石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

期待願い

 拝啓。

 

 そこの、リビングのソファに姿勢悪く座り時間制限付きの親のラップトップで、ただただアホフラッシュゲームに没頭しているアホの私へ。アホゲーをやったままアホのままでいい、お前に聞きたいことがある。

 

 まず聞いてください。その日は多分、そのうち電話がかかってきます。

 その前に母の方が、誰かへ電話をかけていたでしょう、お前もよく知るあのお宅に。

 『長女がどうも具合が悪いので、今年はお互い遊べません。堪忍ね』みたいなことを。アホゲーに夢中のお前は知りもしない事ですが、お前の目の前にいる母はその電話を通して今、もやもや釈然としない想いに囚われています。そのうち分かります。

 

 そろそろ電話が鳴り出しましたか? 母が取るのでお前は無理していい子ぶって立たずとも問題ありません。そのまま母に電話を取らせるとよろしい。

 電話を取った母は、数分もしないうちに悲鳴をあげた後、ドラマの登場人物の様にむせび泣きながら受話器を持ったまま床に座り込んでしまいます。

 どうですか? そうだったでしょう? ビビりましたね。私も思い出しただけで吐き気がします。

 お前に出来る事はありません。気まずいと思うがお前には何にもできないので、そのままゲームでもしていろ。母の泣き声は耳に入れないようにしろ。自分は母の泣き声が死ぬ程大嫌いだってことをお前はもうちょっと自信を持って自覚しなさい。間違っていないから。無視してアホゲーをやってること。引け目に感じずとも大丈夫です。そんな事を言われてハイソウデスカと言える悪い子ではないお前なのは勿論よく分かっておりますが、言わせてください。当時の私が言われたかったことなので。

 

 不思議だと思いますか? だって、電話に出た直後の母の声は明るかった筈ですものね。

 出てきた名前も、お前のよく知る名前の筈だったね。

 「どうしてヨウ君が」「なんでなん」「あんなええ子が」「去年会うた時はそんな様子なかった」。

 変なところで察しのいいお前には分かりますね。前にも全く同じ泣き方をしていた母を、お前は見た事がある筈です。

 

『シンちゃんが“自殺した”』

 

 お前のとこの長女さんのクラスメートだか何だかの人が自らプラットフォームから落ちたらしいと聞いた時、母は全く同じ泣き方をしていませんでしたか? 『なんで』『どうして』『若いのに』。デジャヴです。似たような事が起こると人は、似たような反応をするものです。

 

 受話器を下ろした母に、実感と容赦のないお前は聞きますね。ヨウ君自殺ですかと。

 母は一回事故だの何だのと誤魔化しますが、お前がそこで一旦引きさえすれば数分後に母の方から勝手に『自殺だったみたい』と白状するので安心してください。今のお前は全く思いもよらぬ事だろうと思いますが、実はお前の前にいるその母親は、間違いを犯すこともある人間なのです。口を滑らすこともありましょう。ついでに母が、最初の電話で釈然としない顔をしていたのも分かります。

 「子供ってさ。親の思い通りにはなんないもんだね。」

 母が話していた、相手方の父君がそう言ったそうです。真意や真相などは、分からぬままですが。

 

 私は今でも思い返してモヤモヤする時がありますよ。

 真顔で問い詰める『お前』を、母はどんな感情で見ていただろうって。毎年欠かさず遠方から家族ぐるみで訪ねてきて一緒に遊んでってしていた、十何年間も仲良くしていたご家族の、一番最悪の訃報なのに、お前の心は驚くほど動いていないでしょう? どうしてですか?

 恐らく母の方は、亡くなった少年ヨウ君の母親に感情移入して涙を流していたんだと思います。丁度、長女のメンタルが危機でしたしね。子を突然亡くし置いていかれたその母親に、自分と重ね合わせてしまったところがあったのでしょう。

 どうしてお前は悲哀に沈む事はなかったんですか? 一年前にヨウ君の元気な様子は見たでしょう。一緒にニャンコが大戦争するソシャゲを弄ったし、彼が嬉々として釣ってきた魚をみんなで焼いて食ったでしょう、自身の焼き魚嫌いは置いておいて。

 追い込むような事を言って申し訳ありませんね。安心してください。私も全く悲哀に沈んではいません。もう全く。恐らくですが、悲哀に沈むことは疲れるので無意識的に心を殺しているのではないですか。もしくは、あの時の母の感情が『愛する子供の母親』か、それと同等以上の立場になってみないと分かり得ぬものだったのかもしれないですね。どちらにせよ、お前にも私にも『悲しむ』なんてそんな疲れる事、やらなくていいと思うんです。悲しむことは人間の義務ではない。一先ずはこの話は終わりにしましょう。

