石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

獅子身中の

 

「アンタを巻き込んだ覚えはない。アンタの方が勝手に挟まれに来ただけやろが」

 

 今年二月にして年内で最高級と断言できるほどに怒り散らかした、私に対する姉の台詞である。

 

 

  ◆◆◆

 

 

 前回までのあらすじ:人間て壊れるんですね

 年末に会いに行った医者おじさんにファインプレー(???)をされたことが主な原因で結構人間に戻れてきた所であります。

 

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※ クロチアくんの別名もまたリーゼだったらしい。だがそっちのリーゼじゃねえ

 

 前回からそこそこの時間も経ち、そこそこのイベントもあったため比較的そこそこ回復した。気がする。今は休学手続きも済んでモンハンをしている。

 

 そう『休学』。退学は延ばすことに致した。

 少なくとも現時点では、復学の予定は全くない。

 学生という(一部で)有利な身分を卑しくもまだ投げ捨てたくないのと、学内でタダで使える制度や施設を利用しておきたいと思っているからだ。ただ復学はしたくない。学歴が損なわれるのはもう本当にこの十何年間拘ってきただけあり、勿論タダでは納得し難い。しかしながら『復学する』という事はそれ即ち、

 

 『もう一回あの課題(※)を最初からやり直す』

 

 事に値する。

(※)当該物について詳細が書かれた記事→ヤシの実と油圧プレス - 石沈みて木の葉浮く

 

 

 これを書いている時は丁度成績が開示された所であるが、実験の単位は落としており私は今あたりまえ体操をやっている。あれをやり直すなど、よっぽど中身が改められぬ限り冗談ではない。またノイローゼになって光学(高額)顕微鏡をリノリウムの床へと叩きつけ壊し、気前のいい友人らと共にえっさほいさと理学部棟を放火しに行く羽目になる。

 

 それ以前にまず、昨年末から私はとにかく『お勉強をする』という行為に対して凄まじい拒絶感を抱いたままである。

 トラウマというより駄々っ子に近い。もうそれはそれは、激しく、頑固に、ひたすらにお勉強をやりたくない。

 あの地獄に等しいスケッチはおろか、他の分野の生物学も勿論、タノシイ趣味の絵描きにすら『勉強』という行為を持ち込みたくない。

 強いて言えば火葬場で人を焼く職人の資格勉強にだけはちょっと興味がある。理工系大学を出ていた方が有利そうな資格であるが、階級によっては通信でも取れるようであるし人焼きの歴史限定ならば中々楽しそうである。まあ、限定的過ぎるのもあってまだ取る気はさらさらないが。

 我ながら非常に幼稚な執念だという自覚がある。小中高とずっと勉強勉強と妄信していたところ急にヘイトに回るサマ、俯瞰していてイタイタしい。

 大得意で鉛筆転がしながらでも課題をこなす事ができた般教のクソザコ英語でさえあまりのやる気のなさが極まり、得られる恩赦を全て捻り取ってゲットスルーした。

 教職課程を取っていたがために一旦鬱っぽくなった、なんて時期もあった(※)が、それで単位を多めに取っていたため今年初めの自分は遊び呆けることができた。一年生の己に切実に感謝である。地学と数学は全部落としているが。

(※)これ→精神科チャレンジの話 - 石沈みて木の葉浮く

 

 びっくりするほど何にもしていない。調子に乗ってそういう道具を買ってきたため、爪磨きと化粧が楽しくなったくらいか。あとは趣味とそれに付随する原稿作業。

 何にもしていない、そう『できない』、から『していない』、になったのだ。大学に関係する大方全てを投げ捨てたため日常に余裕ができ、生産性の薄い物事に手を出している。

 「私ときたら、バイトもせずに何を……!?」と思い始め、それ即ち自分のメンタルが回復の兆しを見せ始めたのではないかと判断した。そのため一丁、大学の就職相談センター的な所に突撃してみるなどした。

