレッサーとなんら関係はないのだから、そんな深刻そうで真面目な顔をしてカルテに打ち込まないで欲しいと思った。精神科医との診察は、自分が言ったことほぼ全て一言一句と言っていいほどの事を一々パソコンのカルテに打ち込まれ記録されてしまうので、やや恥ずかしい。

 そんなこんなで一通り話が終わり。

 お医者は一つのお薬を、恐らく抗不安薬の類の何かを私に提示してきた。若干こちらにも見易いよう傾けられたデスクトップ画面を見ると、薬の名前が映っていた。

ワイパックスと言います、一回一錠」

「聞いたことねえな……」

「普通知らないもんですよ」

「(せやったわ……)」

 リーゼ……エビリファイ……ドグマチール……デパス……など、知っている精神薬の名は結構あった。何故なら家の中、私の真横にいた人の口から、よく聞いていたので。

 『リーゼ』を飲んだその人は、明らかに“頭がパー”になっていたことは覚えている。後ほど分かったがワイパックスは効能だけで言えば、リーゼの下位互換に近い薬物だった。

「それからさっきの話を聞いててですけど、心理検査もやってみます?」

「えっ!? やっていいんですか!?」

「えっ……やりたいんですか」

 引かれた。

 引くなよ。

 ネット上の無料で出来る、しかし相応に特に正確性は高くない自己診断などが大好きな人間だった為、人生一回でも金を払ってちゃんとした自己診断をしてみたかっただけだ。この手の診断系は何故だかめちゃくちゃ楽しくて、手を替え品を替えあらゆるテストで遊んでいた。予想通りの結果が来ても、そうでなくとも楽しかった。

 それから『かなりの奇人だ』『全くもって常識人だ』両方の言葉を同頻度にて言われる自分は、少なくとも心理検査の観点においてはどちらであるのかちゃんと知りたかった。

「どういう検査かはご存知ですか」

「IQ検査の類がありますよね。あと結果の数値がジグザグで、まるで調和性のなかったらしい姉が典型的なADHDと言われてたり」

「ああそっか。そりゃ知っていますね」

 その時点で姉の事も若干白状させられていた為、お医者もふむふむと頷く。その日のうちに検査の予約を取って、先ほど言われた薬の処方箋を貰い、次はいついつ来てくださいと言われて終了だった。

 

 帰り道、人生初めて行った精神科についてずっとずっと考え込んでいた。

 感想の第一は、「やっぱりね」だった。何がやっぱりだったかって、「医者と話すだけで気分が晴れるわけがなかった」という、至極当たり前のこと。実際見ていたし、簡単に消しゴムで消す様に何かが綺麗に解決するなんてそんな事は起きないとちゃんと分かっていたのに、しかし心の奥底では『精神科にかかればなんとかなる』と思い込んでいた部分があった。お医者の愛想の無さも相まって、帰り道はかなり気分が沈んでいた。

 

 薬はとても小さかった。一錠で効くとは、流石は精神安定剤。どれ今夜飲んでみよう。

 ……うん……いつまで経っても全然効かねえ。

 本当にこれ一錠か? と思いネットで調べた。ちゃんと錠剤の大きさや名前も間違えないようにして、信用できそうなサイトを見た。

 『用量:二~六錠』と書いてあった。キレた(キレてはいけない)。

 全然大丈夫じゃねーかと次の日は四錠いっぺんに飲んでみた。するとどうだろう、十分程度で完全にデキ上がってしまった。

 まず頭がふわふわする。それから嫌な思考駄目な思考が全て視界の外へ飛んでいく。端的に言えば物凄く楽しい気分になれて最高だった。眠気もバッチリ、iPhoneで計測している睡眠の質記録を見ると五分以内に意識を飛ばしている上にグラフがほぼ垂直に『深い睡眠』方向に落下していた。

 ただ、勿論デメリットはあって、それは次の日の件の一限講義に出る事が更に困難になったこと。即ち『次の日の一限の講義が怖過ぎて眠れない』から、飲んだ薬は『その怖い一限の講義に冴えた目で出る為に』飲んだにも関わらず、『眠気が引きずり余計起きられず結局欠席した』という結果になった。嘘やん……と思った。

