石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

箸の持ち方

【日記】

 眠剤なしで寝られる術を思い出した。毎度眠剤を薬局で買う時「眠気を引きずることはないですか?」と薬剤師さんに問われ、「ないですね」と心底そう信じて返していたが、この二年弱ほどずっと嘘を述べていたことに気がついた。

 眠剤を飲んだ日の次の朝のあの致死的な身体の重さは、生来のものではなかった。眠剤の作用を引きずっていたのだ。飲まずに寝た翌日の朝の身体の軽さには、目を見はるものがある。

 以下本編。

 

 いい本を買った。

 その作者が好きで、かと言ってその著書全てを読んでいる訳でも暗唱できる訳でもないが、漠然と『いい文章を書くな』と感じている人の新刊を買った。いい本だ。分厚いし、しかし中身はかなり細かい小分けタイプなのでゆっくり読もうと思う。作者本人は『電子書籍サイコー』と言っていたが、分厚いながらも質量が不相応に軽いことや天がアンカットであるあたり、やはり作者の方も本は紙媒体が好きなのではないかと思っている。私は電子書籍が苦手だ。読み難いし読み応えがないし寂しいから。

 で。その本の中で“箸の持ち方”について話題が出ていて、それで私にモノを書く欲が浅ましくもあって、いい感じに忘れたいネガティブシンキングに囚われている最中で、ブログを不定期で書く奴であったので、その話題について何か書いてみようかと。つらつらと。つれづれと。

 

 “箸の持ち方”でよく問われるのは所謂“育ちの良さ”である。二本の棒を手で握りしめるように握っている成人がいたとしたら、嗜められるか怪訝な顔をされるパターンが多いだろう。

 それほど会ったことがないが、余程でなければ私も嗜めるかもしれない。それに嫌悪感を示すかもしれない。

 例えば箸の持ち方である。例えば筆記具の持ち方である。例えば文字の書き順である。例えばカトラリーの並べ方である。例えばアフタヌーンティーの菓子を食べる順番、お着物の着方、焼香の手順───

 ───教養である。持っていれば、この世に存在するものを楽しむ機会が増えるもの。人として生きて死ぬだけであれば、別段必須ではないもの。子供の間に学べた人間が大人になってから頻繁に、あるいは少ない機会に効力を発揮させるもの。そして大人になって自立してからは、腰を据えて学ぶ機会があまり訪れないものたちだ。

 幼少期に私は箸の持ち方を矯正された記憶がある。指を通せるリングがくっついたやつを、数ヶ月持たされて家で食事を取らされた。あとは足を広げて背を丸めて食べる姿勢が不適切であるとして、食卓の椅子背もたれに剣山をつけられていた時期もあり、「足を広げたら椅子の座る所の両端に剃刀をつける」と脅されたこともあった。思い返してみると字面的にかなりヤバいことをされていたモノだ。躾に際してあからさまな怪我をしたことは一回しかないのが幸いである。

 実際上記のように述べた躾に関しては、今も私は“妥当であった”という認識だ。少なくとも現状の私しか知らん者からすればきっと、私は本当にクソバカでオタンコナスで脳内花畑なアッパラピーのアンポンタンガキンチョでしかなかった。そんな子供一人相手では余程いう事を聞かなければまぁ、手近な鈍器で殴りつけることも一回くらいはあろう。私も殴ってしまうかもしれない。だから私は子供を持ってはならない

 しかし大学の教職課程で出会った人がそれに関して、

「いや私は信じられない! どれだけのことをしてようが、殴るなんて行為はあり得ないと思うな!」

 と言った時、成る程……と非常に興味深く思った記憶がある。その人は私の親を否定したのではなく、『少なくとも私の感性ではその行為は許容し難い部類に入る』と教えてくれたのだ。成る程ハタから見ればそういう視点もあるかと、虚をつかれた思いがしたのを覚えている。私だって同期が「父親殺したいくらい嫌い」と言った時とてもじゃないが許容できなかった。誰しもそういう概念があり、そして必ずや世界の何処かにはそれを漏れなく了承できる人間も存在するのだ。

 言ってしまえば、私は育ちがいい部類である。

 それらは違いなく“躾”の賜物である。過程がどうであれ、私はそれにとても満足している。

 箸の持ち方が綺麗だとか、“右”を書く時ちゃんと“ノ”を一画目として書くだとか、楽器が弾けるだとか、他者のそういうサマを見た時に私は安直な好印象を抱く。その是非は兎も角として、私はそんな自分がちょっと嫌だなと思う時がある。浅ましいなと思う。見てくれの良さだけで恋愛対象を決める人間たちと私には、きっと何ら違いはない。

