石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

唯ぼんやりとした頭痛

【日記】

 冬服を仕舞えず、夏服を出すことができない。寒暖差は激しく、しかしお気に入りのトレンチコートはもう必要ないだろうという時期になってしまい、寂しい。一年中トレンチコートを着ていたい。以下本編。

 

「……え? 死にたくなりません?」

 と私が問うと、彼らは

「ならないな」「なんないねえ」

 と返してきた。よく熟慮せずとも、当たり前の返答である。

 

  ◆◆◆

 

 まあ何というか端的に言うと死にたいなあと最近考えている次第である。

 いやこのように連呼すると明らかに問題であるし、これから後述されるだろうがここで言う『死にたい』は俗に人々が考えるようなものでもないから、この場においてのみ良い感じに言い換えをする。

 まあ何と言うか端的に言うと頭痛がするなあと最近考えている次第である。

 おかげさまでやめられた筈の睡眠薬にまたしてもお世話になっております。頭痛がする要因に具体的な心当たりがないのが、些か堪えている。頭が痛むのには嫌なことがあったとか辛いことが続いているとかそれらから逃げる術がないとかそういう何らかの要因があってこそだろうと思っているが、あんまり心当たりがない。とても忙しいのは確かだが、その一つ一つは全く嫌ではない。楽しく会話できる人がいて、最低でも一週間に一回はその人たちと他愛なき世間話をすることができる───20年度の冬以降の一年間と比べれば、なんと素晴らしい日常か。

 20年度の冬から去年の春くらいまではず〜〜〜っと頭が痛く、たまに発狂寸前の痛みが到来し、どうにか眠剤を飲むなりお酒を飲むなり友人に「頭が痛え」と愚痴るなりで乗り越えつつ生きてきた。最近は殆ど痛まない。が、痛みがそっくり消えたことは、ない。意識しなくなることはしばしばあるが、頭の隅っこに頭痛は常に静かに燻ったままなのであり、その存在を何ら疑ったことはない。

 頭が痛い、など周囲の人間皆よく訴えていることだ。だからと言って痛みの程度を軽視するつもりは毛頭ないが、これは至極当たり前の苦痛。

 

 ただ先日、寝付きの悪い夜、夜中にいきなりスゴい勢いで激痛が頭を貫いた時は「全人類こんな痛みを抱えてなお昼間は平気なツラ下げて生きているのか!?スゲエなァ!!!」と寝床でのたうちながら思った。

 先日高校の同窓会に行った。元気そうかつ輝いてそうに見えたかつての同級生たちだったが、一対一で話してみるとどいつもこいつも頭痛で全てが終了しかけた経験があるらしいことを零した。私とは(少なくとも表に出る限りの)性格が違う、違う進路選択の、色々と全く違うはずの人間たちは皆頭痛を経験したことがあるっぽいという印象を受けた。

 だから此間久しぶりに、強く明確な存在感を持つクソデカ頭痛を覚えた私は「皆こんな頭痛を味わいながらもクソ真面目に生きてんのか!?人類皆頭が痛いのに!? たまんねェ世の中だなァ!!!」と思ったわけだ。皆、頭が痛いくせに人前では素知らぬ顔をして社会性を獲得した生命体らしく振る舞っているのだ。皆頭が痛いのに。今まで知りもしなかったが、トンだ世の中だなぁと思った。

 

 が。丁度そんな風に考えていた矢先に聞いたのが、この記事の冒頭辺りに書いた会話である。

 研究室で聞いたものだ。尊敬する先輩であるイカルさんと、尊敬する先輩であるサガワさんと三人で世間話をしていた。内容は、昨年度で修了し出て行かれたこれまた尊敬する元先輩ヨシキリさんの噂話。ヨシキリさんとは半年程度の付き合いだったが、それでも『慕われている』と分かるお人であったし、私も直接的にお世話になったこともあった。