 またそれだけではなく、どうにか二限の別講義には出席できるものの、薬はまだ抜けない。歩く力加減が分からず百万回くらい壁に衝突し、足がもつれ転倒する。よもや薬が多かったのかと思ったが、二錠ではやはり効かず三錠でも心許ない印象だった。やはり四錠、しかし飲んでも結局起きられない。ただただ、頭が馬鹿になるだけ────。

 しかしそれでも頭が馬鹿になりたいというのは長年心底願っていたことなので、有難く薬は飲んでいた。四錠。

 

 精神科はいつも水曜だった。午前二つと午後一つの講義を終わらせたらやや早足でバス停へ行き、バスに乗って降りて、ちょっぴり歩いて病院へ。道中聴く曲はやはり平沢進だった。

「先生先生、あの薬、物凄く弱いですよ」

「そっかぁ、一錠じゃあ、弱いですか」

「四錠でやっとって感じですわね」

「四錠か……」

 医者の言うことを聞かず処方箋を乱用した事を素直に言う患者は如何なるものだろうか。

「それなら、ちょっと今日から抗鬱剤の方も使っていきますか」

 頓服ではない薬が追加された。こちらの抗鬱剤は、稀だが唐突に凄まじい吐き気に見舞われる以外の効果はほとんど分からなかった。

「そのくらい飲まないと眠れないんですよね。でも嫌過ぎる事がある日の前日だけ全く眠れなくなるつって飲むんですけど、眠気が引きずって結局起きられないんです。どうにかなりませんかね」

「ハッキリ言いますけど。嫌な事がある日の朝起きられないのは当然です」

 いやまあそうなんですけどそうじゃねえ。

 そこを何とかしたいんだ。起きなきゃあいけないから私は今ここにいるんだ。

「あとさっき貴女、夜二時になっても寝れないと言いましたね」

「はい」

「最近の大学生みんなその時間起きてますよ」

「嘘でしょ……」

 いやそこで他の大学生の話を出さないでくれ。

 私は夜十一時までには寝て八時間以上睡眠を取るということを十八年間続けてきたのだ、それが乱れたからキツいのだ。他の若者の話など私の知るよしではない。

「まあ今日多めに出しときますけどねワイパックス

 出すんかい。

 妙な話はしないでくれと思った。

 そんなこんなで少し薬が増えた。相変わらず抗不安薬は眠れない日や件の講義の前日に一度に四錠摂取した。やはり講義には出られなかった。

 代わりに頭が変になった女がこの場には居た。

 

「私はねえ、今白い塔なんですよ」「エッフェル塔みたいに足があって細いやつ」「それで今、私の下で五人くらい小さな子供達が遊んでいるんですよ」「かわいいですねえ!」

 

 この台詞は、ガチで言っていたものだ。

 しかも人との通話中に。

 リア友カップルとのLINE通話かフォロワー二名との通話か、はたまた両方かはもう忘れてしまったが、寝床の上であぐらをかいて蹲り、大学のレポートをパソコンで打ちつつニコニコしながら『自分は無機物の塔である』と楽しげに主張したのだ。通話相手になってくれた人はさぞ恐怖だったろうと思う。本当に申し訳がなかった。

 しかし信じてほしい、あの時の私は本当に『白い塔』だった。夢を見ていたのに近い。有り得ない状況が現実であると深く信じ込み、わざわざそれを主張する。

 自分で自分を塔と形容しながら、私は『今、自分は狂った発言をしている』という明確な自覚があった。聞いている人は心底気味が悪いに違いない、側からみれば自分は完全に狂人だ、他者に近づくべきではない────そうハッキリ思いつつ、しかし私は狂った発言、高らかな哄笑をやめなかった。どうしてだろうか。狂った自分を敢えて見せて、誰かに助けて欲しかったのだろうか。