 ……メンタル瓦解の原因と実家について軽く触れただけでヒトの前で半泣きになったため「全然回復してねえじゃねえか!!!」と動くのをやめた。ついでにもう大丈夫かと眠剤を飲まなかった日は二時間で綺麗に目が覚める有様。ついでに連日外出ができない。

 笑いたければこの俺を、根性なしと笑うがいい。

 

 

  ◆◆◆

 

 

 さて実家に打ち明けた件。

 向こうは向こうでエライコッチャしたようだが、それはどうでもよろしい。何故なら親になったことがない私は、親目線で心配してくる彼らの気持ちが分からないからである。

 

 それに加えて些かショッキングなことをされたということもある。

 父と母、どちらかと言うと目に見えて狼狽して何やかーやと聞いてきそうなのは母じゃあないかと思われ、それを非常にストレスに感じたため、一先ず父にだけ『大学無理っす』と連絡をしたのだ。一ヶ月以上死にかけながら言うの躊躇ったくらいなので、せめて父ワンクッション入れて、『先に知ってる』父を交えた上で三人で話し合いに持ち込むのが一番精神的ストレスが少ないと踏んだのだ。もちろん理由も丁寧に添えて、『取り敢えずは言わんとってください』とした上でお伝えした。

 

 ところがところが「良かれと思って」と父は秒で母にバラしたのであった。

 

 私が嫌な方向で予想していた母の狼狽は私の視界に入って来なかったこともあり、第三者から見れば父の判断は正しかったのかもしれない。

 が、私にとって重大であったのは『父が一瞬で裏切った事』なのである何よりもあり得ないと思っていたことをサラリとかまされ、私はまる一日燃え尽きたぜ、真っ白にな。

 結果の良し悪しはこの際置いておいて、只々、この程度の守秘義務には厚い人だと何年も前から信じていたこの人に、理由も添えた上での『やめといてください』を爆速でぶっ壊されてしまったことに我慢ならなかった。我慢しているが。結果はどうあれ裏切りに他ならないんじゃないかと私は思った。

 ただでさえ思考の何もかもがネガティブな時期である、私が受験直前に父にだけ打ち明けた、

 

「姉と母が嫌だから実家を出て地方大に行きます」

 

 と言ったことすら母あたりに流されている可能性があるではないかと。

 勿論『いいや待て待て私は今、過度にショックを受けているだけだからそんな悪い風に取るな。実際父はGJな行為をしてくれたのかもしれんぞ』と当時百回くらい思ったし、今も三十五回くらいは考えたが、あの時のショックは些か忘れがたい。そして忘れるべきとも思わない。あの時父は間違いなく、私の心にとって『最もやってはならないこと』をした。

 

 てな訳でそういう経緯もあり、『いいから一週間! 来月一度帰ってこい!!』と言われたので一週間実家に帰省させられていた。

 もちろん『え~なんでなんで~』と抵抗したが、

 

ちゃんと飯食ってるか怪しいところだから」

 

 と言われ、カロリメイトウィダーだけ美味しいわね~★のムーヴを連日かましていた私はぐうの音も出なかった。

 なんとびっくりウィダーの新品を手で開けられないレベルになっていた。姉も確か陥っていた状況だったので『あれま~』としか感じず、改善しようと心に決めたのは調子に乗って献血しに行った帰り道倒れそうになった瞬間である。

 どうしてカロリメイトウィダーの民が献血に行くのか。バイトも学業も何もしていない馬鹿野郎は、強靭な血管と有り余る時間と健康な血液を提供するしか能がなく存在価値も薄いと自認しているのである。

 

 私はさっさと医者に会いに行く。眠剤も切れたしね。

「てなwakeでいっぺん実家に帰れって言われてて」

「え゛ぇ……」

 おじさんはスッゴイ顰めっ面をしていた。『んな帰らんでも……』の顔をしていた。露骨に『なんでやねん……』の顔をするおじさんをみて、ちょっと嬉しかったのを覚えている。

