突然だが復学することにした。
は? 前回あんなメンヘラ記事上げておいていきなりなんだ?
知らん……私に聞かないでほしい。ありのまま起こったことを説明すると、絶対復学だけはしたくなかったはずがいつの間にか復学の意向を固めていた。いやあ人生何が起こるか分からぬ、とはよく言ったものだ。
一年前の地獄の課題のスケッチの一部は、何と残っていた。気が狂いそうになりながら極寒の実験室で徹夜しながらキャラメルラテだけ口にして点を打っていた、あのスケッチである。正直やや記憶があやふやであるが、『二度と理系大学生なんかになってやるものかァーッ!!! 』と絶叫しながらゴミ箱にダンクシュートしたのではなかったか? しかし実際スケッチの紙束はある。テキストも捨てられておらず見えない棚と引き出しの中に放り込まれていただけだし、机の奥からはペンケースも出てきた。iPadの中の授業記録も、MacBookの中の課題ファイルも綺麗に残っている。
果たして実は自分、意外と復学を視野に入れていたのか? 否、決してそんなことはない。退学、というかそもそも人生からの退学をしたがっていたので、全く視野には入れていなかったと言える。
然るに何故復学などという死ぬほど嫌なことをすることに決めたのか?
偏に挙げられる原因といえば、私が重度の“オタク”で有ったことだろうと思う。
八月頃。
世間の大学生たちは夏季休業だった。私も形式上は大学生であったはずだが、もう長らく使ってもいない学生証を見せびらかして学割を使わせて頂くたびに自己嫌悪した。私は社会的に庇護を受けるべき学徒では最早なかったからだ。
最初に出した休学届の期間は、診断書の関係上半年分。無論というか勿論というか、後期から復学できる気は全くしなかった。外に出て僅か三時間作業しただけで、または小一時間キッチンで凝った料理をするだけで貧血卒倒するのだ。
医者のおじさんに、もう半年分休学のための診断書作成を要請すると、おじさんは
「じゃ~そんな貴女に魔法の紙をあげようね」
と診断書を出してくれた。
診断書って魔法の紙だったのか? そしておじさんは魔法使いだったのか? シブい魔法使いだな。
魔法の紙を携えてもう半年分の休学手続きでちょっと大学の学務に寄れば、徐ろに気分が悪くなってくる。学務のオフィスに並んだ書類の背表紙たちが、みんなして私を責めているのだ。学内を歩き回る他の学生たちは私を軽蔑している気がしてくるし、いつ何処から顔見知りの元同期とかち合ってしまうか分からず、構内全体が恐ろしかった。
一斉送信リストに入れられているらしい大学からのメールも、通知をブロックしたいくらい見るのも嫌だった。何処何処の教授が講演に来るよ、院生の発表会があるよ、就活相談会があるよ───言われても困る。私にはもう何もできない。
因みに『大学やめんの?』といきなり送ってきた苦手な同期からのLINEは、びっくりし過ぎてうっかりマジでブロックしてしまった。すまない同期、キミは悪くない。ただタイミング悪くキミがそれを送ってきた丁度その瞬間、私の情緒がクソカスだっただけ。
普段何して過ごしてる? と医者おじさんに毎回聞かれたが、答えることはほぼ同じ『些細な趣味の他特に何もしてないです』。
常に体内で老廃物が滞留し続けているような感覚があった。
眠剤だけが頼りだが、一日何も行えなかったことが悔しくて悔しくて中々錠剤を放り込むことができず、結局毎晩夜更かしをする。
耳の奥からは「ピーーー─────……」という何らかの警告音らしきものがずっと鳴っている。
そして日々同じ問答ばかりを性懲りも無く行う。果たして食事は必要なのか。一定の栄養が添加されたペースト状の何らかを吞み下すか、血管に直接突っ込んでしまった方が何もかもが生産的ではなかろうか。そう考えながら寝床でぼーっとしていると徐ろに全身の細胞一つ一つが不満をあげるように具合が悪くなってきて、水を飲むとマシになる。そして実家の犬のゴハンよりもクソ雑な飯を食べる。