 しかし誰も私を根本的には助けられるわけがない事も、ちゃんと私は分かっていた。

 頭が変だったので、この辺りの時系列はちょっと記憶が曖昧だ。

 

 バスに乗って病院へ行き、薬を貰いに行った。バスの中で平沢進を聴いていた。

 列を成せ 汝 従順のマシン

 享受せよ さあ 思慮は 今 罪と知るべし

 

 ヤイヤイと 人 人 人の目が君を追う

 ヤイヤイと 人 人 人の目が君を見る

 ヤイヤイと 人 人 人の目が君を追う

 ヤイヤイと 人 人 人の目が君を見る

 ヤイヤイと 人 人 人の目が君を追う

   (Big Brotherより)

 診察を受けに行くというより、当方の感覚としては『薬の処方箋を貰いに行っていた』に近い。何故なら此の期に及んでまだ私は、自分が健康体であると思い込んでいたからだ。

 健康体、とする比較対象は又しても姉である。

 学力、容姿、その他の能力全てを姉と己を比較し、嘆いて後悔しもう比べるのはやめたと豪語したクセして、まだ姉に取り憑かれていた。もしかしたら、いや確実に今もまだ取り憑かれている。とにかく山のような薬を朝昼晩飲んで、飲み忘れれば家族の前だろうが劈くような絶叫をし、何の前触れもなく夜中においおいと泣き出すあの人の事しか私は知らなかった。

 その為辟易しつつも大学自体には行けており、同期に話しかけられればそれなりに愛想良く返事ができて、たった一種類の薬さえ飲めば頭がぱあになってゲラゲラ笑いながら眠る事ができていた私は、明らかに『姉より軽症』即ち『精神は健全の域に入り』『己がただ弱いが為に医者に縋っているのだ』と思っていた。

 だからだ、医者に行くのが“狡い”のは。

 ちょうどその頃渡された心理検査の結果を見てまた私は笑ったのだった。

 「ほら見ろ私は有象無象だ、甘えだ、弱さだ、姉には与えられなかったものを何もかも持ちながら尚人生に楽を求めるのか」。

 図らずも中学生の時の悟りを思い出していた。

 「お前は凡人だ、凡人以下の能しかない有象無象だ、天才の姉と血が繋がっているという理由だけで己も特別と思い込み、母親に煽てられるままに傲り昂っている虫ケラだ」────。

 

 朝起きてまず「死にてえ……」と思うことが増えた────というより、毎日それになった。

 ある朝は幻覚を見た。私の腹部の上に黒い猫が乗っていた。猫はこちらを見ていたが黒いので顔は見えず、私はただ「爪の汚い猫だなあ」と思っていた。気がつけば猫は消えていた。

 日暮が早くなってきた時期の夕方。授業が終わり、片道十分程度の徒歩での帰路。何故だか何度も足が止まった。ただ家に帰るだけであり、大学に行くわけでもなく、寝床のある誰もいない家に帰るだけであるにも関わらず。ざっざっざっと歩いていると、途中でびぃんと足が止まった。地面から細い杭が飛び出てきて足を貫き、縫い止めた様な感じだった。しばらく突っ立ったままぼーっとして、自然と杭が抜けて歩けるようになればまた歩き、また歩けなくなり止まり、また歩き……と、それを繰り返しながら時間をかけて歩いて帰った。これは家に帰りたくなさすぎて、家族と顔を合わせたくなさすぎて、勉学に疲れすぎて、心底疲れ果てた受験生時代の予備校帰りにも起きていた現象だった。

 受験期と似た症状として、『階段を上がれなくなる』もこの時起きた。右と左と、どっちの足を前に出して踏み込むべきなのか、一~三段ごとに分からなくなるものだった。実際時々転倒した。階段で立ち止まりつつゆらゆらふらふら奇行に及ぶ人間へとまた還ってきた。