 

「ええ……じゃあ……二ヶ月後に来てもらって……それについての結果報告でもしてもらおうかなあ…ン」

 んな戦場に赴くのでもあるまいし。

「いざとなっても時間によっては予約なしで来れる辺り、この精神科有難いもんですよ、コミュ障にとっては」

「こみゅしょう(最早ナウでヤングじゃないおじさんの顔」

「私結構電話嫌いなので」

 

 水曜午後の予約不要時間帯は患者が妙~に少ない。他の曜日時間なら電話予約などが必須なのだが、私が好む時間帯ではアポなしで『精神科でーす』と窓口に行ってから待合に座り、だいたい数十秒で診察室に呼ばれる(ド爆速)。

 つまりのんびり話をする時間があった。そのためか、この日の医者おじさんは足と腕を組んでのんびりと医者観を話し始めた。

 

「何処もねえ、一人一人の患者あたりに時間かけすぎなのよ」

「へえ」

「特に貴女みたいな若い子なんてほっといたって勝手にすぐ変わるじゃない。なのにねえ、一回一回カウンセリングみたいに時間かけてたってしょうがないの。それより一回一回短くで回数多めに話に来てもらった方が良くなったりするもんだよ。ほっといたって貴女みたいなの、自分で考えてから来るでしょ」

 

 その通り。

 これだけを聞いていると、『金儲けのためではないのか』と邪なヤブ医者とも思われるかもしれないが、このおじさんからはどうもそんな雰囲気はしないし理にかなっている。少なくとも、私にとっては。

 それに一回の診察費も感覚としては大したことないのだ。保健医療制度万歳。薬価高いベルソムラちゃんは早くジェネリック開発されてくれ。

 

「で貴女、カウンセラーとかどうなの」

「いや厄介ヤブヤブカルトカウンセラーとかいるじゃないですか」

「いるよそんなんばっかりでホントやんなっちゃうよね。でも貴女とこの大学のは?」

「……デェ学……」

「あれっ……貴女かかった事あったっけ」

 

 走馬灯のように脳裏に蘇るOーキド野郎である。抗不安薬飲んどけやで一蹴しよったオッサン。正直めちゃくちゃ会いたくない。

※(再三)参照→精神科チャレンジの話 - 石沈みて木の葉浮く

 

「……。そいつカウンセラーじゃないね。医者だね」

「そいつて」

「女性。女性のカウンセラーいる筈。試しにかかってみるのはどう」

「推しおじさんが言うならしょうがねェ~なァ~~~」

 

 その日はまんまと眠剤を貰い帰った。

 そして休学届の回収ついでにカウンセラーを予約したのだった。

 

 カウンセラーは若い女性。二週間空けて結局二回やってもらった。

「では石澄さん、学務と共通教育の就職センターには相談済なんですね」

「えっ。ここじゃ言った覚えまだないのになんで知ってるんですか」

「そ、その辺の情報共有はなされているので……」

「へェ~~~!私が去年留学書類搔き集める時に『部署が違うから』ってこれらと同じセンター間で百回くらいたらい回しにされたって言うのにこう言うネタだけは共有速いんですねえ~~~!!!」

 物凄いド皮肉を言ってしまった。お姉さんは悪くないのに。申し訳がなかったと思う。

 しかしあからさまな腫れ物扱いというのはこうも不愉快だという事を身を以て知った。『大学やめます! もお!』と言っている理系学生であるという時点で、大学側としては×殺なり何なりさせないのに必死なのだ。いっそこっちが派手に死んでやった方が教授らが責任問題に問われてわっしょいどんどこしょな展開を期待できるかとも実際思ったほどなので。

 実家もそうである。しかし彼らは『腫れ物』を一度養った経験がある。同じような状況の『腫れ物』が発生した場合、平等性を考えて彼らはまた『腫れ物』を養う義務が生じてしまっているのだ。可哀想に。