巻き爪が痛いので引っこ抜いて捨てたい。胃が痛いので掴み出して捨てたい。余計なことを思い出してしんどいので自我を捻り潰して捨てたい。呼吸が面倒なので己の生命活動にトドメを刺したい。
皆殺してしまえ。麦茶のピッチャーに殺鼠剤を入れろ。包丁を鼻先へ投げろ。灯油を撒いて火をつけろ。寝室を締め切って炭を焚け。
嫌だ嫌だずっと仲良しこよしでいたい。褒められたい撫でられたい。無償の愛を与えられるままでいたい。そのためならばなんだってするのに。
はたと気付けば九月も半ば。
去年の自分は何をしていたろうか。来年の自分は何をしているだろうか。ちょっと現実に帰って就活カフェなどを覗くも、あまりの自分の空っぽさを思い知ってただただ凹んだ。凹んでツライのでワインを飲んで失神する。
目が覚めて一人しかいない部屋の中で、急に食パンが食べたくなった。しかし食パンも牛乳もマーガリンも長らく買っていない。そもそも起き上がって焼くなんてことができない。
朝起きて、寝間着のまま一階に降りて、
「お早う、食パンはピーナッツバターでいい?」
と、三人分の弁当の準備をしながら聞いてくる母の声を思い出して、足元にすりついてくる柴犬を思い出して朝から寝床の中で泣いた。
実家に帰りたい。二度と帰りたくない。
まだ昼前なのにもう一回眠剤を飲んで、カーテンを閉めてアイマスクもしてもう一度眠った。どうせ何にもできない。
あの日もそうだった。好きなゲームクリエイターも出てくる、好きなゲームのアニバーサリー配信も途中で寝落ちた。朝八時に目を開けられたのが奇跡だったが、大好きなゲームの話題でも起きていられなかった。
寝転がりながら見る手から滑り落ちるスマホをぼんやり見ながら、いつものように絶望したのを覚えている。どうして起きていられないのか、この程度のことすらできないのか、嫌いなものならいざ知らず、好きなことの話だというのに───。
実家絡みの恐ろしい夢を見ながら大体数時間で目は覚めた。頭痛が酷く昼過ぎだが吐き気もした。
当たり前ながら見ていた配信はもう終わっていた。アーカイブもあるだろうが、長い動画をいちいち見返す気力も失せていた。よく見かける『歳を経るごとに好きなものを鑑賞するための体力が尽きてゆく』というのはガチなのだろう。あーあ、そろそろ本当に死んだ方がよかろうか。
眼鏡もかけず意識も不明瞭で色々ボロカスなままツイッターを流し見た。こんなことをするからたまにどエラい誤爆をするのだ。しかしツイ廃としては呼吸をするようにタイムラインを見る生き物だからしょうがない(?)。
そうして見た液晶に表示されるインターネットフレンズは、何やら大騒ぎしていた。騒ぎのもとをゆるゆる遡って、私もそれを寝惚け眼で読んだ。
……。
なんか、五回くらい夢で見た話が目の前で飛び交っているな、と思った。
遅刻に気付いた瞬間、どんな寝坊助でも一瞬で脳が覚醒して飛び起きることができるメカニズムがあろう。
アレが発生した。遅刻以前に起きねばならない外出予定を殆ど失くした私にとってかなり久々だったと言える。
大慌てで目を見開いて擦って。吹っ飛ばしそうになりながら眼鏡を掴んでかけて、目を疑うそのネット情報のソースが“ガチ”であることを確認した。こんな漫画みたいな挙動を自分もできたのかと思うくらい漫画みたいな反応をした。
三年ほど前から、五回くらい夢に見るほど『楽しみに』していた話が、私が寝落ちた配信の最後でドドドンと発表されたというのだ。ゲームの新作情報だった。
『あと四十四時間でDLできるようになるよ』
推しクリエイターによりそう発表されていた。
三年前から待っていたコンテンツだったが、正直十年くらいは待機期間を見積もっていたものだったので、目の前の現実に只々呆然とした。それがあとたったの四十四時間? 丸二日もないと?