 ああ因みにお前の姉ですが、それから五年以上経ってもかの『ヨウ君』は事故死であったと聞かされていますよ。センシティブな時期でしたからね。今なら真相を言ったっていいんじゃないかとも私は思ったんですが、同じような事をされて古傷と閉ざしていた記憶を容赦なく割られ、エラい目に遭った私はこれからも黙秘しておくつもりです。ひとからされて嫌な事なんてね、しないに限りますから。

 

 残念ながらそのヨウ君の死をきっかけに、毎年夏場の恒例行事はすっぱり無くなりました。川行って釣りして、虫取ってエタノールにぶち込んで。組み立てプール出して遊んで、流し素麺して。ヨウ君も楽しそうに遊んでいたし、お前も毎回かの家族が帰る段になったら咽び泣いていた子供でしたが。もうあの日々は戻りません。

 投げかけられる言葉もなく。 それ以降数年はお互い連絡を取らない時期が続くでしょう。

 

 しかしながら朗報です。お前がいるその時点から大体三、四年ほど経ってから、件の一家の新居に招待され再び家族ぐるみで会うことができます。

 かの家族も大方落ち着いたとのことですが、お前のところの某不安定者もかなり具合が良くなります。よかったね!ご安心! お前はまた、懐かしの仲良しの一家と会う事ができますよ。

 彼らは皆、以前の様に笑うでしょう。数年越しに再会し、私達はまた一緒に楽しく喋りながら食事をとるでしょう。

 しかしそこに居た筈の少年はいません。

 『香ちゃんは何処の学校行った?』『部活はどう?』『うちはこんな感じよ』

 そんな風に近況報告をし合うでしょう。

 しかし少年はいない。

 

 『少年だったもの』はそこにあります。

 

 自覚しているであろう注意点ですが、『少年だったもの』をあんまりジロジロ見ない事。何故ならその場の全員が目を逸らしていますから。その点の自重くらいできるでしょう。

 誰も少年、ヨウ君のヨの字も出しませんので、お前の口からもヨの字は出してはなりません。少年ヨウ君だったものは、まるで存在しないものの様に扱われています。お前はどことなく薄ら寒いものを覚えるでしょう、その場全ての生者に対して。

「またお食事しましょうね!」

 お互いの家族が言いますが、これ以降会う事はありません。連絡ももう取り合いません。一人の人間の命だけではなく、何か───何か大きなものがぽっかり失せた家族とは、お互いもう会いたくなくなったろうからね。

 

 何かがすっぽ抜けた食事会。足りない何か、張り付く笑顔、触れられない少年、仏壇、思い出の写真。写真。写真。

 お前は帰り道の車の前座席で○コニコ動画を観ている自身の姉を見ながら考えて、

 

 嗚呼、ウチも、ああなっていたのかもしれない。

 

 ……と、心底安心するでしょう。

 

 

  ◆◆◆

 

 

 さて脱線しましたが本題です、お前。

 

 お前はヨウ君が死んだと聞いて、ぼんやり考え事をしながら二階に上がり自室に帰り、趣味の小説書きに使っていたパソコンを開きましたね。テキストエディットを開いて、思いのままにばかばかと書き出していった筈です。

 【どうして人間は自殺をしちゃいけないか】を。

 感心しますよ、そうやって文字に書き出して自分の思考を整理するっていうのをお前がきちんとやってくれていたおかげで、今私はまともな文章力を得ているのだと思います。

 で、お前はそこに何を書いていますか。すみません、そのデスクトップPC、数年以内に壊れます、その他黒歴史創作小説のデータを全て巻き添えにして。なので私はあんまりよく覚えておらず朧げな記憶なのですが。

 『幸せを手にする確率が0か1なら、1を選択するべきだ』『将来が不安でも死ねば幸せを手にする確率は絶対的に0に帰する』『残された家族や周囲の人間の心と人生を侵す』『こんな中学生のガキにも分かる、どうして論理的に確率について考えられないのだろう』『生きていれば大小何であれ楽しみを得る事が出来るのに自殺をするだけで全て無駄になるのに』。

 こんな感じのことを書いていませんでしたか。お前は本当に可愛らしいガキですね。その雀の巣のように猛る癖毛を撫でてやりたくなります。

 その論説は、実は何より正しいんですよ。お前にしては珍しくまともな思考をしています。全くもってその通り。でも同時のお前は考えた筈です。

 『同じ事を考えている大人、学者、カウンセラー、いっぱいいる筈だし、そうでなくとも一般人みんなこの考えに至れる知能はある筈なのに、どうして自殺者が出るんだ』とも。

 そのうち、近いうち、何となく分かるようになりますよ。察する、の方が正しいか。

 試しに、気が向いた時にでもお前の姉のyoutube検索履歴を覗き見てみるといいでしょう。ただし、絶対に覗いたことを知られてはいけません。

 