 ……それにしてもカウンセリングというものが、こうもつまらんものとは思っていなかった。心理学系は興味があるので何か面白い話でもされるかと思えば、カウンセラーのお姉さんは私が一方的に色々と話をするのを端から端まで頷きながら聞いて、それを紙に書くだけ。

 オイその紙、入学手続きで出した気がするぞ。基礎疾患があるかないかとかさんざ書かされてセンターに提出した紙やぞ。在籍中に傷病を負った際色々記録すると思しき空欄を、オレの馬鹿馬鹿しい生い立ち記録で3/4も埋めるんじゃない。

 

 基本私は自分を自己で可能な限り俯瞰して抑鬱状態となった自分を見るようにしている。

 今自分は怒っているのかいないのか(基本的に私はめっっったに怒らない)、悲しいのか悔しいのか寂しいのかなど。そしてそれが起因しているのは何か、過去の何の経験が原因でその感情が起こるに至ったのかなど、もうずっと考えているのだ。主にシャワー浴びてる最中。

 これは*知行動療法(検索回避)と名前がつけられているようで、推し医者のおじさんにもチラリとそのことを言われたこともあるのだが、これがもう悲しいほどに意味がない。己のやり方がまずいのかもしれないが。

 

 『Aという感情に今なっていて、それはBが起きたからであるが、それはCという経験に基づいた行動である。しかしCというネガティブな経験に対してDだったという事実もある』という要領。

 

 例えば私は先日スーパーで四ヶ月ぶりくらいに同期とすれ違い瞬間的に心がエライコッチャしたのだが、紛れもなく『エライコッチャ=劣等感』であり、その(陽キャ寄りの)同期が授業で豊富な知識と経験を遺憾無く発揮している様を見て酷く落ち込んだ事を思い出した。ソイツはなんかスゲーいいヤツだったし些細な場面で世話にもなったのでお互い無言で会釈して通り過ぎただけだったのだが、何で授業にもう出てこないかとか色々噂されたらイヤだな~と思ってしまったのだ。この辺自分と向き合って頭の中で感情を言語化するか否かで、色々何らかの何かが大きく違うと思う(ド曖昧)。だがこの考え、私の場合ほぼ百パー

『オレって奴ぁマジで人格クソだな〜〜〜』

 で完結してしまい、我ながら呆れ果てるばかりである。

 そもそも認*行動療法のステップで書かれる、『Dという経験のことも考えてAにならないよう練習しましょう』という文言に疑問を呈したい。何なのだ練習って。ピアノを弾く練習だって『指の先、爪の手前のところで弾いて手は卵を包むような形にするのですよ』から言語化して一番初めは入るのだぞ。『親指だけは鍵盤に接するのは側面です、さあこの楽譜から弾いてごらんなさい』と、一定リズムのドだけで構成されたお経みたいな曲から練習するのだぞ。これが練習だろう。無言でメンデルスゾーンを渡さないでいただきたい。

 

 話が逸れた。

 つまりはいつでも私は自分の感情について自分でずっと考察している。ただ、バイアスがゴリゴリにかかって変な方向に思考がシフトしているかは自分には判断し難いため、人に言ってそれを指摘してもらいたかった。だからカウンセリングに行ってみたのだ。

 しかし一時間きっかり話して一時間経って追い出す時にこれだ。

 

「ちなみにどうして石澄さんはカウンセリングに来られるんですか?」

 オメーあのOーキドと同等ちゃうんかと言いかけ耐えた。褒めてくれ。いっそのこと、元から興味もあるので振り切って催眠療法とかいつか行っちゃおうか。

 

 

  ◆◆◆

 

 

 そんなこんなで結局情けなくも実家に帰ったのだが。

 もう~~~二度と帰らないと心に決める羽目になった。

 両親から休学に反対されたわけではない。寧ろ大いに結構とのご意見もいただいた。ついでに今のまま学生もやらずで一人暮らし費の取り敢えず半年分は出してくれるとも言ってくれたし『だからと言って直ちに職を探して自立しろとは全く言わない』とも言われた。有難い事である、そりゃ上の娘にも同じ事したもんな。