私はそこでふと顔を上げ、自分の部屋を見た。
元が広い部屋であるから足の踏み場こそあれど、むっちゃ汚かった。なんか空気も澱んでいる。それから放置された衣服の隙間から柴犬のぬいぐるみの尻が突き出ている。「こちらが現代の社会不適合者たる二十代女性の私室です……」とレポートされてもいい見本になれる感じの汚さであった。
私は思った。
『この汚い部屋の中で待ちに待った推しゲームをプレイするのか?』
スー───ッと頭の中の霧が晴れていくのを、私は明確に自覚した。視界の悪い脳内は好きなコンテンツや好きな人との会話、好きな食べ物や好きな音楽で持ってしても完全には晴れず、払っても払ってもキリがなかった筈だった。霧だけに
部屋も汚く、冷蔵庫の中身はどうしようもなく、髪はなんかめっちゃ伸びてるし肩凝りがエグい。そのまま起きた私は自分の体力と相談する時間を設けないまま、部屋の中を片付け買出しに赴き、スマホでそのまま次の日で散髪とマッサージ屋の予約を入れた。五十代後半の女性の手を思わせるほど疲労の色が浮き出る手は年齢並みになり、髪は一部がアニメキャラ並みに真っ赤になった。
自分でも引くほどの行動力で、
「躁ではないですか?」
と叔母に言われ、
「ソウかもしれない……」
と思った。のちに医者おじさんに「そうじゃないね」と言われたので、躁ではなかったが。
ソウして上記のことを見事四十四時間以内に済ませた私は、自らを許せる状態で三年間待っていた新作を遊んだのだった。
九時に公開されたものを六時間ぶっ続けて遊んで、糖分不足で震える指でスマホを弄りサウンドトラックを投げ銭付きで買い、すっかりこの一年で退化したなけなしの英語力で推しクリエイターに感謝のメッセージを送った。『過程(process)』レベルの語彙力が消し飛んでいた自分に仰天した。
それでも出来うる限り、字数制限を考慮しながら推しクリエイターに字をしたためた。『いちファンの命を救ってくれて有難う』と。
その日から目に見えてクオールが上がった。
当たり前のことだが、朝のグラノーラも含めて三食食べて、洗顔して掃除機かけて夜日付が変わる前に眠剤を飲むってことだけでも行えば、夜安心して眠ることができることが分かった。
受験生時代など世話になった、スマホでできる英語学習を再開した。米国留学で無双していたはずの呂律はカスの其れに成り下がっていたが、一週間経つと読み上げ力が戻ってきた。あれをやろうこれをやろう、とやりたいことが増えてきた。
常々不思議に思っていることがある。生産的な趣味、心昂ぶる嗜好を持たぬ現世の『非オタ』は如何にして苦痛を乗り越えているのだろうか?と。
私が徐々に人間の形を取り戻そうとしてきた頃、近所に住んでいた学内唯一の友人が死にかけのLINEを送ってきた。
彼女とは学部が違ったが、彼女も彼女で私がぶっ倒れた頃から大学周りのストレスで潰されていた。死にかけたLINEはまるで一年前の私そのもののようで、私自身の心身の調子がやや回復してきているのが最早運命であるなあと思いながら彼女の首根っこを掴んで精神科に突っ込みに行った。コレを使ってよいぞ、ソレは今は放置するのだ、アレをやるがよい、ドレはちゃんと持ったか?と久しぶりに人にあれこれ指示を出してサポートみたいなことをして、そして精神が弱りきった人間を俯瞰して見て、人間的活動が何たるかを少し思い出したような気がした。
ある晩の話である。
例の如く中途覚醒した私は、ふと窓のカーテンに目を向けた。私の寝床は窓とほぼ接して平行になっていて、仰向けならば少し顔を傾ければカーテンが視界いっぱいに映るのだ。中途覚醒する時間帯はまちまちだったが、その時の外は真っ暗だった。
カーテンがレールから少し外れていた。滅多に外れることがないので不思議に思いながらそこを注視すると、その隙間からこちらを見下ろす目が見えた。ベランダから窓越しに、寝ている私を見下ろしている人間の目が。
動転しながら枕元に置いてあったスマホを掴んで、私は起き上がる。カーテンを引っぺがすように開ければ、直立不動でこちらを凝視している背の高い人間がベランダに立っているのが見えた。ここまでどうやって上がってきたのか?
しっかり目がカチ合ったので、てっきりそのまま逃げていくものだと思っていた。しかしそいつはなんと表情を変えぬまま、窓の枠に手をかけたのだ。そして躊躇う様子なくこじ開けようとする。
マズい、二重窓、両方鍵がちゃんとかかっていたか自信がない(サッシが歪んで鍵がうまくハマらぬのを自力で直せぬまま、長らく補助錠でごり押していた)。
飛び起きて窓を抑えつつ、スマホで110を押しながら私はベランダの不審者の目を見据え、
おどりゃあタダで逃げられるとは思わんことやぞゴルァ!
