石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

小学時代の懐古(クソデカ誇張版)

【日記】

 身長また伸びてた。成長期か? 目標身長の180cmは今からでも目指せるかもしれない。以下本編。

 

※身バレ回避のため、今回は一部を盛った記事をお送りします

 

 私が通っていた小学校が限界集落に存在し、それ故に“普通”とはややかけ離れた小学校生活を送っていた旨はブログでしばしば言及したような気がする。していないならば、今したということで。

 残念ながら小学校卒業以来、私はこの『限界集落小学校あるある』を語り合えた同胞とは出会った事がない。誰にこの話をしても驚かれるばかりで、寂しい気持ちになる───のは嘘だ。イコール基本的に誰に話しても大ウケする話題なので、初対面の人間と誰も傷つかない世間話をする時のネタとして、私の中の第一候補によく上がる。今回はその話でもしよう。

 

 再三言う通り、私が限界集落に住んでいた頃通っていた小学校だ。限界集落とは具体的には、人口の大半が高齢者となっている集落のこと。即ち子供が少ない、特に小学校が極度に小規模となるのだ。

 何処とは言わないが、グーグルマップでピンを刺すならば真緑の山々のど真ん中にど突き刺さるような田舎であった。本当に集落そのものがあるのかと疑うほどに山々のど真ん中にど突き刺さる地点であった。周囲には田畑が広がり、清涼な川が流れ、高い山に囲まれ林が点在し、テレビはなくラジオもなく車もそれほど走っていない。そんな田舎だった。

 『一年生になったら』という有名な歌があろう。

  ♪ 一年生になったら 一年生になったら 友達百人できるかな

 微笑ましい。学校段階の上昇に合わせ、自分と人との新たな出会いに期待し、未来に希望を抱く曇りなき眼差しをたたえた幼児目線の童謡である。大人である今となっては皆思うだろう、「友達百人なんて出来ひんのやで」と。出来ても消えて減るんやでと

 その通り友達百人出来るわけがないのである。何故なら小学校に百人も人間がいなかったのだから。

 そう、全校生徒は百人いない。教職員を足しても百人いない。非常勤や地域ボランティアを足しても百人いない。式典の来賓や保護者諸君を足せばやっと百人超えたかもしれない。しかしそんな規模。友達百人など出来るわけがないのだ。入学早々前提破綻。こうして幼児から児童に成った子らは不条理さの煮凝りたる現実を知りゆくのである。

 

 そんな我が母校を語るのならばまず、通常の小学校にはなかったであろう様々なイベントなどの話が欠かせないだろう。先述の通り人が少なかったので、何もかもが全校ぐるみとなっていた。

 「全校ぐるみのイベントなんて普通じゃないの」? 全校遊びに加えて全校花見全校似顔絵大会全校川遊び全校海開き全校稲刈り全校落ち葉拾い全校焼き芋大会全校雪遊び全校餅つき大会の全てをご存知か? ご存知なら私と握手をしよう、さあ手を出してくれたまえ。

 全ての紹介はできないが、一部のお話はこの場でもできよう。

 まずうちはイベントなどではなく毎朝、全校生徒対象のルーティンの一つに、マラソンがあるタイプの小学校だった。朝の学活が終わり次第全校生徒がグラウンドに集まり、一斉スタートするものだ。一〜三年生は1km、四〜六年生は42.195kmと低学年高学年で距離が分かたれたため、長距離走が嫌いな私は四年生に上がる時に憂鬱とした気分になったものだ。

 田舎道ばかりとはいえ何故かこの朝マラソンの際はアスファルトの部分のみを走らされ、小学生ならばまあ皆よく転ぶものだった。アスファルトで転けると痛いよね。私もしこたま転んだもので、未だに両膝と両肘と両掌とこめかみに当時の傷跡が残っている。頭身が低く頭が相対的に重いために重心が不安定なのが、子供が転びやすい理由の一つである……と何処かで聞いたことがあるが、本当だろうか。

 

 あとは私が中学年〜高学年になった頃から新設されたルーティンとして全校草引きがあった。どこの草を引くかというと、グラウンドである。

 うちの小学校のグラウンドは死ぬほど水捌けがよく、生命が芽生えるための土壌として奇跡的とも言える好条件であったらしい。管理も何もしていないというのに、ほっとけば雑草がいくらでも生えてきた。恐らくは何処かから種などが飛んできて自生を始めていたのだろう、本来ならグラウンドの隅が緑色になる程度のことだろうが、その地域は近隣に竜巻でも発生したかと言えるほどに強風が吹き荒れていた影響か種は隅々まで飛散し、グラウンドを埋め尽くす雑草が日々我々児童達の足を絡め取っていたのだ。基本的に軍手持参、五、六年生にはクソデカい鎌を持つことが許可され、教員児童それに地域の駐在さん総出でそれら雑草の処理に追われたものだった。あまりの雑用っぷりにぶーたれる者も多かったが、色々な先生や年下どもとおしゃべりしながらの作業だったため、私は割と楽しんでいた方だ。