 それから実家のイッヌは無差別テロ級に可愛いし、怒られると思いつつ髪の毛の一部を染めて帰ったら実家のアッネが先に染めていたというオチ。

(※祖父が凄い - 石沈みて木の葉浮く←こちらの記事の柔らかい方の祖父が髪染め大反対であった。とっくに死んだので問題がないのだ)

 

 が、しかし気づきというものはほんの些細なものから始まるのである。

 それは夕飯を四人で食べていた時のこと。せっかく帰省したので私は友人と会いに行くのだと言っていたのだが、情勢を鑑みて彼氏殿との会い方をあれこれ口出しされていた姉と母がいつもの大口論になったのだ。姉が訴える不公平はごもっとも、しかし如何せん口が悪いし熱出し放題の体質なのは昨今において怖いことだ。対する冷静な母が主張する正当性はかなり私贔屓で矛盾が多い。小さい頃から億千万回見てきたいつもの奴だ。

 ただいつもと違ったのは、私が口出しをしたことだ。姉はちょっと落ち着けや、母はちょっと言う事が変やで、お互い煽らんと普通に話し合えやと。お互い言いたいことがすれ違いあって堂々巡りになっていたように見えたので、仲介すれば早めに終わってくれるのではないかと思ったのだ。ちょっと眠剤が入っていて頭がボヤボヤしていた所もある。

「は? なんであんたが口出しするん」

 急に矛先転換してキレてくるのもよくあること。怖いか怖くないかはともかくとして。

「口出しやな。でも毎回毎回そんな風に目の前でぎゃあぎゃあされちゃたまらんねん、ずっと思ってたけど。頼むから私を間に挟むな」

 そう言った時に、姉は言ったのだ。

 

「アンタを巻き込んだ覚えはない。アンタの方が勝手に挟まれに来ただけやろが」

 

 半秒言葉に詰まった。

 詰まった私を、そしてその場のもう一人を指して追い立てるように、姉は続けてこう言った。

「そこの父さんを見ろ。何も言っていない。アンタもそうすればいいだけの話」

「……」

 クソデカ感情が暴発し、何にも言えなかった。言い返す余地はあまりにあった。高三あたりの頃からずっと考えてきた事だったからなんぼでも言いたいことが用意してあって、それを言えるだけの場が用意されていた。下らない話であれ大事な話であれ団欒で遮られ遮られを繰り返されてきた末子は、この場で初めてシリアスな発言権を得ることが出来ていた。

 そして実際にすぐ半秒後咄嗟に「そ、」と言いだしかけ、否定しようとした。した。のだったけど。

「……その通り……」

 と。

「黙ってれば済んだ話やし、……ずっと私はそうやってきたなあ…………」

 と、認める事になった。強く彼女に言われたことが、ずっと時間をかけてきてやっとこさ自分だけの力で用意できていた反論について、あっさり自信をなくしていた。言語化できるくらいにずっと考えていたのに。

 最後まで、姉との口喧嘩には勝てなかった。

「でも、あかんかったんやね。こんなん私が言うたって」

「……そうや」

「うん。ごめんやで。こっちは言うこと言うたで、もう何も言わんさかい」

 泣きそうになるのを我慢して、情けなくこう締めくくった。

 その後もまだ少し彼女らはわちゃわちゃ言っていたが、もう口出しはやめた。父は黙っていた。はっきり姉から言及された瞬間も、ピクリとも動かなかった。いつも通りにキレた姉が自室へ消えてから母が、

 

『こういうのを見たくないから出てったんでしょう』『それで正解やわ』『あの子の方がさっさと一人暮らしすればいいものを』

 

