石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

SNSで本名を出すな

【日記】

 最近の気付き。休日は何もせず身体を起こさず過ごすより、“何かをする”方が有意義な休日を送れたものとして結果的に精神の休息となる。

 どれだけ寝起きの私が『横になって呼吸する以外に、私には何ら欲求などない』と主張しようが、それはきっとデマである。

 以下本編。

 

 性格が悪い。私の。

 日々攻撃対象をわざわざ見繕っては、必死こいて叩いている人々が苦手。特段SNSは、そういう方々で溢れ返っているのでなお苦手。見やんでええやんそんなもん、気分悪なるものをわざわざ見に行ってどないするん、そう思うので苦手。しかしそういう者どもが何故そういう行為に手を染めるのか、非常によくよく分かる。

 ちょっとしたストレス発散を求めているのか、私もしばしばやってしまうからだ。自身の正当性を再確認できるからだ。軽く軽く、自身が如何に『正しさ』を有しているかを実感できるからだ。

 その昔、幼い頃に私を虐めていた女の、今も確かに稼働しているSNSアカウントを先日見つけてしまった。

 

 幼少期、ほんのちょっぴり虐めを受けていた。マジでちょっぴりである。

 六年くらい続いていたし、その辺に関する特定の記憶がソックリぶっ飛んでいる辺り相当嫌な思いはしたようだが、本当にちょっぴり。クラス中の女子から攻撃されたものだが、そもそも『クラス中の女子』がたった三人しか指さないような限界集落学級であった。すっくね それに、明らかな主犯が一人だけいたタイプだった。従って、主犯が転校してからは虐めは皆目なくなった。

 主犯の女は強かった。漠然と強かな女だった。当時の私がそんな印象を抱いていた理由は、酷く幼稚なものばかりだ。自分より背が高かったとか、自分と一年近く誕生日が離れていたので最早歳上に見えただとか、運動も勉学も基本微妙に勝てなかっただとか、他者を操るのが上手かったとか。主犯の女が風邪で休んだ日には腰巾着状態だった子が目に見えて優しくなり、わざわざ私をトイレに呼び出し

「主犯ちゃんがキツく言うから逆らえない。でも私も香ちゃんと仲良く遊びたい。今日は主犯ちゃんいないから、一緒に遊んでくれない?」

 と懇願してきた。寛大で無垢で花畑だった私は、それを了承し、翌日ものの見事に裏切られた。

「は? そんなん言うてへんし……」

 口を尖らせるその子を何回見ただろう。しかし幾度それを繰り返されても、私は「いいよ」と頷いた。逆らえへんのやろなぁと毎度の如く頷いたからだ。この辺、別に腰巾着ちゃんを恨んではない。もう最近は全く連絡を取らないが、私としては今も良き友人のつもりである。

 重要なのは、かの主犯の女の絶対的な掌握力だ。たかが彼女が風邪を拗らせ数日欠席したところでそれは衰えることはなく、彼女が味方を失い途方に暮れる様子はとんと見たことがなかった。今思い返してもその目には、いつでも自身の立ち位置の安定に対する確信めいたものが垣間見えた。強かな女だった。

 とはいえ、男子を掌握するには悉く失敗していたのは不思議なことだ。虐めがやや苛烈化してきた頃、私の味方は学年の男子達(※三人)だった。完全に孤立したことは結局なく、それが大いに運が良かったのだろう。

 

 しかし、その“強かな”という印象は、当時の自分を基準としている。人間の観察力もまだ乏しい小学時代の。

 今の私は成人している。だが小学の途中で転校し去っていき、二度と会うこともなかった彼女の像は、私の中で未だに小学生のままなのだ。一部吹き飛んでいる当時の記憶をかき集めてみると、現在の私の目から見てあの女は、随分と哀れな子供だったのではないかと思ってみたりしている。

 又聞きの家庭環境に不審な点があったり、妙に虚言が目立っていたり。彼女は四六時中六年間毎日欠かさず私を虐め倒していた訳ではなく、四割程度は私とまるで親友のような関係だった時期すらある。その掌を返し、彼女が私を虐め始める瞬間は予想がつかなかったが、今考えてみると少しタイミングには共通点があった気もする。

 多くが消し飛んだ記憶中の、希少な彼女との会話に印象に残っているものがある。虚言だったのか否か、彼女が「私引っ越して転校するかも」といつぞやこぼした時。あの時私は彼女の隣でブランコに乗りながら、

「行かんとってほしい」

 と言ったのだ。確かに言ったのだ。心からそう思って寂しがって、自身を地味地味虐めていた女に対してそう引き留めたのだ。阿呆らしい、我ながら阿呆にも程がある。ただ、これを聞いた彼女の方がどんな顔をしていたのかは、もう覚えてはいない。

 ただブランコに揺られながらそうこぼしていたあの女の其れは、きっと試し行動だった。そう言ってみて、周囲が自分に対してどんな印象を抱いているのかを探ったに違いないと思っている。恐らく私以外にも、私以外の学年全員(※五人)にも、同じことを言っていたのだろう。一体何人が彼女を引き留めたのか。

 実際あの女はのちに転校して行ったが、転校後一年経った頃に我々へ一通手紙を出してきた。返事が欲しいと書いてあった。

「誰が返事なんか出すか、香ちゃんにいけずしてたクセにな」

 誰かがそう言って、皆が頷いて、誰かがその手紙を捨てた。

 

 “羨ましかった”のだろうな、と思うのだ。

 あの女との初対面を思い出す。園児の彼女は同じく園児の私を最初に虐め、それが発覚し保育士に詰められた際に

「保育園にスカートを穿いてきたから」

 と平然と理由を述べ、私を詰ったのだ。スカートを穿いてくるな、というルールはその保育園にはなかった。しかし『女児でもズボンが基本』という暗黙の了解のようなアホらしいものが、確かに存在していた。子供の間に限ったものではなく、寧ろ大人たちがそんな価値観だったからこそ子供らに伝染したタイプのものだ。県外から越してきた私が着てきたスカートを睨みつけ、ズボンの彼女は非難した。

 “羨ましかったのではないか”と思うのだ、華やかなスカートを穿くのを許された都会者が。その他私の諸々が。それが理由だったかも分からないしそれが他人を虐めていい理由にはならないが、私は只々奴が哀れに見えてくる。

 まぁ今の私は就活のスーツにはパンツスーツじゃなくてスカートスーツでないと駄目らしいという噂を聞いてブチ切れる程にスカートを履かない人間だが……

 

 かの女は些か珍しい名前だった。

 今でも思い出せる。もっと大事だった友人達の誕生日は忘れたくせ、その女の誕生日は一日たりとも忘れていない。その女の名前も、その兄弟の名も、どの辺りの住所に住んでいたかもソラで言うことができてしまう。特に今の私に害をなす記憶ではないとはいえ、嫌いなことほど覚えてしまうのも難儀だ。

 冒頭の理由により、彼女の名をSNSで検索にかけると、その名を持つ人間の噂をしている人々が引っかかった。調べてしまうと、数年前程度の比較的最近の彼女の写真も当たってしまった。聡明だった彼女は、何となくアホヅラになっていた。

 アホヅラだなぁと思った。アホヅラで、しかし一層美人になっていて大変結構だ。私の名前、かつて虐めた私の名前も、覚えていないに違いない。

 ただ。私というかつての“被害者”から。十何年も経った今『可哀想なやつだった』と影で言われているあの女は、絶妙に“可哀想”であるなぁと感じた。

 

 それはそれとしてSNSで本名を出すな。私という碌でもない人間がいるのだから。

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 アーガイル柄(着るとは言ってない)