 大学の帰りに川を見下ろしては、自分が橋から飛び降りて溺れ死ぬ様子を脳内で描写した。大抵その脳内妄想の中で何らかの助けが来て、自死自体は免れていた。だから「じゃあまだ駄目だな」とだけ考えて、また橋の上に戻ってきた。死ぬ直前になってから「やっぱり死にたくない」と喚きつつ、冷たい川で動かなくなる愚かな自分を何度も何度も妄想して。しかし自分の死体は別に見えることはなく。

 ……と、ここまで来てとうとう、やっとこさ。

 自分には決して軽いとは言えない精神疾患があるのだと自覚できたのだった。

(今こうやって書き出している間も、この内容に自分でかなりドン引きした)

 

 そう自覚した私がした事は、やった事がない『対策』を講じる事だった。やった事がない、やる気もない、というより全力でやるのを避けていた事。それは、浜辺にえっちらおっちらSOSの字を並べる事だった。

 とは言え、実家に助けを求めるくらいなら流石に死んだ方がマシである。長女に続き次女まで死にかけているなんて親が知ったらどうなるか、そんな事を知らせるくらいなら、知った瞬間の親の反応を見るくらいなら誇張なく冗談抜きで死んだ方が遥かに私にとってマシである(大不孝者)。

 そういう訳で私は、比較的近所に住む叔父と叔母にメールを送ったのだった。大体の内容はこう。

 

「やあやあ叔父叔母、ど暇で運動不足の姪を一日こき使う気はないだろうか? ついでにもふもふの恒温動物を撫でさせてほしいですぞ」

 

 叔父叔母はこれだけで大体察してくれた。いったいどういう察知能力をしているのか。とにかくそうして私はまんまと気分転換へ行った。行った時の話はこれ。

 

 

 

 電波のない所に一日いたので、何名かからは『早まった』と勘違いされた。これはそう周囲から勘違いされる程に、分かりやすく私は精神が参っていたということでもある。

 割と馬鹿のように、しかも『趣味』に限定し絞った上での感想を書いてはいるが、私はかなり元気が出たのだった。『趣味』というより、『人生』である。

 私は自分だけの人生を、ただ楽しく生きたいだけだ。しかしどうも楽しく生きられなさそうで、実際全く楽しくなくて、それに引き摺られ楽しかった筈のことも楽しくなくなってしまったので心底絶望していたのだった。私は飽き性で、楽しくない事を続ける事は出来ない性格である。従って自分の人生すら続ける気が失せた、そういう訳だ。

 そんなヘボ過ぎる性分のおかげで、マトモな勉学も捗らない。もとはといえば捗らない、捗らなかった勉強が講義の理解を妨げ、教授への恐怖に置き換わり、何も出来ない自分へのヘイトが募って心が大破したのだった。トンだ人生イージーモードの甘ちゃんである。

 

 気分転換を経て暫く振り、とはいえ二週間ぶりにお医者に行った。

「どんな風に過ごしましたか」

「いっぺん凄い希死念慮が来ましたね」

希死念慮来ちゃった?」

希死念慮来ちゃった」

 これは豆知識だが、『漠然とした死にたいという気持ち』を希死念慮といい、『こういう風に首を吊りたい、ここの高台から飛び降りたい』と明確に計画立て始めるものを自殺願望というらしい。私は幸い自殺願望は抱いた事がない。

「まあ先日気分転換ができて今はここ数ヶ月で一番調子いいですけどもね」

「そうか……希死念慮来ちゃったか……」

「先生聞いてます?」

「来ちゃったのか……」

 めちゃくちゃ抗不安薬を出された。何だこの量。

 この時の薬はほぼ使う事なく、今も実は手元に残っている。

「年末に実家帰ったりする?」

「そうですね、〇〇日から」

「じゃ次はクリスマスね」

「クリスマス」

 華の女子大学生初のクリスマスの予定が精神科に決定した瞬間だった。正直言って最高だった。

 男とお出かけする事を聞いてもないのに仄めかすキャワイイ同期の話を聞きながら『そんな偉そうな口を聞いていいのか? 私はこれから精神科医のおじちゃんとデートするJDやぞ』とマウントを取りたくなった。取らなかった。