 と呟いていたが、私は返事をしなかった。ただ一つだけは宣言した。

「姉が間違ってて母が合っているとは、最初から思ってないよ」

 と。聞いた母からは、せやろね、と返ってきた。

 母、違うんです。本当に姉は悪くないし、姉は人の娘として正当な権利を主張していたに過ぎないんです。

 母。貴女が私を贔屓するからです。されてる側から見ても顕著です。ねえ母、その自覚は今の貴女におありなんですか。

 

 

 

 次の日の家族はいつも通りだった。夕飯時に外出から返ってくると、実家内は気色が悪いほどにいつも通り。

 姉は何やら自分がやっているバイトの話をし、母はにこやかにそれを聞き、黙って聞いている父がたまに口を出して笑う。無論、蒸し返されていたとしたらもっと困っていた。蒸し返されてまたぎゃあぎゃあ言うようであれば、包丁を振り回して彼ら彼女らの首を斬ってやろうと思っていた。しかし前日、キレる姉に自分から意見しただけで怖くて怖くて手が震え、持っているカトラリーを落としそうになった自分だったからまあ、無理だろう……と思い至り。人殺しの景色よりも己の左手に生える刃が明白に脳裏によぎったが。

 

 こんな程度の家族内の諍いや喧嘩、世間一般では普通かもしれない。しかもそのほとんどで自分は関与していないのだから、安い方だ。そう思って何も思わないようにして静かにしてきた。

 だが私が今回痛切に感じた唯一つの事実は、誰一人として私の気持ちを顧みてくれなかった事である

 『姉の方が出ていけば、アンタは実家に戻ってきてくれるか』、戻るだろう。美味しいご飯を作る母がおり、機械に強い父もいる。そして争いのキーの一つ、姉がいない。最高だ。

 『アンタが勝手に挟まってきただけだろう』、そう、そんなわざわざ人を自分と他人の間に上手い事挟み込むなんて、器用かつ面倒なことを貴女がする理由が無い。私から挟まった覚えはないが、貴女が私を挟むなんて事、確かにする訳がなかった。

 『父親みたいに黙ってみていればよかった』、確かに父はずっと黙っている。何年もずっと。私も暫くあれを真似し、じっと知らん顔して聞いていた。知らん顔してじいっと。

 

 しかし。

 毎度毎度人と人とのメガティブ感情のぶつけ合い、目の前で見せられている私の気持ちを考えた事がなかったのか? 本当に。

 嫌やなあ、嫌やなあ、早よ終わらして欲しいんやけどなあ、そんな気持ちを素知らぬ顔の下に押し込めて、じっと黙っている事。父はどうだか知らないが、私には泣き出したくなるほどの苦痛である。

 『黙ってりゃよかった』だ? そうやってきて苦しかったから今回初めてアンタらに思ってた事を言葉にして叩き返してやりたかったんですよ。うんざりで目障りだと。私が主張したいのは私の気持ちだ。嫌だと思った、思っていた私の感情そのもの。論点をすり替え母への攻撃をやませない姉に、それに真っ向から対立する贔屓の母に、それをただただ石のごとく黙り込んで静観するのみの父。

 

 一体誰が私の気持ちを顧みてくれただろうか

 あるいは家族なら、親子なら姉妹なら、そのくらい分かってくれるんじゃないか。

 そのくらい、……そのくらい。

 

 いいや、そのくらい、ではない。

 家族なら、なんて言葉も、必要ない。所詮は遺伝子レベルの共通点の多いだけの、別個の人間たちの寄せ集まりにすぎない。

 

 特に姉。

 姉は、昔から好きだった。漠然とした、憧れだ。

 だがもう、ダメだ。彼女が『姉』らしく、私に何かと気をかけてくれた事。アマゾソポイントで一人暮らし応援として外付けDVD再生機を買ってくれたり。クソ下手世間話の隙間に私の体調を聞いてきたり。

 姉からは先日『こんな軽い誕生日プレゼントでええんか』と連絡が来た。

 

『もっとワガママ言うてええんやで』

「……」

 

