石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

要らぬ議論と存じている

 

 ある種の『悟り』を得てしまうという経験は、実は誰しもが持っているのではないだろうかと思っている。

 

 それは大なり小なり、『悟り』を得た後の人生を変えてしまうものだ。知る、ということができた時、“それを知らなかった自分”にはもう二度と戻れない。生きているうちに知をかき集めることは称賛に値する行為であると私は心から思うし、逆に己の無知を敢えて放置することは他者の財産を損ない得る非常に危険な行いである。

 加えて、いずれ必ずや『知る』羽目になることを後回しにして蓄積させ、随分後になってから纏めて『知ってしまう』のは、汚部屋を放置してゴミ雪崩を起こすように大変な後悔をすることになるだろう。

 

 私にも一種の『悟り』があった。

 中学生の時のとある日に、自室で課題をやっていたのだ。

 確か修学旅行のアルバムを作れとかいう事後課題。友達がいるいない以前に、行先が数ヶ月前まで住んでいた地域というクッソ萎えるイベントで……よく覚えていないがその課題もイヤイヤやっていた気がする。しかも表紙絵に凝り出して自分の首を締めまくっていた。アホス

 その時、その課題は家で作業していたのだが、丁度家には誰もおらず留守番状態だった。よく覚えていないが焦燥と怒りと後悔と焦燥と焦燥と焦燥に駆られた私は、ブツクサと独り言を延々呟きながら作業していた。

「何故できない……?」「何故こんなにも私はできない……?」「何故進まない……?」

 とまぁこんな感じの。

 こう思い出してみるとまるで〆切前に追い込まれた作家が呟く典型例みたいな独り言であるが、正直深刻にキツかった。そして自答できない自問をし続けるのはいつだって私の十八番だが、口に出しながらやるのはこの時が初めてだった。

 

 言霊の話を此間書いたと思う。

 口に出すと真偽は兎も角、“其れ”は具現化するのだ────という。あの考えは数多の実体験から来ているが、一番初めの『経験』はこの、修学旅行の事後課題に手をつけている時だっただろう。

 何故だのどうしてだのとブツブツ言っていた私は、はたと気付いたのだった。「ああそうか」と。

 

自分は才のない凡人だからだ

 

 と。こう口に出した。

 自分の耳でそれを音として入れ認識した瞬間、私は阿呆みたいに泣いていた。そう結論づけたことで、自分が大した点数も取れず授業も半分以上聴けず嫌いなアイツに通知表で惨敗し模試成績もクソであることに、酷く合点がいってしまったからだ。

 どうしようもなく自分の中で、それが『正論だ』と分かってしまったからだ。

 逆にどうして自分に才があるなどという思い違いなどしていたのかと自分を嘲り、また泣いた。母は珍しく買い出しが長かったので、このことは知られなかった。「クッソ昼寝してた」で通った上、側から見てなんの脈絡もなかったのは確かなので。

 

 実際にこの私に才があるか否かの議論は、最早瑣末なことだ。ただ間違いなくあの瞬間、私は「凡人」に成った。認識したのがオシマイだったのだ、「底なしの馬鹿」とまでは思わなかった分、まだ悪足掻きをしていた方だとも言えるだろう。思い出して書いていると、悪夢を見ている時のような気分になってきた。

 この『悟り』は、果たして得てもよかったものなのだろうかと今になっても考える。

 あの時から私は、己の理想と現実の乖離が眼前に突きつけられ続けている。

 あの時から私はずっと、自分が如何に凡人以下の存在であるかを突きつけられるのがいちいち恐ろしい。口に出さなければよかった、存在の認識はしつついい感じに目を逸らしたままでいればよかった、とずっと後悔している。

 誇大妄想に囚われずに済んだではないか、と私は自答する。真っ当だ。酷く正しい。しかしならば今、貴様には誇大妄想が一切ないのか?と問われると、何一つ断言ができないのが難点である。困ったことに五年以上経った今でも、「己は平凡だ」という結論を芯まで認めることができていない。

「ああそうだとも私は凡人だ、寧ろそれ以下の何の取り柄もないただの無能であるとも」

 と何回口に出しても、何故かそうだと心の奥底では認めることができない。一体何故なのだろうか。

 

 それは現状として自分の承認欲求の一部を叶えてくれる分野が、一応は存在するからだ。どうしようもなく自分が塵芥のように見えて、周りの全人類が私を指差し嘲笑しているように見えた時に、私はそれらに必死になって縋りつく。

「ほら見たまえ! 私にはこんなにも出来る事がある! 相応に褒め称えられて然るべきだ!」

 おかしいね。色々な人々から十二分に褒められて生きてきた筈なのにね。

 まぁそうして承認欲求にしがみついてごくごくごく特定の分野で自己主張をして、そうしているうちに優しい誰かが褒め称えてくれても、今度は私は頭を抱え誰へともなく許しを乞いだす。なんの高尚な理由も持たぬ己を顧みて、その醜さを自覚するからだ。

 ひとに好かれたいわけではなく、

 ひとを魅了したいわけでもなく、

 ひとを救いたいわけでもなければ

 ひとを踏み躙りたいわけでもない。

 其処にあるのは只々低俗な祈りでしかない。

 自身がこの場に存在してもよいと、自身からの揺るぎなき許可がほしいだけだからだ。

 

 という風に考えているから、一年前に投げ出した課題を見返さねばならない今この瞬間にこんな文を書いている。(オチ)

 

  石澄香

 

【Today's 好きなもの】

 爆発オチ