石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

紅茶を煽り己が頭を撫でる

 あらすじ:そういう訳で先日、姉と共に出かけて二人で親戚に会ってきた訳であった。一部(約八割)説明割愛。

 

 彼女と会うのは、この年始にばたばたと実家から帰った時ぶりであった。また彼女は髪型が少々変わっており、ちょっと色もついていた(私は親戚をビックリさせないよう美容室へ行く前に訪れていたので非常にシンプルだった。今は一部髪が赤い)。何というか……『育ちの良い都会の美しいナオン』たる風体をし、そんなナオンに相応しいかの如き生活を彼女は送っていた。田舎に暮らすクソ馬鹿オタク妹たる私とは大違いである。

 大変不思議なことであるが、人間の性格を“陰”と“陽”に大別したとして、私と姉の人格はこの二十数年ずっと真逆を辿っていた。私が生まれてから数年はどちらも“陽”だったが、やがて姉が“陰”、私が“陽”に。それが長く続いたのちに私が厨二病を発症した時期から徐々に交替が起きて、今では姉が“陽”で私が“陰”に入れ替わったのである。今は姉が完全に“陽”で私が“陰”だ。人生どうなるかマジで分からねぇな〜とこの事実を思い出すたびに私は思う。

 私の人生の記憶の中で姉は半分以上(十年以上)“陰”の状態だったので、今の“陽”の姉を見ると心底引いてしまうところがある。因みに“陰”たる自身のことは気にするどころか一生このままでいたいと考えている。

 

 脱線。更新した免許証の写真すらも丸ノ内OLが如き雰囲気になっていた姉と、一体何年振りなのか二人きりで一晩を過ごした訳である。単純な話。

 何故酒を飲みながら『ア〜復学無理〜俺は水筒の飲み口裏にくっつく黒い汚れカスに匹敵する矮小な存在〜』とネガティブシンキングになっている今、記事に書きつつその話をするかというと……パッと“姉”という人間の話を出した瞬間、現状のネガティブが急加速したからである。たった一つのワードが脳裏に出るだけでこの有様、非常に愉快である。そう思って酔いながら文章を書いている。

 そりゃ急加速するやろ阿呆か……と、もしかすると私の黒歴史みたいな過去記事を読んでそう思っている人もいるかもしれないが、ここはそんな単純な話ではなかった。

 

 私は元来育ってきた環境上、ボケないと死ぬ病に慢性的にかかっている。ウケるかウケないか、ツッコまれるかツッコまれないか、そのようなことを考える前にボケが口から迸るタイプだ。多分私のような人間のことが反吐が出るほどキライなヒトも世に沢山いるだろうと思う。

 そしてそれは姉も同じである。十数年同じ屋根の下で暮らしてきて、その内十年とちょっとマトモに会話をした期間。必然的に……その期間に培われたお決まりネタがあるのだ。そしてそれらは十中八九、石澄家以外に通じない。更には姉にだけは通じて父母には通じないネタの方が明らかに多い。『姉と同じ屋根の下にいたくねぇ』が一人暮らしを望んだ私の動機の40%以上を占めているものの、一人暮らしを始めた今、私のボケ力(ヂカラ)は日常的に抑圧されていると言わざるを得ない。

 今書きながら食べてる鍋に入れた椎茸がハート型してて可愛かった。わーい

 

 つまりはまぁ、先日そうやって会った際に久々に姉と二人で話して「馬鹿みたいに楽しい」と感じた自分がいた訳だ。

 私が姉のいる部屋に入りつつM-1のジングルを口にした時、完璧な合いの手を入れるのが姉という奴なのだ。某ゲームキャラクターがほんの数秒行なうめちゃくちゃ些細なモーションの物真似をするだけで、幼子のように笑い転げるのが姉という奴なのだ。奴のような存在は今後私の人生で二度とは現れるまい、その様な確信を持っている。

 実際久々に姉と二人きりで会った私が取った行動も、如何にも『文句は垂れつつ結局は親切な妹』のムーブメントのそれだった。ご老体たる親戚が出した(何を材料にしているか知れず)(衛生状態がややヤバそうな)飲料を奴の代わりに飲んでやったり。奴の方が荷物が多かった上に旅路も長めだったので「同じ駅にいるうちに荷物くれぇ持ってやる」と言ってみたり。恩を売るというには些細過ぎて鼻で笑うような言動ばかりだが───そして本人はどう思っていたか知らないが───少なくとも私は私のそれらの言動行動に関して、後に「俺は何してるんだ……」と頭を抱えたものだ。恩を売れる人間には己の将来性の為に売っとくという私の下賤なスタンスが全面に出ただけなのか、それとも。

 

 恐らく総合的には奴の人格に対して、私は好意を抱いている。少なくとも小学時代は

「自分は姉が好きだ」

 とむちゃくちゃ公言していた記憶がある。

 小学校のスクールバスの席替え時に「姉の隣がいい」と主張し、姉にめちゃくちゃ引かれ怒られ、恐ろしい嫌悪の目で見られたことをよくよく覚えている。本当に怖くて悲しかった。今思い出してもわんちゃん涙が出る。当時はどうして姉がそんなにも私という妹を嫌うのか心底分からなかったが、よくぞその憎悪のままに私を殺さないでいてくれたものだと……今となっては思っている。