 なお雑草の生命力はゾンビの如く凄まじかったため、毎週火曜の昼休みに草引きは行われていた。雨が降って中止になった暁には……まあご想像にお任せします。

 

 あとは教師陣にも、人口の少ない田舎とあってか個性的な人々が散見されたものだ。素手で猪を仕留めるスクールバス運転手を始めとして、

 毎朝車で一時間かかる峠を脚で走って越えて出勤してくる先生やら。

 朝学活の際突然乱入してきて「これ今朝体育館の窓にぶつかって死んだトンビ」と児童に死骸を十体ほど見せびらかして立ち去った先生やら。

 終学活の際突然乱入してきて「これ俺の得意技」とベイブレードを五十個くらいぶん回して見せびらかして立ち去った先生やら。

 残念なことに上記に述べた先生方は、私の六年間において一度も担任は持ってくれたことはなかった。私の担任は、それほど目立たない、結構普通の人だったかな。

 ただ修学旅行に行った時、消灯前カードゲームに勤しむ教え子らの写真を撮りにきた彼女をまんまとデュエルに引き摺り込み、総出で負かして罰ゲームカード(私が持参)を引かせた時に披露してくれた、本物かと見まごうほどキレッキレのロボットダンスは印象的である。披露した担任が帰って行った後よく床を見てみるとそこにプラスネジが一本落ちていたので、案外そういうことかもしれない。実際翌日の担任はどこかポンコツになっていた。

 

 とはいえ楽しいことばかりの小学時代でもなかったのは確かだ。これまた何処かの記事で言及したと思うが、私は断続的に些細ないじめに遭っていた。

 まあいじめとはいえ深刻ではなく、学校中の女子児童が一斉に私を遊具下に呼び出し罵詈雑言を浴びせてきたり全校生徒が私に向かって「香ちゃんのことなんか嫌い」と大音声コーラスをしてくる程度だったので、今や然程気にしてはいない。それに相談すればすぐにちゃんと対応してくれるタイプの学校だったのが本当によかった。

「これ以上いじめが続くようならば、うちの子はブラジルの小学校へ転校させます」

 と母が啖呵切った時の校長の反応ときたら、それはそれは愉快極まりなかったらしい。おかげさまで私をいじめていた子供達は私の目の前で、校長と教頭と担任と生徒指導主任と近所の駐在さんからしこたま怒られ全員ナイアガラの如き滂沱の涙を流していたものだ。

 

 あとは……ああ思い出した。小学時代の私は何というか食事がド下手であった上、好き嫌い多かった上、所謂『たとえ鮫の骨であれお残し一切許しまへんで』タイプであったため、給食の時間は苦手な日の方が多かった。

 世の小学校は自分の教室で配膳して給食を食べるそうですね? うちの小学校は全校を一つの食堂的な空間に集めて一斉に食べていた。故に『お残し許しまへんで』に『食べ終わるまで食堂から出さへんで』が加わった結果、私のような子供は例え給食時間が過ぎようと昼休みに入ろうと五時間目が開始しようと食堂から出られない事態になった訳。とんだ『〇〇しないと出られない部屋』ではないか。

 年に二回ほど、今思い出してもサブイボが立つほどに嫌いな給食メニューが出る日があったが六年間のうち一回だけ、快晴の下での五時間目プール授業に参加したすぎて、たった一回だけ時間内に食べ終わることが出来たが、それ以外は結局下校できたのが翌朝の登校時間になることが多かったかな。

 

 限界集落の小学校にはデメリットが多いであろうが、ここでは別段言及する必要もあるまい。私が問わずとも、世の人々が散々田舎の悪しところを羅列しているのだし。

 あまり見かけない田舎学校のよきポイントは、卒業式がめちゃくちゃさっさと終わることだ。それは名前を呼ばれる卒業生の人数が少ないからであって、特に私が卒業した代は当時過去一の少人数学年だった。グッパーでのチーム分けが意味をなさない人数だった。名前を呼ばれるターンが恐ろしく短く済む───というか私が中学でマンモス校を卒業した時は卒業式があまりに長すぎて、冗談抜きで失神するかと思った。流石に卒園式はよく覚えていないが、結局小学校の卒業式など十五分で終わっていたものだったので。

 

 しかし小学校……の話なら。しかもそれが限界集落とあるならば。お気づきかもしれないが……もうこの私の母校は存在しない。数年前にさっさと廃校になっていた。

 元々あの小学校が作られた頃から、いつしか廃校になることは前提とされていたらしい。少子化は非情である……。だが廃校になった小学校が、廃墟になっていることはない。きちんと敷地が再利用され、更に地域を活性化させるための別施設が建ったのだという。

 果たしてどうなったのだろうかと、クソダサUIの元母校HPを漁ったり市の報告資料を読むなどして、私は先日ようやく、母校敷地の来世が𝘼𝙀𝙊𝙉 𝙈𝘼𝙇𝙇になっていたと判明したのだった。

 

 深夜テンションだったってことで。

 今/週/の/お/題「盛り」でした(?)。

 

 石澄香

 

【好きなもの】

 鶏の尻の下半分のフワァ…てしたところ