 箸の持ち方で人格は決まらんだろうだとか。そんな風に私はひとをフォローしようとする。

 しかもそうやって『育ちが良かった側』から偉そーに他者を評価しようとする自分が見えると、ちょっとどころではなく嫌である。私という人間は常に全方面へ偉そーだ。ド失礼だ。傲慢で無知でそれ故に軽薄だ。己は何もかもを勝ち得ていると奥底では勘違いしており、己の努力とは全く無関係に無償で享受したものを振り翳し、それらが完全に自身の揺るぎなき価値であると思い込んでいる。

 と。言葉にしておくことで少しでも自身の存在の許しを乞おうとしている。

 ここまでが恒例の流れであった。

 

 箸の持ち方は綺麗な方がいい。

 まず箸を持ち始める手順からマナ~に則っていると、素敵である。

 そしてそのような価値観を持つ自分自身が、他でもない自分自身がそれらを実践しようとすることで、無意識的に他者からの好印象を掻き集めようとしているのであった。

 私はただ、無条件に全人類から好かれたいだけの高慢ちきな者でしかない。

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 美味いホタテ

床暖とライン

【日記】

 ポテトサラダが好き。きゅうりとか玉ねぎとか明確な“しゃきしゃき要素”が入ったポテトサラダが好き。特に自力ではとてもじゃないが作れないというか、惣菜として買った方がダントツでコスパがいいものトップスリーに入るのがポテトサラダである。以下本編。

 

 母が連絡してきた。

『暖房つけているか』とね。

 当たり前じゃこちとら最低気温何度やと思うとるか寒くて目が覚める室温になっとろうて暖房無きゃ死ぬるわいと返すと、『ならばよい、電気代が足らぬなら支援するので言いなさい』と、決まってこう百点満点を返して来られるのだ。

 去年も全く同じ時期に同じことを聞かれた。一昨年も聞かれた。私が一人暮らしを始めてから毎年欠かさず、十月半ばから下旬になり始めると母はLINEを飛ばしてくるのだ。私はといえば『サーモセンサーかよ……』と思いつつ、基本毎度普通に返答するまでだ。元来より私の母が千里眼気質であるのは今も昔も変わらない。毎年の其れに対する返答も形骸化したものだ。

 ただ、去年の其れに関しては、去年、当時の私はそのメッセージを認識した次の瞬間には

 

よし死ぬか…………………

 

 とまず思っていた。

 

  ◆◆◆

 

 “死ぬか…”という単語は、結構頻繁に若者の間で使われる。ような印象を受ける。若者の身としては。

 社会的死や恥辱に直結しかねないミスを、他でもない己が犯してしまった時に発するものが多いような印象を受ける。

「期末の提出課題の形式ミス、〆切前日に気付いたわ」「フーン死ぬか……」

 目の前に迫る、規模の予測すら困難なほどに尋常ではないストレスを、“死”でもってしてヒョイと回避することを短絡的に望むのだ。“死”は魅力的だ。生きていれば必ず負うであろう苦痛やストレスを、断じて受けることがない。

 断じて、だ。

 確率が低くなる、というような問題ですらない。何十年もの単位で生きることが前提となっているホモ・サピエンスとしては、実質的な確率の数字へ頼り切ることはあまり現実的ではなくなってしまう。排出率0.1%未満のソシャゲガチャで、見事数回以内で目当てを引くこともあれば……成功率85%のTRPG技能の成功率で連続して失敗することもある……それが人生だ。

 そんな中で、この世で数少ない『絶対』という概念の中で、“死”とは。迷いなく『絶対』と言える概念だ。

 

 死ねば絶対苦痛は味わわない。

 死ねば絶対ストレスを負う必要はない。

 死ねば嫌なアイツに顔を合わせる必要もない、言葉を交わす必要もない。大嫌いなあの概念を認識する必要もなくなるし、精神のプラスの状態からマイナスへ陥る時のあの途方もない絶望感を味わうこともなくなる。絶対に。絶対に。絶対にだ。

 世の自殺志願者とは、この辺を求めているのではないかな。

 私の観点としてはこれらに加えて、私が死んだ時に途轍もない苦痛を負うと考えられる人間達に絶対的な苦痛を負わせるためという並々ならぬ目的もあったが、これに関しては“人それぞれ”の部類に篩い分けられると思うタイプ、だと思う。

