石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

あいつら元気かな

【日記】

 忙しい。

 先日クソほど腹が立つ忙しさを通過した故に、忙し過ぎた時期溜めてた“やりたいこと”を少ない体力で消化しようとしているので忙しい。幸せだ。以下本編。

 

 あいつら元気かなぁ、というのを。不意に思い浮かべる時がある。

 どうにか頑張れば連絡が取れそうな奴ら、近況を聞こうと思えばもしかしたら聞けるかもしれない───みたいな連中ではなく。

 何をどう足掻いてもきっともう連絡は取れないし、恐らく向こうは私の存在を忘れてるのだろうが、しかし私は彼らの存在と、少なくとも苗字くらいは覚えていて、彼らとの交流も覚えていて……しかしどうやってももう二度と出会うことはないのだろうな、という様な人間たちのことを思い浮かべる時がある。

 

 小学校の時私をチェスでクソボロに負かしてきたクソガキ。

 三〜四つは年下。なんか、ボドゲとか置いてあって、近所のご老体らがボランティアとして配置されていて、学年関係なく交流しながら遊べたような、放課後だけ空いていた謎の教室で。姉に習ったチェスのルールをすっかり忘れたと言ったら

「教えてあげるよ」

 と、手取り足取り教師の如くルールを指導してきた奴。本職教師らからは明確な“問題児”として扱われていた、実際私も些細な被害を被ったことのあるクソガキ。ガキムーブが演技だったかのように、私に丁寧かつ分かりやすい指南を行なった末、見事私をハメてボロカスに負かした奴。「騙されるアンタが悪い」と、意地の悪い顔で笑っていた。ギリ下の名前は覚えているが、頭のよかった彼奴は今どうしているだろうか。

 

 転校前の中学の時微妙に虐められていたクラスメイトの少年。

 中学には支援学級があったが、ギリギリそこに入らずとも授業についていけたために我々のクラスに在籍していた感じの子。自身の名前の書き方が明らかに“部首から分解して覚えないと書けない”タイプのそれであり、授業で当てられても八割以上回答できていなかった。そんな彼が日直の仕事を押し付けられたり、拳で肩を軽めに殴られ困った顔をしていたのを見るのが読書の邪魔だったため、

「アンタはクラスメイトを殴るな。君は日直じゃないんだから日直の仕事はするな」

 と。二回くらい、私はいじめっ子(?)へ文句を言ったことがある。私怨により私もいじめっ子のことが嫌いだったために、ちょっとした憂さ晴らしのために飛ばしたような発言だった。私がそう言っていじめっ子(?)を追いやった時には何も言わずオロオロしていただけの彼はしかし、私が転校する時寄せ書きに、拙い字で大変な長さの感謝を綴っていた。彼は今殴られてはいないだろうか。

 

 同じく転校前の中学にいた問題児の友人。

 最初こそ毎日話していたもののどんどん学校は休みがちになっていき、来たとしても授業を無断で抜け出し教師から怒号を浴び、しかし定期試験はかなりいい点だったためある意味“天才肌”だったであろうと予想される少年。話し方などが今の私の連れにとても似ていて、心優しくとてもいい奴だった。努力したが転校までに会うことが叶わなかったため、最後に会ったのがいつなのかは分からない。数年後別の子から見せてもらった、その中学の卒アルにもいなかった。また会話をしたいと思えるほどに愉快な奴だったが、奴は今どうしているのだろうか。

 

 転校後の中学にいためちゃくちゃ喧しいギャルのクラスメイト女子。

 当時の私は彼女のことが死ぬほど嫌いで、故に彼女に対する嫌悪感を隠すつもりもなかったが、ひょんなことで無駄に彼女から気に入られてしまってから妙に付き纏われた。

「あたしは頭悪いから担任にも『この高校を受験するのはやめろ』と言われた、でもココに行きたい、石澄みたいに頭良くなるにはどうすればいい」

 と相談された時は参ったし、志望動機がその校則の緩さと曰うのでクソ真面目喪女はキレそうになった。死ぬほど辟易したツラを隠すつもりもなく「苦手な単元の範囲の問題を何度も解けばいい」というと、当たり前かつ教師らがひゃっぺらぺん程言っていた内容にも拘らず