 勿論、実家から一人暮らしのマンションまで帰ってきた後のことである。あんなことを言っておいて憎らしいほどに、姉らしいことをする。

 『今までの十何年間、姉が私にしてきた親切は全部嘘だったんじゃないか』と思い詰めるほどの、酷い事を私に言っておいて。ぱらりと手を返しているこのこいつが心底恐ろしい。

 

 『姉は私と似ているところがある、だから姉はこう考えているはず』

 そんな考えが数多くあった。今も実はずっと考えている。一人暮らし始めたてのツイ廃妹がちょっと低浮上になれば、わざわざ「アイツなんでアカウント鍵かけよったんや」と公開で独りごちっていた。

「あんたのツイッタなんか見てへんわ」

「ああそう。ところで最近〇〇をプレイし直しててな」

「あー…〇〇は神ゲーやったな。あんた△△に惚れ直してるみたいやないか」

「そのツイート昨日のやぞツイッタ見とるやんけ」

「見てへんわヴォケ」

 食欲不振を隠して一人遅れてもっそもそと夜遅くに夕飯を食べていたらふらりやって来てド下手くそな世間話から始め、「単位ってどうなるんや」「進級はするんか」「そうか」と聞くだけ聞いて、何もせず自室に上がり直した姉。

 妹だからこそ、私は彼女の実の妹だから。それに彼女から私にだけ教えてきたような、かつてあの頃の彼女の心情も私は知っているから、だから。

 姉のことを私は、よく知っている。

 

 しかしながら……あの日のあの瞬間。

 「勝手に挟まれてきただけやろが」

 と言われた瞬間の私の顔を見た姉は、どう思ったのだろうか全然分からない。罪悪感やそれに似た感情を、姉は感じたのだろうか。それとも、お互い幼い頃無邪気に私をいびってきたあの時のように、不細工な負け顔だと一笑だけしてその後カレピにでも愚痴りに行っただろうか。

 私がずっと信じてきたあの『姉』ならば、あの一言を言い放った後に少しはショゲてくれた筈だ。あの人の顔に本心の表情は出にくい。クソ妹が、知ったような口挟んできやがって、と言ったようなあの表情の裏側には、私が大好きな大好きだった姉が紛れもなくそこにいた筈。だがそれを知る術もないし、あったとしてもそれを行使する元気はない。

 

 そして分かる必要も最早存在しない。

 

 ある友人が私のおかれる状況について。こう言い表してくれた。

『君の家族は7.5割が素晴らしくとも、2.5割が悪質すぎる。そして君にとって重要視すべきは、明らかに後者だ』と。

 全くもって、その通り。

 

 どうしていちいち悲しくなるのかやっと分かった。

 落差である。大好きな家族像を想う時と、稀に発生する些細な諍いを見た時の、私の気持ちに落差がつき過ぎていたのだ。

 

 私はもうあの彼らに期待をしてはならない。

 総合的に見て、自分の人生に明らかな害をなす存在としてラベリングをした方がよっぽど私の精神安静のために良いのである。

 

 

  ◆◆◆

 

 

 そういう経緯もあり、久々におじさんに会いに行く。

 

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 最近は非常によく夢を見る。姉とそれに付随するものの夢。

 夢の中の姉は愉快なおねーちゃんである。オタ語りをする。変なところで私を庇って変なところで助けない。笑っている。ツッコミのキレとタイミングが大変良い。多彩な場面で彼女は私を余裕げに率いて、「さあついてこい妹よ」とばかりに知識を授けてきたり一緒に遊びに連れて行ってくれるのだ。

 目が覚めた時、その姉はもういない。

 

 

 

 まあ大方こんな感じである。

 結構前より健康になれている自覚があるので、これを見ている私周囲の仲良人(なかよんちゅ)には安心していただきたく存ずる。

 最近は眠剤キメちゃった後にワインひと瓶に相当する酒を全部煽って笑って泣いてゲロして寝ましたが、人生の質が上がった気がします。

 

  石澄香