 例えば母親である。例えば姉である。例えば半分とばっちりの父親である。

 彼らの人生が不可逆に歪められるという確信を以てして、私は近所の天文台を見繕って眠剤貯蓄に勤しんだところがある。

 苦痛を負うのが狙った彼らだけだったならどれだけよかったかね。勿論認識していた、絶対に苦痛なんか負わせたくない人間達にも、相対的でなく絶対的なる同じものを負わせることになるということは。

 しかしそんなことはまるで重要でなくなるのだ。優先順位は低くなるのだ。寧ろ相対的にぶっち切りで順位高まる概念が他にあるのだ。

 それは“逃避”と“復讐”という概念だ。

 そのためならば何をしたって良いという思考に陥るのだ。嗚呼思い出した。酒飲んで自分のロクでもねェ人生のこと考えるとちゃんと思い出す。忘れないようにしなければ。

 

 私は私の愛する人々を揃って同時に漏れなく確実に的確に不可逆に不幸へ陥れようと、自身の目的の道連れにすることを本気で考えたことがあるのだ。

 

 去年の今頃、母親が例年通りに『暖房つけなね』と連絡してきた頃は、大気中の酸素を消費することにすら罪悪感を覚えていた頃だ。暖房などもってのほかだ。しかも親の金を使ってまで。

 己は凍えて死ぬべきだと心底考えていた。内臓機能を低下させて死ぬべきだと。幸福の何たるかを一切思い出せぬまま死ぬべきと。直ちにこの場で死ねと。そのように考えていた。

 しかもそんなカスに等しい己がメンタルの旨を完全に秘匿していたため、一層その気持ちは強かった。千里眼の母親といえど、言葉も聞けず顔も見られず挙動の把握もしきれずという状況では流石に知る由もなかっただろう。年明けぐらいに知られる羽目になった訳だが、暖房のオンオフを心配される頃にはまだ知られちゃいなかった。そんなこんなだったので、私は考えた訳だった。

そろそろ死ぬか……

 と。本気で。

 しかも床暖がついている現在の“住”を見繕ってくれたのはこれまた親である。家賃を払ってくれているのもこれまた親である。

 また、こんな献身的な親を持って義務教育範囲外の教育機関へ満足に通える時点で恵まれているにもほどがあるのだ。母親から暖房をつけなさいねと心配されただけで希死念慮を抱くアホクソの一体何処に実質的生存価値があるのか?

 こんな感情を抱く自分が相応の恩恵を享受する資格が一体何処にあるか?いやない(反語)故に今すぐ私は私が今立っているこの立場から退場して他の誰かへ譲るべきなのだと。生命活動を停止すべきかと考えずして何を心配できるだろうか? 今となっては思考が極端過ぎるものだが、今でもキチンと当時のこれらは納得することができる。

 

 何の話しようとしてたっけ。

 そんなんなので最近は床暖つけてんだけど、寝具を床に直置きは衛生上良くないとか言われてるらしいんだよね。固い寝床が好みなんだけど。寝起きで布団片す元気も流石にないし。

 うーんどうしようね。

 

【好きなもの】

 しゃきしゃきが入ったポテトサラダ

偏差値クソ喰らえ

【日記】

 最近割と元気。

 良き研究室に配属になったおかげだと思う。文系ゼミ所属でまたしても精神病みかけている友人の話を聞いてみると、典型的なアカハラであった。クソ教授など頃してしまえ……。

 以下本編。

 

 就活をやっている。就活をやっている。

 今年度前期は丸っ切りほぼスルーしていた就活を、最近ちまちまやっている。偉い。いや全く胸を張れることではないが、やっているだけマシであると思う。

 今日(昨日)は葬儀場のwebイベントを見てきた。大きめの都市に所在する葬儀場だったが、参加者は十名もいなかった。今日という単発の日程しかないイベントであり、全国から募集しているくせに十名もいないのか、と驚いた。

 ズ〜ムで気軽に見られるものだった。今度別途開催される対面のイベントではスーツを着てこいという記載があったが、私のパンツスーツは灰色系統なのだよな。実際葬儀に割り込む訳ではないにせよ、真っ黒でなくてよいのだろうか。