という感じの旨を叫んだ。ビビると実はすっかり萎縮して声が出なくなるタイプの私であるが、少なくともこの時は到底カタギとは思えない口汚さが飛び出した。
するとその人間は、徐に懐から拳銃を取り出し(!?)、それはそれは完璧な照準でガラス越しに私の眉間へピタリと銃口を向ける。
そして驚いている間も無く、奴は私の鈍臭い脳漿を撃ち抜いてくれた訳であった。ダァン、という存外重ための音。額に空いた違和感と共に視界にガウスフィルターがかかったようにぼやけて、暗くなっていくのが分かった。
まずい、今日は友人と会う予定だったのに此処で死んでは約束破りの音信不通となって困らせてしまう……夜半と言えど銃声は聞こえた筈だから近所の誰か通報くらいしてくれるよな……というか覗き魔如きが歴戦の殺し屋みたいなキマった目で完璧な照準定めるなよな……私の住んでる部屋は事故物件になるのか……特殊清掃って結局いくらかかるんだ……。
待て? 今死ぬのは……非常に困る……。
───はたと目を覚ますと外は暗かった。午前四時。
不審者もいなかった。
眉間に穴も開いていなかった。
別に寝床には血だまりもなかったし、私の住んでいる部屋は心理的瑕疵のない健全たる物件のままである。
コレは要はなんでもない夢オチ。不審者にぶっ殺される典型的な悪夢……しかしそれにしては、私は何処か精神的にスッキリした気分を味わっていた。
ということをその次の精神科で話した。
「え? 怖……お薬増やす?」
「増やさんとってもろて」
即答で顰めっ面しながらドン引きした医者おじさんに慌てて私は弁明する。
「感覚としてはなんか……邪魔臭い自分がヒトリ死んでくれたような感じですよ」
「……。ああなるほど」
そりゃいいね、とおじさんは言った。
自分の中の分人一人、明確に消えたわけではないが、何故か明らかにその日を境に自分の中での自分同士の喧嘩が減った。相変わらず『全員殺せ』と過激に喚くヒトも、『何にもしたくない』と全部放り出すヒトも、『一生何の不自由なく仲良くしていたかったのに』とガキのように咽ぶヒトもいる。
が、なんだか全体的に喧しさが薄まった気がする。
この夢を見て飛び起きた日の朝、丁度所用で首都圏へ行く用事があったのだが、その行きしなの列車の中で私は思い至ったのだった。
「復学…………するか……」
───というわけで、来年三月末までは自由である。
絵と小説とTRPGで遊んで気を紛らわせながら、たまに筋トレもしながら過ごす。●いたけ占いでも『二、三月までは遊んでいいよ』と言われたので存分に遊ぼうと思う。創作小説のサイトも若干気がノッてきたところだ。
ワインなりサングリアなり飲みながら好きなゲームの配信などを観た日にはあまりに人生が捗る感覚に、私は深く深く感謝をするのだ。
夕暮れの天文台の上にいたあの日の自分に。
目下十数メートルの暗闇に浮き出る白い大理石のモニュメントを見て、飛び降りるには恐ろしいと身を引いたあの日の自分に。
「嗚呼、そこで飛び降りないでいてくれて有難う」と。
嫌でも四月になったら履修登録で己の必修単位の落とし具合を再確認し、精神が死ぬのは確定だ。きっと、いや必ずや後悔と劣等感と無力感と自己嫌悪に苛まれることだろう。しかし死んでからのことは死んでから考える。また理系学生やるの無理になったら今度こそ小鳥専門店か葬儀屋でバイトするフリーターになるのだ。
先日は久しぶりにシャワーを浴びながら心が泣き出したが。
「嗚呼……無様に生きていて申し訳ない……この私が一人死ぬだけでどれだけの人間の利になるか私自身がよく知っている……」と湯気の中ですっかりショゲきってしまったが。
いつもと違ったのは、「まあこの世の人も物も自然災害も誰も今の今までこの私を殺せなかったのが悪いんですよ……ヘッ……ザマア見やがれですわ…………(口が悪いお嬢様)」に至れたこと。
自分みたいなのがのうのうと生きて、もっと能力を持った人たちが何らかの要因で抑圧されてしまう世間は間違っていると思うが、誰もこの私をキチッと殺さなかったのが悪いのだ。このままこの世の誰の役にも立たぬまま、好き放題やって敵まみれになって死んでやるから見てろ。
まあ正直、復学にいたっては不安しかない。
まず体力がゴミなこと。家中を掃除した折にハンディ掃除機を振り回したのだが、その時からずっと腰が痛くて死にそうである。腰痛改善の筋トレを一日サボるだけで、前傾姿勢で靴下を履く動作で瀕死になる。低気圧が酷い朝は全然目を開けられないし、食事体制に至っては『固形物を食ってるんだから褒めてほしい』という姿勢のままだ。
加えて体力のほか、自身のCPUの劣化が著しい。この年末年始、短期バイトを複数入れて小遣い稼ぎを図っていたのだが、やるべきタスクと重要性と責任が急激に増えたことに恐怖して、一晩で全て応募取下げしてしまった。
一年前の私ならば
『A科目の実験の待機時間X分間の間にB科目のレポートを行い、同時にC科目の実験予定の確認もしてD科目の小テストに備える』
みたいなことを平然としていた筈なのだ。できていた筈なのに。
電話がいつまでに来る筈?バイトが入った場合何を用意する?何時までに何の電車に乗る?物事の優先順位はどうだ? そう考え出すと勝手に止まってしまう思考回路になってしまった。
個人的に痛すぎる部分がこれだ。なまじ処理能力は比較的悪くなかっただけ、一年で弱っちくビビリでヘタレになってしまった自分は容易には許し難い。
それに試験とか課題とかレポートとか、グループ活動とか実験記録とか計算とか統計とか、純粋にホンマめっちゃ勘弁してほしい。
一と二年の学習内容とか全て吹き飛んだ。遺伝子の組み換えと乗り換えって何が違ったっけ?