 中学〜高校の辺りでは○○○○なら○○○○○○○○○と思っていた。その方が○○○○○○○○○○○と本気で思っていたので。こればかりは基本的に墓まで持っていこうと思っている考えなので、書かない。

 今ではどうかというと、親愛と敬愛と憎悪と嫉妬と怨嗟が同時に存在している感じだ。文字通り長く同じ空間に一緒にいると、後半の方の感情が肥大化していく。酒が美味い。個人的に他者に対してネガティブ感情を抱くのは好ましくないので、やはりあまり同じ空間にいたくない。

 

 しかし前半の二者が確かに存在するのも明白であるので、自分の中のそれらをしっかと認識した頃に自分に対して凄まじい嫌悪感を抱く場合がある。

 嗚呼奴はこんなにも素晴らしい、稀有な、かけがえのない存在であるのにお前はそれを憎悪するのか、なんて穢らわしい。

 そんな風に思う訳だ。

 一々出会うヒトに聞き回った訳ではないが、現時点で私は私の姉という存在を、世間一般の目から見て『よいもの』だと思っている。たとえ嘘でもそう認識しないと自我崩壊する 「上の兄弟羨ましいな」と一人っ子の同期に言われた時は天邪鬼にも「そんなことはないよ」などと言っていたが、例えば今私が存分に謳歌している陰キャオタク生活は姉という人間がいなければ私の人生に発生し得なかったものだ。確実に。

 実際今も“何も知らない”人に姉の話をチラとすると

「仲の良い姉妹ですね」

 と高確率で言われる。全く悪い気はしない。「そうでしょ〜」と回答する。これからも何も知らぬ友人諸氏には「仲良し姉妹」と認識しておいて頂きたいし、知ってる諸氏にも「仲が良い」とたまに言っておいてもらいたい。私の認識がそちらの方へバイアスがかかってくれるので。

 しかし残念ながら実際のところ、私としては全く「仲の良い姉妹」どころではないのだ。何故なら私が姉を憎悪している(場合がある)のだからね。

 

 現在これを書いている私のメンタルが非常にネガティブであると言った。

 三月末であるので、大学の予定表や掲示板を改めて見直したのだ、友人のいない私は極度の情弱だから。

 すると私は思い出す、“大学”という括りの中で如何に己が無価値な存在であるか。哺乳類の知識も然程ない、鳥類の知識も平均やや上程度、虫類や植物は平均以下、その他環境問題にも疎く勉学が苦手で記憶力も大したことはなく体力もカスであり誇大妄想に囚われた怠惰なクソ馬鹿である人間の権化が……自分であると、思い出した。インターネットでいくら自己承認欲求を満たそうが、全くと言っていいほどそれら分野が関わってこないのが私にとっての大学生活だ。何と悲しいことか、しかし今の私にとって居場所はあそこしかない。現時点で。

 そうして私が私を卑下すると、休学留年すると苦々しく実家に打ち明けた時の彼らの言葉が脳裏に浮かぶのだ。

「気にするな、お前の姉はそんな程度じゃ済まない」

「姉にもゆっくり人生を送ることを許している。だからお前もやりたいようにやるがいい」

「私はお前の倍以上留年している、お前のそれなど屁ではない」

 普通に優しい人々だ。滅茶苦茶優しい人々だ。最強だ。メンタル壊してこんな言葉を貰えることなど非常に類い稀だと知っている。

 しかし私は残念ながら恩知らずなクソ馬鹿かつダメな人間だ。『姉のようにだけはならないように』と努力をしていた四、五年前の自分が泣いている。『元来持った気質や理不尽な環境によりああなってしまった姉と違う、私はそうあってはならない』と己を律したあの頃の自分が怒り狂っている。

 可哀想だ。本当に。その四、五年後の姿は、今の私のような堕落しきった駄目な人間なのだと思うと、そして私のような考えを容易に抱く人間がこの世に存在すると思うとホント人生やってらんねぇと思う。酒は美味い。カシュッ(二瓶目)

 

 大学には行くべきだ、理系のがカッコいい、単位も落とさず留年せず精神も崩れぬままに真っ直ぐに就職して最短で自立するのが好ましい、そのように固執していた私の考えは果たして誤りだったのか?

 私はそうは思わない。自身の首を締め上げるほどに極端かもしれないが、尊重されるべき一意見であると思っている。

 嗚呼可哀想だ可哀想だ、人生なんてやってられん。紅茶酒にちょっと牛乳入れて煽ると最高だぞ。

 

  石澄香

 

【Today's 好きなもの】

 『モモ』(ミヒャエルエンデ)(五年ごとくらいに読むと内容も忘れてるしストーリーの見方がめっちゃ変わるので良い)