石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

歌うたいにも適している

【日記】

 シュ~カツにどう取り組みなさいみたいな講義を聞いてきてた。以下本編。

 

 何故かシャワーを浴びると思考が活性化する。私だけなのか、私以外にもそういう人がいるのか、それとも大抵の人間はそうなのかは分からない。わざわざ人に聞き回ったことはないので。

 私は普段、風呂は湯船に湯をためないタイプである。理由の一つ目が、一人暮らしだから。それに付随して、ガス代が高いから(しかもこないだから値上げしている)(ツラい)。二つ目が時間短縮になるから。それに付随して、湯船掃除の頻度が減るから。だから立ちっぱでシャワーを浴びるだけで済ませている。寒過ぎる冬場は熱湯を浴びたりするが、そろそろそんな季節ではなくなってきたので、あまりやらない。そうしてぐしゃぐしゃと頭を洗っている間の私はと言えば、大抵何らかの考え事をしている。

 勿論普段から、私は特に時間帯を問わずぼんやり考え事をしだすことが多い。それこそ周りが見えなくなるほどに没頭する場合もある。講義中にコレをやらかすとかなり危ないが、それでも時間を問わずよく考え事をしている。例えば何のタスクが残っていたかなぁとか、今頃ヤツは何処で何をしているのかなぁとか、あの話の真意は何だったのだろうかなぁだとか……取り留めもない内容が多い。シャワーを浴びている最中もそうだ。

 

 しかし何故かシャワーの最中の考え事は、明らかに通常より“捗る”傾向にある。著しく。

 ふんづまって思いつかなかった創作物の構成を根本からひっくり返すような新たなアイデアを思いつくだとか、そのレベルで捗るのだ。頭を熱水でびしゃびしゃにしながらその頭の中からヌル…と出てきた自身のその発想に、「え!?今ここで出る!?」と自分で驚くことも多々あり。そしてそれらは後から検討しても良質なものだと結論づけられるような、有意義なことが殆どだ。

 何故だろうか。流水音以外の情報が薄いからだろうか。確かに風呂の最中は耳から認識するのは水の音が主であるし、そうだ、視覚情報もあまりない。何故なら私はド近眼乱視だから。床のタイルの隙間も見えないどころか、浴室内に蒸気が濃いめに立ち込めた時には自身の足先すら見えないほどだから。また、日常化してほぼ思考を伴わずに行える“体洗い”という単純作業を黙々と行えることも少なからず影響しているだろう。

 つまりは脳が集中するのにかなり適した環境が、入浴中に確立されるに違いない。集中するのに最高に適した空間だ。

 かくも素晴らしい。集中できる要素が何個も的確に重なると、人間の思考は確かに活性化し普段以上のパフォーマンスを見せることができるのだ。唯一悲しきことは、入浴の最中は基本的に勉強や執筆などの作業に手をつけることは決して叶わず、ただただ己の体をしっかと洗うしかできぬことだ。思いついた良アイデアは風呂から上がった瞬間にメモしなければ意味をなさなくなってしまうだろう。

 しかしそうやって考え事が進むと、いつもなら至らない思考の境地に陥ることもある。考えるベクトルが違えば、全く別の結果を生むことにもなるので注意せねばならない。例えば己の将来について如何に真面目に取り組むべきかというような話をされた日などの夕刻の風呂なんかはそれはそれは思考が進んで、自分自身を的確かつ迅速に論破し続け完成するのは頭から湯を浴びながら延々と泣き続ける情緒不安定者のみである。だからそれが予想される時は、好きな曲でも熱唱して思考の方向を捻じ曲げる必要がある。浴室なので、ビブラートがよく効く選曲だと塩梅がよい。

 なお、今日は歌い忘れた。

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 手塚作品によく出てくる黒髪短髪で性別不詳なキャラクター