 

 この時既に私は五回連続で件の講義を欠席していた。

 落単が確定していた。

 清々しい気分で資格取得を諦めた。

 一年後、もしくは就活中の未来の自分から凄まじい怒号が聞こえたような気がしたが、無視した。

 もう怖い講義に行かなくて良くなって、途端、毎日よく眠れるようになった。

 

 どうにも印象的だった出来事を、此処に書いておきたい。

 夜、授業終わり、夕飯風呂など済んだ状態で、眠気が来ぬままぼんやりTwitterを見ていた二十三時過ぎ。台風の時期で、マンションの直ぐ前を流れる河はそれなりに増水していた。

 タイムラインにひとは少なかった。ネット上に浮動する多様な人格たちの独り言を順番に流し読みながら、その時の私はひたすらに後悔していた。何を後悔していたかって、その直前に友人二名と通話していた時に「マジで朝起きられへん」などと、聞かれてもいないのに脈絡のない愚痴をこぼした自分を後悔していたのだった。

 友人二名はデキていた。どちらとも私は仲がよく、特に片方からかなり慕われていたのでしばしばそのアベックの間に引き込まれ三人で他愛のない会話をしていた。人と話せばちょっとは気分が紛れるかとも思えたので、私も通話の誘いは快く了承していた。しかしながらそれは不味かった。この時私が学んだ事は、『気分がひどく沈んでいる時に幸せなアベックの楽しい会話を聞いてはいけない』ということだった。彼らの楽しげな会話を、私の些細な愚痴が台無しにしてしまった。友人らには何の非もなく、私のメンタルは地に落ちた。

 そういう訳で希死念慮がマックス付近まで来ていた私は、ぼんやりしたままこんなツイートをしたのだった。

 

「このまま川縁に行ってもいいか」

 

 ……といったような内容の。

 昨晩豪雨。増水河川。川縁散歩。そういう事。

 ツイートをした私は、そのまま寝床にスマホを置いて立ち上がった。ドアを押し開け居間を出て、廊下を歩いて玄関に。古いビーサンを履いてドアストッパーと鍵を開けて寝間着のままに外へ出た。そうして外の廊下の手すりに乗り出して、轟々と音を立てて流れているミルクティーの色をした河を見下ろした。

 轟音と共に流れる河。冷たい風。静かな深夜の町。

 数分そこら廊下に突っ立ち、我に返ってゾッとした。

 

 自分は今、何を吐かした?

 この豪雨に巻き込まれ死んだ人が、日本の何処かにいなかったか?

 死にたくないと願ったにも関わらず土砂に溺れ瓦礫に潰され死んだ人が、日本の何処かにいたんじゃあなかったか?

 そんな人の存在を知りながら、ちょっと人生が上手くいかない程度で何が「死にたい」だと?

 ふざけるのも大概にしろ、お前は今、踏んではならないモノを平然と踏みにじった。

 

 募る自己嫌悪に反吐が出そうになりながら、部屋に戻った。日付が変わるくらいの時間帯で、Twitterに人はほぼいなかった為ツイートをしてしまったという事はその時心配していなかった。それに夜、恐ろしくネガティブな発言をする人間など、普通に目を逸らされる。私も逸らす。徹底的に目を逸らして生きてきた。見て反応しては自分も傷つくからだ、人を助ける暇があったら私は自分の人生を送るのだと、そう思って生きてきた。

 そういう訳で知らぬ存ぜぬでツイートを消そうとTwitterを開いた。

 

 ツイートに言及し、私を止める人がいた。

 

 大層慌てた。見られたと。不快でキモくて見苦しくて「もう頼むから他所でやってくれ」と塩を撒きたくなるものを、何も知らない人に見せてしまったと。慌てた私は消すより前に謝り倒した。ついでに私のTwitterなど見てはいない全く別の人々にも謝り倒した。

 普段は通知にあまり顔を見せぬフォロワーが心配のリプをくれた。更に慌てた。返信はさせていただいたがとにかくすぐにでもフォロワーとの会話を終わらせようとした。しかしそのフォロワーは繰り返し慰めてくれた。私は酷く混乱した。