 そも、先日帰省した時、母親から『就活はパンツスーツやなくて女はスカートで行かないと印象が悪くなるかもしれない。お前にスカートのスーツを買ってやらねば』という話を聞いたばかりである。巫山戯るな馬鹿野郎舐めやがって此の畜生というのが心証だ。ナマの脚を曝け出さねば性染色体ペアがXXのニンゲンは一定評価が得られないような狭窄な世界などに私は入りたくない───めっぽう滅入ることじゃあないか。

 追記:母親よりは歳が近い歳上の人々によると全然そんなことないらしい。やったぜパンツスーツ教

 まぁしかし少なくとも今日あったイベントは顔面が小マシなら問題ないとのことだったので割と気軽に聞いた。やはり葬祭業に絞って検討してみようかなと思ったものだ。ビビるほど『資格』たるものを持たぬ上に興味のない商品の営業もやりたくなく、体力も乏しく、自己肯定感の低い人間が目指せる仕事も限られる。この業界が消去法という訳では決してない(休学中専門学校に入ってまで目指そうかと画策したことのある業界である)のだが。

 

 しかし久しぶりに自身に酷く辟易した。

 癖というかうっかりというか、駄目と分かっていながら抗えなかったというか。その業界その業種その会社に所属する人々の情報───就活サイトから容易に見られるのだが───の、“出身大学”の欄を見てしまったのだ。

 クソが代ォ〜〜〜〜〜と思っている、自身に対して。またしても“偏差値”を意識してしまった。何処もかしこも低偏差値の大学出身の新卒者ばかりだ、偏差値気にしいの母親が何というだろうか、

『私の娘はもっと優秀な筈なのに』『相応しくない』

 など言うのだろうか……などと過ってしまった。過った直後には壁にデコを打ち付けて絶叫した。あまりの嫌気に。

 偏差値って何だよ。六十以下なら付き合うギリはナシ、と思い込んでいる肉親並びに自分に対して反吐が出る。何かをどうにかして計算すれば出る数字だった気がするが、それが何だって言うんだ。

 つい最近のニュースでもそうだ、公共の場で迷惑行為に及んだ人間の出身校の偏差値が挙げられ、「やはりこの偏差値の者どもは」とボロカス言われていた。煩ぇなぁ、貴様らがボロカス言うその高校に、私の記憶の中の(確かに馬鹿だったが)凄くいい子だった元同級生が、(馬鹿さ故ながらも)必死の勉強の末に合格してったんだぞ。賢明な努力の末に、貴様らがそうして安易に馬鹿にする学校へ合格していった、私なんかよりも尊敬に値する偉い偉い人間の存在を。私は知っているのだ。

 一概にラベリングする事で、すぐそうやって思考停止しやがって。

 

 身体も楽するクセに精神までもラクをするな。

 高等な知性を持ち複雑な思考回路を持つ文化的生命体に生まれついたなら、大人しく何もかもを考えあぐねて苦悩しとけよ。

 でなきゃその辺のアスファルトの隅で砂糖でも舐めてろ。

 

 偏差値なんてクソ喰らえです。

 これは私が偏差値という概念に苦しみ振り回された経験に基づく私怨による感情の話であって、概念の価値を問うものではない。ただ私個人がキライなものの話をしているだけだ。

 何処に就職しようが誰にも、肉親にも、自身にすら文句は言わせたくない。助けてくれえ。

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 消臭剤系の種類として『石鹸の香り』。

芋への回答

 貴様は浅ましくも学歴を得るために復学をしたのだ。大人しく認めたまえ。

https://agatelastone.hatenablog.com/entry/2022/05/17/000540

 