「ヨシキリ君ねえ、研究所で夜中に一人で薬品精製の作業を延々としてた時めっちゃ頭痛くなったんだって」

 イカルさんはそう言って、彼のそのメンタルが“めっちゃ可愛くて大好き”な旨を話してくれた。マジで「好きだなって思った」と仰っていたが、私はというとそれを聞いて

「ああ〜そら頭痛くもますよねえ……」

 という反応しかできなかった。論文提出やらの研究関連のタスクに大量に追われている時期、しかも寒い時期、誰とも話さずに何ら複雑な考えを必要としない単純作業に延々と従事していれば、頭痛がするに決まっている。最終的にネガティブな自己完結で終わるしかない、自己のみに関連する思考が永遠に脳内を巡るからだ。三年弱前の自分を思い出す。そりゃあ頭も痛くなる。そう思った。

 だが私が「痛くなりますよねえ」と言うと、「あれ? 澄ピョンはヨシキリタイプなのかい?」とイカルさんから返ってきた。澄ピョンは私のあだ名

「……え? 頭痛くなりません?」

 と私が問うと、彼らは

「ならないな」「なんないねえ」

 と返してきた。……よく熟慮せずとも、当たり前の返答である。

 もしかして人類、頭が痛くなったことがない人の方が多いのか?と思い至る。いや、そりゃそうじゃ。頭が痛くなるのは本来異常なことだ。異常でなければならない。だが本当に? 頭が痛くなったことがない人間がこの世にいるのか? 私は意味もなくこんなにも頭が痛いのに?

 友人の一八君に聞いてみた。彼もまた私と同じニュアンスの、クソデカ頭痛を知っているタイプの人類だ。『もしかして全人類頭が痛い訳ではないのだろうか!?』と相談してみた。

「頭痛がする、と訴える大学生は多い。でもその大半は『ちょっくら短期的に南国へ逃げ出した〜い』とかその程度の嘆きでしかなくて、心底頭痛で沈みかけたことはないのでは?」

 と返してくれた。統計を取った訳でもないので、真偽は不明である。だがどうも全人類が頭痛持ちということではないらしい、と私は察した。

 

 先ほどからさんざ『頭が痛い』とは言っているが、具体性を帯びている訳ではない。

 本当に、真の意味での『頭が痛いなあ』とかそういう感覚で襲われるものだ。なんか今日は頭が痛い日だなとか、その感覚が近いだけだ。ゾッと胸中に湧きべっとりと私自身を支配するあの不愉快な苦痛を表現することが、『頭痛い』と溢すのに結構近しいだけだ。目が覚めて直後に頭痛がする、講義を受けている最中にふと頭痛がしてくる、人と話をして別れて独りになってから頭痛が湧き出す、そんな感じ。

 三年前は結構“具体的”だったが、最近は少なくとも具体性を帯びてはいない。ちょっとしたことから頭痛を自覚したり、人と離れたり日が暮れてから頭痛が強まるのを感じたり、そんな程度であって、頭痛によって日常生活に支障をきたしていることはない。ただ、頭痛の根底には確固たる要因が常にあるはずなので、どうして頭が痛んでくるのか明確な理由が存在しているはずなので、薄ぼんやりと背後を付き纏う頭痛に気味の悪さを覚えているだけ。

 

 これを書きながら色々と要因候補を検討してみたところ、それらは無事一つの要因に収斂していった。さっさと寝たいし面倒だしより一層読んだ人に暗いものを押し付ける話になるので、一先ずこの場では書かない。そしてそれは、『それについて考えすぎるとメンタルがイカれるのでいっそ考えるのをやめておこう』と一年くらい前に決断したポイントである。

 ひいては、結局は実家への感情である。

 ま た お 前 か。

 しつこいにも程がある。別にもう殺意だとか憎悪だとかではないが、その感情で以って私は現在進行形で自己否定をせっせと行っては自分で頭を殴りつけて、結果として頭痛を引き起こしている模様だった。アホ。

 そもそも何故自分はここに存在しているのか? という問答を勝手に行っている時点でアホとしか言いようがない。しかし頭痛は続いている。年を食う前に若いうちに頭痛を治しておかないと、本当に死ぬまでこの頭痛を抱える羽目になりかねないので、ある種の焦りは覚えている。

 しかしこの将来に対する唯ぼんやりとした頭痛は解決されることがない。嗚呼困ったものだな。

 

 石澄香

 

【好きなもの】

 翡翠の尾羽