「石澄天才過ぎる!!!卒業したら一緒にコッペパンの踊り踊って」

 と両手を握ってきた。コッペパンに関しては彼女が馬鹿だったためか上手いこと忘れてくれたのでよかったが、件の第一志望に受かって去って行った。最後に「石澄のおかげで受かった!文化祭来てね!約束!」と言われたが、行っていない。ちゃんとその第一志望は卒業できただろうか。

 

 似たようなのが高校にもいた。

 こちらもまた当時は死ぬほど嫌いな女だった。そしてかなりの美人だった。2011のサンテンイチイチの時に「放射能怖いからマスクを買い漁ってずっとつけてた」と言うほど常識知らずで、

「父親が嫌い。階段から突き落として殺したいって思う」

 と言っていた。この発言で当時の私は心から彼女のことを軽蔑した。間違っても肉親に対して抱いていい思想ではないと思ったためだ。心底嫌悪感を抱いた私は彼女を避けるようになったものだが、二、三年後には自身もそれと似たような思想を抱き始めることを当時の花畑な私は知らない。最後に彼女を見たのは二年生の文化祭準備期で、担任に何度も誘われた末に数ヶ月ぶりに教室に顔を出した彼女だった。

「石澄さんじゃん。やっほ〜」

 と彼女はブリーチのかけすぎで傷みきった長髪を揺らし、軽蔑の念を抱いていた私にすら平然と笑い手を振っていたが、今思い返せば隈が酷かった気がする。やっほ〜と手を振られた時自分がどんな顔をしていたか知る由もないが、もし軽蔑するような嫌な顔をしていたなら、そしてそれを彼女が今も覚えていたなら、本当に非人道なことをしたものだと心から反省している。

 

 部活の先代部長のことも気にかかる。

 好きな先輩だったしよく話したしずっと慕っていたが、稀に子供みたいな情緒不安定さが目立って避けていたこともあった。高校生くらいならば当たり前な不安定さだったと今となっては思うが、「勉強に忙しい」と数秒しか要さない義理チョコ渡しから陰鬱な顔で逃げられた時は結構ショックだった。最終的に別の先輩との蟠りを放置したまま第一志望にも落ちて卒業して行ってしまったし、普通に現在が心配である。ラインやメルアドや電話番号がいつの間にか変わっていたのでもう連絡が取れないが、卒業後一度だけ私の誕生日に「誕生日おめでとう」と旧アドレスにメールが入っていた。遅れて気付いた上にシステム上返信もできなくなっていたが……ちゃんと届いていた、忘れられやすい私の誕生日を覚えていてくれて嬉しかった、という旨を伝えたかった。

 

 他にも色々いる。小学の時毎日乗っていたスクールバスの運転手。中学の時に私の『声』を、なんの世辞もなく文字通り感動に打ち震えながら褒めてくれた(上にわざわざ卒業の日に私に寄ってきて「アルバムの寄せ書きに書かせてくれ」と言って私の声に対する賛辞を残していった)クラスメイト。高校の時クラスも学年も部活も委員会も何もかも違ったのに、ひょんな出会いから私を“先輩”と呼びレトリバーの子犬のように慕ってくれた女子二名。

 どうしているだろうか。幸せかもしれない、不幸のどん底かもしれない、生きてすらいないかもしれない。しかしどれであろうと彼らの現在を、私は知る由がない。知る術もない。

 彼らの現状が如何なるものであろうと。

 私の短小な海馬の中で、当時の幼い年齢のまま彼らの姿は埃を被り劣化し行き───今のように、ふとした時に再生されるだけである。

 

 石澄香

 

【好きなもの】

 寝起きに手首を鳴らすこと