 貴様は浅ましくも愚かしくも只々学歴を得たいがために復学をしたのだ。

 己が幼少期の思慮の浅い夢にカケラでも報いるために復学をしたのだ。

 将来なるべく金が欲しいかつある程度のドヤ顔ができるように復学をしたのだ。

 休学期間中に自身を顧みて泣く以外、何一つ出来ず細々と最低限の生命活動を繰り返すばかりの己に嫌気がさしたから復学をしたのだ。

 唯一できるのがスマホゲームやスイッチの横スクアクションしかないと曰い、衣食より先にゲーム起動しか思い浮かばなかった現状がクソだと思ったから復学したのだ。

 泥酔しながらも何故か日本語はそれほど崩壊していない上に無駄に面白い文章を書く可哀想な自分自身を可哀想だと思ったから復学をしたのだ。 

 七時ごろの寝起きに砂糖マシマシのコーヒーを突っ込み、グラノーラを齧って洗顔してニキビを隠してイヤーカフをしてトレンチコートを翻すために復学をしたのだ。

 恩師にダブルピースで「復学したったwww」と報告するために復学をしたのだ。

 意思疎通ができる上そも日本語が通じて有意義かつ円滑な議論を他者と行なえると知るために復学をしたのだ。

 意思疎通もできず日本語も通じず無意義で滞りしかない議論もどきで精神を削られる人間関係が異常事態だったと気付くために復学をしたのだ。

 このクソバカがァ!と同期と共に学業の困難さに文句を垂れつつ駄弁る時間のために復学をしたのだ。

 クソみたいな非人道的課題を課す教授に面と向かって、オブラートに包みつつもしかし確実に恨み言と文句を投げつけるために復学をしたのだ。

 目を覚まして自己の意識を持ったその瞬間から希死念慮を抱かぬために復学をしたのだ。過剰に人目に怯えぬようになるために復学したのだ。近所の天文台と溜めた眠剤と、高濃度のアルコールに人生唯一の希望を抱かないために復学をしたのだ。

 取り敢えず死にたくはなかったから復学をしたのだ。

 

 研究室配属先のアノ助教にちゃんと会うために復学したのだ。

 休学届にサインを貰いに行った時、私が入学した当初から何もかも見透かしたような顔をして、退学前提の顔をする私に「お気軽にね!」と笑うことしかしなかった怖い怖いアノ教授の言うことに何かを感じたから復学をしたのだ。

 あの日あの夜に拳銃で眉間を撃ち抜かれ、色々なことを後悔しながら死ぬアノ夢を見たから復学をしたのだ。

 しかし何より何よりもただ、“学歴が欲しい”の浅ましい一心のみだった。そしてそれが奇跡的に許された。だから復学をした。

 

 そうだった。多分。ブログに書いてあるから多分そう。

 何が悪い。

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 大吟醸

 

【追伸】

 脈絡なく机殴り出すのは異常だから早よ病院行きな。

そういうヤツ1

 理科室の後ろの方で部員の輪から離れてただ一人、黙々と本を読んでいたのがその人であった。

 私という希少な新入部員がいるということで、他の先輩方が私を囲んで相手してくれている状況の中。混じろうとすらせず只管に一人で本を読んでいて……日が沈んできた頃に不意にさっさと帰って行ってしまったのが、その人であった。表情ひとつ動かず、「お先に帰ります」以外の何も喋らず去ったその人を指して、

「あの人何年生です?」

 と私が一個上の先輩に聞くと、

「私らと同じ学年の熊本君だよぉ」

 と先輩は教えてくれた。

 教えられて、ほお成る程彼の名前は熊本さんというのか、と、もう跡形もなくその場から消え去った一人の先輩の姿を私は思い返した。恐ろしく無愛想な“熊本先輩”のイメージは───私からの第一印象として、

 “非常に好感が持てた

 のは間違いない。

 

 

 高校時代は日記をつけていた。

 高校生になってから所持を許されたスマホのアプリで、なるべく毎日。つけ始めたのは、一年生の文化祭直前辺りから。

 どうしてこの時期からだったのかについては特に理由はない───ことはない。寧ろ大いに不純なきっかけがあった。己はかの熊本先輩のことがだいぶ好きなのやもしれぬ、と自覚したのがこの頃だったためだ。

 文化祭に近づくと、文化部である我が部は一年間で最も活動的になる。故に、部活動絡みで部員同士が交流する頻度が増える訳だ。学年が違う先輩方とも方針について論ずるに論じ倒し、ついでとばかりに他愛なき世間話も喋りに喋り倒す。そうして熊本さんとも顔を合わせ倒し、そして話し倒しをしていた時期に、

『なんと笑止千万たることに己は人生三度目の片想いを開始してしまったのやもしれぬ』

 と私は気がついてしまったのであった。

 

 活動不可と分かった日には井戸端会議にも参加せず早急に帰り、元々の口数もボディランゲージも僅少、表情も真顔の一種類がメイン、ニンゲンと接触するより読書する方が有意義と言わんばかりに本を読んでおり、部室に次いで出没頻度が高いのは昼休みの図書室。熊本さんはそのようなタイプの人間であった。押し付けられたか自主的か不明だが、図書委員をやっていたし。