 実は私も不思議に思って、ある人にその辺をインタビューしてみたんですよ、比較的最近。と言っても数年前か。

 直接的に『どう死にたいと思っていたんですか』と聞いたんですね。すると

 『私は死ななきゃダメだ』

 と思っていたらしいですよ。凄い重たい話ですよね。でもそのインタビュー相手はその時あっけらかんとした顔で話していました。詳しく聞き詰めてみると、

「文字通りよそんなん。強迫観念みたいなんで、私はここにおったらあかんって本気で思ってた」

 とお答えいただきました。私は『そんなもんなのか』と初めて知りました。死を願う人はそういう強迫的な感情に支配されてしまうんだなと。

 ネットの実録漫画やブログなど見ていてもね、未遂の人がどういう病院生活を過ごしたかや、ストレッサーは何だったという話ばかり見かけるんです。つまりは『死にたい』の具体的思考については特段詳しく言及されない場合が多かった、というより、そういう話は見かけたことすらなかった。私の調べ方が悪かったのか? そりゃ情弱でスマンカッタな。

 だからお前はここで事前知識として、本気の『己は死なねばならない』が人間には発生しうるとぜひ覚えて帰ってくださいね。

 知る由もなかった感情でしょう。知らなくていいんですよ。私も全然知りませんしもう全く理解できません。

 ヨウ君が亡くなった時パソコンで文字にまとめるお前の考えは、簡潔にいうとこうでしょう。

 

 『自死など愚かしさの極みではないか』。

 

 どうして誰も気付かないのだろうか。自身の姉ほどの賢い人間すら、その矛盾性に気が付かないのだろうか。

 自死はそこで人生が即終了だ、確率を計算するまでもない、生きていなければ幸せになれないのは火に触れれば火傷するという事くらい当たり前のことなのに、どうして死のうとするのだろうと。

 まずお前はここの考えを改めてください。

 『頭が勘違いしてしまうのだ』と。精神ダメージを負った人格が、強迫的な観念に囚われた事により物事を狭い視界でしか考えられなくなってしまうのだと。従って死にたがってる人間に対して、

「生きてればそのうちいい事があるよ!」

 は全く効果がありません。よっぽどややこしい思考に入っちゃった人間は、うわべだけの言葉は通じません。そういう人は夜が明けると朝が来ること、冬を越せば春が来ることなど誰が言い聞かせずとも本人が重々分かっています。ただ人間というのはいつ来るかも分からない夜明けと春を盲目的に待てるほど、丈夫にできていないだけ。

 生の権利と共に、死の権利もその人にあると私は主張しています。干渉する余地、及びそこに介入する権利は何人たりともなく持っていない。せいぜい『ちょっとだけ待ってみてくれないか』と交渉を持ちかけるのが関の山でしょう。

 

 書きはしましたが、まあ。お前に言ってもそんなに意味はないのでしょうと思います。どうしてか。

 だってお前今、人様の死を願っているじゃないですか。

 今はまだ御自覚がありませんか? 大概罪深い思想ですから当たり前ではありますが。でも今目の前にいる精神疾患患者に対して、お前は明白に『面倒臭さ』を感じている。自分ではない他者にかかっている負担も目に見えており、その人がいなくなってくれさえすればと思っているでしょう。その人自身も自死を願っており、お前も、お前とその人と密接に関係するあの人ですらその人の死をやんわり期待しています。そんなことを考えているお前に、自死の思考など教えたって意味がないことは明らかです。いいじゃないですか、どうして死んではダメだと言うのか?

 その考えが間違っている、とは私は言いません。

 しかしお前がそんな考えに至ったせいで、そんな考えを投擲したせいで巡り巡って後頭部に大打撃を食らった人物がいます。

 

 

  ◆◆◆

 

 

 さて質問です。

 

 ここに一人の精神疾患患者がいます。

 そいつは心底困っています。川に落ちてやろうとか海に落ちてやろうとか高台から落ちてやろうとか、やたら高いとこから落ちることばかり基本的に考えがちで、かつそれらを全く実行していません。一回寂れた展望台にふらふら行って柵に足を引っ掛けてみたそうですが、心臓が縮み上がるほどビビり散らかしてやめたそうです。やりたい事があるしヒトとふわふわ交わした約束事や個人的にやり残した事などもあり、心底死にたくないとも言っています。しかしそいつの主張は一貫して『さっさと死にたい』です。生きるのをやめられればそれでいいみたいですが、生きるのをやめるというのが死を意味するので仕方なく『死にたい』と言っている模様。実際死にさえすればそいつの悩みは大体全部解決であり、そいつが恨む人間に対して多大なる精神的ダメージを与える事ができる。けれど仮にそいつに安楽死の薬品を突きつけても、泣いて土下座してチャンスをくれと赦しを乞うでしょう。

 さあさあ。ぜひこの、矛盾しかないこいつを上手いこと説得してみてください。

 どうなんですか? お前。自殺は矛盾だらけと思っているんでしょう? だったらお前はこいつを説得できるだけの力を持っているっていう事ですよね?

 どうせ定期テストのお勉強もサボっていい感じに暇なんでしょうから、さっさと答えてください。

  敬具。

 

  石澄香