 メンタルが崩壊している人間には、極力関わらぬに限る。横にいるだけでも悪影響を及ぼされるのに自分から声をかけるなどまさに自殺行為ではないか。しかも事情を知っていたとしても実際に力になるのは困難な上、お互い事情どころか顔も知らない馬の骨同士である。変に優しさを発揮すれば自分が疲弊してしまって、つまりは優しい人ほど馬鹿を見るのだ。人の不幸に心を痛める“優しい”人間になんてなりたくなかったと、私は何度叫んだ事だろうか。

 しかし更に別のフォロワーから声をかけられた時に、やっとぼんやりと救われたのだった。それらによって、ネット上の人格の細やかな優しさによって自分の状況を抜本的に覆すものを提案された訳でもなかったし、実際その後も何回も希死念慮に侵された。それでも『ネット上に浮動するだけの、何もかも嘘まみれかもしれない一人格』を心配してくれる人がいるんだと思った時、酷かった抑うつ感は間違いなく軽くなったのだ。べそべそ泣きながら何度も彼らの言葉を読み返した。

 

  希死念慮、という言葉を存外重く受け止めていたお医者だったが、それからほんの数回で通院は解除になった。薬もいらなくなった。お医者からそう言われてホッと一息ついたのを覚えている。

「いやもう一、二年くらいは面倒見ることになると思ってたな」

 お医者はニッコニコしながらそう言った。

「嘘でしょ数ヶ月で済みましたやん」

「そうよ? ホントビックリだね」

 こちとら年単位見積もられていたという事実にビックリだった。

「だって最初ここ来た時会話できてなかったもんね」

「ん?」

「段々会話できるようになってきたよね」

「……ん? 会話って? 誰と?」

「うん? 僕と」

「先生と誰ですか?」

「いや……」

 貴女だけど、という言葉を聞いて間抜けたカラスのような声が出た。意味を推し量り、『会話』の第二第三の意味を脳内辞書で引いた。

 ちょっと何言ってるか分かんない

 別の話をしようとしている医者おじさんを引き止め問い質してみた。

「いやいや会話……、は、私出来てましたよね? だって初回に先生と話してたこととかちゃんと覚えてますよ。どういう『会話できてない』ですか?」

「へえ……そっか……」

 興味深そうにお医者は言った。

 

 『貴女は“アレ”で会話できてる“つもり”だったのね。』

 

「……、…………」

「ま、とにかく通院終了ですね。余ってる薬あるでしょ、アレにまた手を出さざるを得ない状況になったら来てください」

「じゃ無くなったらまた貰いに……」

「いや手を出す前に僕の所に来てね」

「ふぇ……」

 お世話になりました、と頭を下げて、帰路につく。バスの中でずっと『会話できてなかった』『会話できてるつもりだった』について考えていた。会話とは何だろうかとも考えた。私は初回、それ以降もちゃんと自分の意思で考えて発言し聞いて考えていた。少なくとも私の記憶ではそうだ。

 私が緊張していたというだけでは? だって最初はあのお医者、愛想がなくて怖かった。

「……。」

 そう考えたところで、思い至る。

 『────もしかして、私の認知が歪んでた?』

 最初からあのお医者は気のいい可愛いおじさんだったのではないか? 私の方の認知がズレ、他人の感情を読む事が出来なくなっていたとしたら?

 

 私の方が『狂っていた』のだとすれば?

 

「……ヒィ…………」

 怖あ。怖くて思わず声が出た。

 こんな事が実在すると身を以て知った。

 己の人生にとってとてもいい経験になった。

 

 そして、もう二度と行かないようにしようと、それはそれは固く誓ったのだった。

 

 

 

 ────ちなみにこれを書いている昨今の私は不眠が著しく、少しずつ薬の在庫が減っている。

 行きたくないぞ⭐︎精神科

 

  石澄香

 

 追記:あの後ちゃんといきました