 この手の人は“ガチでニンゲンがキライ”という可能性もちゃんと考えられるため、あまり勘違いして距離を詰めてはならないと私は知っている。しかしこの熊本さんとやらに関してはその限りではないと、初対面後一ヶ月程経った頃にちょっとしたきっかけでちゃっちゃと判明した。少なくともニンゲンと話すこと自体を忌避しているタイプではないと。

 まぁ、とはいえ活動後の駄弁りに参加しないで爆速退勤していくのも変わりなく、同期の先輩から「熊本君も○○する?」と言われれば

「いや。俺はいいです」

 とぶっきらぼうに返すのが常。そういえば部員以外の生徒教員と話しているところを見かけることすら、かなり少なかった。付き合いが悪い上に、それに関して全く忖度する様子も見せぬ冷たさ。

 正直、『それの何処に惚れたんですか?』と問われれば「え? うーん……」となってしまって即答できない。

 

 ああしかし、アレが“きっかけ”だったかについてはちょっと自信がないが、それらしいものはひとつ覚えている。

 一年生の時、文化祭の準備等に追われていた頃、部室(理科室)の机に突っ伏して寝ている熊本さんを見たことがあった。私含めた部員数人が部室外で済ませてきた用事に、これまた一緒に行くのを断っていた彼が一人で待機していたためだ。

「先輩終わりましたよぉ」

 と私が声をかけた時にむくりと体を起こした寝惚け眼の熊本さんの前髪が、上向きに跳ねてめちゃくちゃになっていた。『おもろ…』と思った記憶がある。

「終わったんですか。じゃ俺は帰っていいですか」

 低い声でそう言ってから、いつものように熊本さんは帰って行った。文化祭の直前のことだ。“寝顔”という概念が好きであるのは、この経験が影響しているのかもしれない。

 そしてこの頃から少しして、私は痛々しい日記を書き始めた。

 

 コイツは小っ恥ずかしい、昔の片思い日記の残骸たるシリーズです。

 

 石澄香

 

 次→(まだ)

SNSで本名を出すな

【日記】

 最近の気付き。休日は何もせず身体を起こさず過ごすより、“何かをする”方が有意義な休日を送れたものとして結果的に精神の休息となる。

 どれだけ寝起きの私が『横になって呼吸する以外に、私には何ら欲求などない』と主張しようが、それはきっとデマである。

 以下本編。

 

 性格が悪い。私の。

 日々攻撃対象をわざわざ見繕っては、必死こいて叩いている人々が苦手。特段SNSは、そういう方々で溢れ返っているのでなお苦手。見やんでええやんそんなもん、気分悪なるものをわざわざ見に行ってどないするん、そう思うので苦手。しかしそういう者どもが何故そういう行為に手を染めるのか、非常によくよく分かる。

 ちょっとしたストレス発散を求めているのか、私もしばしばやってしまうからだ。自身の正当性を再確認できるからだ。軽く軽く、自身が如何に『正しさ』を有しているかを実感できるからだ。

 その昔、幼い頃に私を虐めていた女の、今も確かに稼働しているSNSアカウントを先日見つけてしまった。

 

 幼少期、ほんのちょっぴり虐めを受けていた。マジでちょっぴりである。

 六年くらい続いていたし、その辺に関する特定の記憶がソックリぶっ飛んでいる辺り相当嫌な思いはしたようだが、本当にちょっぴり。クラス中の女子から攻撃されたものだが、そもそも『クラス中の女子』がたった三人しか指さないような限界集落学級であった。すっくね それに、明らかな主犯が一人だけいたタイプだった。従って、主犯が転校してからは虐めは皆目なくなった。

 主犯の女は強かった。漠然と強かな女だった。当時の私がそんな印象を抱いていた理由は、酷く幼稚なものばかりだ。自分より背が高かったとか、自分と一年近く誕生日が離れていたので最早歳上に見えただとか、運動も勉学も基本微妙に勝てなかっただとか、他者を操るのが上手かったとか。主犯の女が風邪で休んだ日には腰巾着状態だった子が目に見えて優しくなり、わざわざ私をトイレに呼び出し

「主犯ちゃんがキツく言うから逆らえない。でも私も香ちゃんと仲良く遊びたい。今日は主犯ちゃんいないから、一緒に遊んでくれない?」

 と懇願してきた。寛大で無垢で花畑だった私は、それを了承し、翌日ものの見事に裏切られた。

「は? そんなん言うてへんし……」

 口を尖らせるその子を何回見ただろう。しかし幾度それを繰り返されても、私は「いいよ」と頷いた。逆らえへんのやろなぁと毎度の如く頷いたからだ。この辺、別に腰巾着ちゃんを恨んではない。もう最近は全く連絡を取らないが、私としては今も良き友人のつもりである。