学習意欲の低下の最大の原因たる『凶悪な劣等感』は、一年ただ寝込んで過ごしたせいで『更にパワーアップして新登場!』の状態になっちゃっている。ただでさえ劣等生だった私は今や恐らくその辺の受験生以下の存在だ。
それにしても一年前の自分のブログとツイッターを見返したが、もう本当に可哀想になってきた。キレながら泣きながら二時間しか寝ないで真夜中実験室に出かけてゆく自分のツイートなど痛々しいにも程が有る。五ミリくらいマシかもしれないが、多分アレをもう一度行う必要があるのだ。
ツライ……復学したくなくなってきた……家でずっと絵と小説だけかいて生きていたい。
しかし恐らくだが……去年と変わったことはある。はず。ギリギリ連絡を保っていた同学科の同期から、面白い話を聞いたのだ。
曰く、
「石澄が消えてから、石澄がいたとこの班は最終的に崩壊した」
と。
絶笑しながら詳しく聞けば、私がぱったり大学に来なくなった頃から同学科内の者、特に私と同じ八人班に所属していた人々がつられるように大学に来なくなったそうだ。しかも一部は私と同様、精神科通いだという。
本当にコレは流石に教授らがガチで悪くないか?
科目の教授間で課題量の調整をせず、学生に過度な負担をかけたせいじゃあないか?
高々三十人弱の学科内で五人くらい不登校に追い込むのは如何なものか?
ちょっとは反省してほしい。学生をただの新鮮なタンパク質の塊だと思ったら大間違いやぞ。私の推しクリエイターがファンサービスをしてくれなかったら、今頃私は眠剤と焼酎を煽った上で大学課題その他への恨み辛みを懇切丁寧に書き連ねた遺書を靴の下に敷いて近所の天文台から身を投げていたぞ。学生の自殺者を出したくなかろ?(人間として最低の脅し)
当時の私が本気でブチギレ、本気でこのまま教授に提出してやろーとしていたド怒りの文章を発掘してきたのでここに供養しておく。出す前に私の心がひしゃげてしまったため、結局提出できなかったが。
年が明けたらチキる前にさっさと復学届の手続きをしようと思っている。
そういえば、休学届を受理してもらうにあたってサインを貰いに行ったカタツムリ研究のおじさん教授……研究室には残りつつ、今年度定年退官していたそうなので、復学の際には世話にはならないだろう。
新歓飲み会の時にニコニコしながら「キミの合格はボクが決めたのだ!」と言ってきたり、すれ違うたびめっちゃ会釈してきたり、彼の選択科目を一回見に行った時も非常に愉快な講義をしていたり、しかし結局殆ど関わったことがなかったおじさん。
ほぼ完全に退学するつもりで休学届のハンコを貰いに行った時も、あの教授だけは反応が違って
「ははは! まあお気軽に! お気軽にお気軽にねえ! はっはっは!」
と私を笑い飛ばしていた。
私が復学することをさっさと予想していたのか? やはりヤバいおじさんだったな……。
そういうわけで、この話はオチなしで終了。
今年は帰省をする。毎年大晦日あたりに一番姉の精神的な具合が悪化するのを思い出したので、尋常じゃなく気が重い(私は特別嫌なことは毎年のルーティンであろうと毎回忘れ、毎回思い出して爆死する気質を持っている)。しかし愛すべき連れにも会えるし、今年はお友達が泊めてくれるそうなのできっと大丈夫であろう。
良いお年を。
来年からちょっとブログの頻度を増やそうと思う。文章を書く練習がてら、ツイートより格上のやや丁寧な日記を数日単位(できれば毎日)で些細かつ気軽に連載できたらと思っている。
石澄香