 重要なのは、かの主犯の女の絶対的な掌握力だ。たかが彼女が風邪を拗らせ数日欠席したところでそれは衰えることはなく、彼女が味方を失い途方に暮れる様子はとんと見たことがなかった。今思い返してもその目には、いつでも自身の立ち位置の安定に対する確信めいたものが垣間見えた。強かな女だった。

 とはいえ、男子を掌握するには悉く失敗していたのは不思議なことだ。虐めがやや苛烈化してきた頃、私の味方は学年の男子達(※三人)だった。完全に孤立したことは結局なく、それが大いに運が良かったのだろう。

 

 しかし、その“強かな”という印象は、当時の自分を基準としている。人間の観察力もまだ乏しい小学時代の。

 今の私は成人している。だが小学の途中で転校し去っていき、二度と会うこともなかった彼女の像は、私の中で未だに小学生のままなのだ。一部吹き飛んでいる当時の記憶をかき集めてみると、現在の私の目から見てあの女は、随分と哀れな子供だったのではないかと思ってみたりしている。

 又聞きの家庭環境に不審な点があったり、妙に虚言が目立っていたり。彼女は四六時中六年間毎日欠かさず私を虐め倒していた訳ではなく、四割程度は私とまるで親友のような関係だった時期すらある。その掌を返し、彼女が私を虐め始める瞬間は予想がつかなかったが、今考えてみると少しタイミングには共通点があった気もする。

 多くが消し飛んだ記憶中の、希少な彼女との会話に印象に残っているものがある。虚言だったのか否か、彼女が「私引っ越して転校するかも」といつぞやこぼした時。あの時私は彼女の隣でブランコに乗りながら、

「行かんとってほしい」

 と言ったのだ。確かに言ったのだ。心からそう思って寂しがって、自身を地味地味虐めていた女に対してそう引き留めたのだ。阿呆らしい、我ながら阿呆にも程がある。ただ、これを聞いた彼女の方がどんな顔をしていたのかは、もう覚えてはいない。

 ただブランコに揺られながらそうこぼしていたあの女の其れは、きっと試し行動だった。そう言ってみて、周囲が自分に対してどんな印象を抱いているのかを探ったに違いないと思っている。恐らく私以外にも、私以外の学年全員(※五人)にも、同じことを言っていたのだろう。一体何人が彼女を引き留めたのか。

 実際あの女はのちに転校して行ったが、転校後一年経った頃に我々へ一通手紙を出してきた。返事が欲しいと書いてあった。

「誰が返事なんか出すか、香ちゃんにいけずしてたクセにな」

 誰かがそう言って、皆が頷いて、誰かがその手紙を捨てた。

 

 “羨ましかった”のだろうな、と思うのだ。

 あの女との初対面を思い出す。園児の彼女は同じく園児の私を最初に虐め、それが発覚し保育士に詰められた際に

「保育園にスカートを穿いてきたから」

 と平然と理由を述べ、私を詰ったのだ。スカートを穿いてくるな、というルールはその保育園にはなかった。しかし『女児でもズボンが基本』という暗黙の了解のようなアホらしいものが、確かに存在していた。子供の間に限ったものではなく、寧ろ大人たちがそんな価値観だったからこそ子供らに伝染したタイプのものだ。県外から越してきた私が着てきたスカートを睨みつけ、ズボンの彼女は非難した。

 “羨ましかったのではないか”と思うのだ、華やかなスカートを穿くのを許された都会者が。その他私の諸々が。それが理由だったかも分からないしそれが他人を虐めていい理由にはならないが、私は只々奴が哀れに見えてくる。

 まぁ今の私は就活のスーツにはパンツスーツじゃなくてスカートスーツでないと駄目らしいという噂を聞いてブチ切れる程にスカートを履かない人間だが……

 

 かの女は些か珍しい名前だった。

 今でも思い出せる。もっと大事だった友人達の誕生日は忘れたくせ、その女の誕生日は一日たりとも忘れていない。その女の名前も、その兄弟の名も、どの辺りの住所に住んでいたかもソラで言うことができてしまう。特に今の私に害をなす記憶ではないとはいえ、嫌いなことほど覚えてしまうのも難儀だ。

 冒頭の理由により、彼女の名をSNSで検索にかけると、その名を持つ人間の噂をしている人々が引っかかった。調べてしまうと、数年前程度の比較的最近の彼女の写真も当たってしまった。聡明だった彼女は、何となくアホヅラになっていた。

 アホヅラだなぁと思った。アホヅラで、しかし一層美人になっていて大変結構だ。私の名前、かつて虐めた私の名前も、覚えていないに違いない。

 ただ。私というかつての“被害者”から。十何年も経った今『可哀想なやつだった』と影で言われているあの女は、絶妙に“可哀想”であるなぁと感じた。

 

 それはそれとしてSNSで本名を出すな。私という碌でもない人間がいるのだから。

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 アーガイル柄(着るとは言ってない)

ルネスタ怪文

 

 雨音

 雨粒が屋根を叩く音 それが流れて落ちてくる音 雨粒が窓を叩く音 地面を叩く音

 

 寝床から起き上がる

 枕がない シーツは洗濯されたてええ香り 煎餅になっていない掛け布団

 

 ドアを開ける

 分厚い木 金色のノブ 洋風の洒落たデザインなもの

 

 階段を降りる

 螺旋状 犬の乗降補助の滑り止め付き 少し空いた窓から大きくなる雨音 階上から聞こてる誰かの咳 階下で回る誰かの乾燥機

 

 居間

 犬 ソファ 犬の毛 テーブル 犬 壁のフック 犬の毛 犬の毛 フックにかかった回収し損ねの私の鞄 犬 犬の毛

 

 冷蔵庫を開けてちょっと牛乳飲んだ

 雨の音 誰かのいびき 犬の迷惑そうな視線 電気つきっぱなしの廊下 暗い居間 アー実家 数年前まで当たり前に此処で生きていた場所 常に自分以外の人間の気配がする

 帰ってきた先の家に“誰もいない” ことに憧れて、というか逃げたくて望んで物事がトントンと上手いこといったが故の現状であるが、毎度この夜半の暗い居間の雰囲気に息をつく自分がいる

 

 鞄から出した眠剤を今日は二種飲んでみた。

 襲う『実家の安心感』。いつもいつもよりもここでの寝起きがいいのが腹立たしい。ここから離れなければここでQOLの高い暮らしを維持できるのだろう、そう考えては湯船の中で現住所に帰るのが面倒に感じ、そう感じる自分を軽蔑する……を毎度繰り返している。実際実家の方が寝起きが良く、朝起きれば牛乳と食パンとトースターとすぐ使用できる食器があり、こういうのは普段の一人暮らしの中ではこうはいかない。

 ちょっと母に向けてジャブを繰り出す姉。スルーする母。無言の父。ヒヤヒヤする私。

 こういう思いをするのが嫌なんだよな、と思い出す。これについて前にクソ姉は『貴様が気にしなきゃいい』と吐かしよって、冗談抜きで刃物を振り回してやろうかと思うほどに傷ついた私であったが、気にしなきゃいいなんて暴力的な台詞は人に言ってはならない。そう簡単に自身の心を動かせると思うな、他人の心に指示できると思うな。

 心とは、そこに“有る”から“有る”ものだ。

 ゆえに

 

  ◆◆◆

 

 上記まで書いた時点で眠剤が自我を破壊していた。

 変な操作して投稿しなくてよかった。しかし『下書き保存』ボタンを押すのに少なくとも五回くらい失敗した記憶がある。さっさと意識を絞め落としたいためと、偶然持ってきていた二種の眠剤を久しぶりに飲んだが強い強い。レゴブロックで出来た『自我』という作品を横から挟んで圧力をかけて、雑に、半ば強引に壊すように眠ってしまったらしい。

 まぁ冷静な結論で言うならば……実家で寝起きがいいのは何のことはない。

 マンションにある俺の寝具が合っていない

 柔らかすぎるのだ。一人暮らし開始時にも『ちょっと柔らかい気がするな』と感じていたが、寝具問題からずっと目を逸らしていた。枕がないせいかと思い(それまで枕ありで寝たことがない)無印で適当〜な枕を買ってみて、それで“改善したのでは!?”などと思ったりもした。が、やはりダメなのだわ、柔らかすぎるんですわ。

 まぁ車も最近得たことなので、ちょっとホムセンでクソデカベニヤ板でも買ってこようと思う。

 後半期も適当に生きるぞ〜

 

  石澄香

 

【好きなもの】

 ガラスに残る犬の濡れた鼻の痕跡