石沈みて木の葉浮く

石は沈みて木の葉浮く

イラスト文章 つれづれ 学生

ステルスメジャーを推してみる

「石澄さん、いっつもヘッドホンしてるけど何聴くの」

 

 デカくて重くて安かった、当時の私愛用のデカいヘッドホン。

 耳に好きな音をぶち込むことで感覚の多くを曖昧にさせ、ぼんやりするのがお好きである。それに加えて休み時間、すれ違いざまなどさり気ないタイミングにおいてこのように『耳を塞いでいる』事で消極的に

「話しかけんでもよい」

 という意思を周囲に認知させるという作戦が常にあった訳だが……コミュニケーション力がカンストしている者は、こうして稀に声をかけてきたものだった。ぶっちゃけ正直率直に言って不本意であった。別に、人から話しかけられるだけで四肢が散って五臓六腑が爛れ自我が瓦解するようなコミュ障では、私はないのだが。こう「話しかけんでもよい」を前面に出す者の意思を掻い潜ってやってくる人間には、些かの不信感が募らないか? 私は募る。酷く激しく。

 まぁしかしだと言って、私は別段動揺する事はない。また敵意を抱くまでもない。たとえそれがクソデカヘッドホンをしながら一人で背中丸めて飯食ってる女に世間話を持ちかけてくるちょっとヤベー人に対してでも。

 私はヘッドホンをずらし下ろして、話しかけてきた彼の質問に即時、自信を持って答える。即ち、『貴君が今その耳殻に装着せし機器で拝聴している音曲は何ぞ』。

 

平沢進です。

誰それ。

 

 そして彼は去っていった。

  

  ◆◆◆

  

 姉が洋楽好きである。

 彼女は六十年代のロックギタリストが大好きで十何年も推し続けており、自らが彼らを推す様をここではない別ところのブログで徒然なるままに書き綴っているようだ。向こうさんは読者数が多いようで、妹としてはちょっと嫉妬している(まぁ私も別媒体では一定数人気の文字書きとしての人格を持ちますが……???)。勿論ここでは読者増加が第一目標ではない。通りすがりの者の人生を少しでも厚くできたらいいなと思う吐瀉物を置き逃げしているまで。

 脱線したがさて、そんな彼女・私の姉はそこそこ初期の方から、時たまライブなるものに行っては金が足りねえと嘆いていた。幼子の特権・年玉などは、サッサとチケット代に溶かしていたような気がする。

 対する私には何もなかった。親戚に媚を売り年玉は溜まる一方、好きなミュージシャンどころか好きなアイドルも好きなアニメも大してなかった。ここで言う『好きな』とは、その名を聞くだけで問答無用で金と愛を時間を投じることができるほどに執着できるもの、という意味である。今でこそ『好きな』ゲームが私の前に現れている訳だが、所詮数年前からであるし別に姉ほど金は溶けていない。と思う。実感では 兎角、ライブなどというものには行ったこともなければ興味もない。というより、三次元の歌うたい若しくは踊りおどりにはトップの『推し』などいなかった訳である。

 ……などとまあ長々吐かしているが、この記事は要するに平沢進のライブめっちゃよかったという話をしたいだけの内容だ。アホか?

 

 

 話をしよう。あれは今から36万……いや数年前のツイッター。人々が噂する日本人アーティストを、その日私は何気なく認知した。

 つまり弩級のニワカです。さぁ古参の馬の骨の皆さまはお帰りください。

※馬の骨:平沢氏のファンの総称。昔平沢氏がそう呼んだ事がきっかけだが、馬骨一同は誇りを持って馬骨を名乗っている。

 非常にベタな知り方だった。アニメ映画に使用されている楽曲の話題がタイムライン上に流れてきたのをチラッと見かけ、あまりに奇抜なアニメーションに吃驚して再生したが最後、その電子ドラッグの虜になっていた訳であった。

www.youtube.com

 一言で言うと『奇抜』であるが、敢えて何がとは一々ここでは言うまい。彼の音楽は『何かに対する俺の感情を表現』という主張ではなく、『あの人へ贈るこの俺の思い』でもなく、強いて言うならば『掌から幾何学多面体が出てきたのでこの空き地の隅に置いておく。通行人のオマエタチは見て行くならば見て行くがよろしい』に近いのではと思う。

 平沢進さんというアーティストの背景についても、膨大なインターネットの海の潮溜まりであるここでわざわざ語らなくともよいだろう(面倒)。六十七歳……にしてはあまりに美し過ぎるおじさんである。こう数字で書くともうお爺さんなのではないだろうか!? 衝撃的である。さっきも言ったが、つい先日平沢氏はライブをやったのだ。野菜しか口にしないクセに一体どこからあの声が出るというのだろうか……。悲しいことに基本的には、平沢進を知らない人間の方がどうも多いようだ、前述の通り。私のツイッターのフォロワーはみんな知っているというのに、実家に帰った際も三名全員から「誰」と一蹴されてしまった。なんともったいないことだろうか。だが音楽といい人格といい語彙といい、このおじさんのクセ強さがマジョリティに理解されにくいのは明白である。そして氏自身も「誰だよヒラサワって」と噂されることが好きとのこと。CDショップ回って自分のCDあるかたまに見回ってるクセにね

 そう、平沢氏のクセの強さを、ここは一つ彼のツイートを引用して紹介してみたい。分かりやすい発言の一例がこのツイート。

 平沢おじさんはオーガニックかどうかなど含め食材にこだわりがあり、加えて先ほども若干溢したが彼は完全な菜食主義者ヴィーガンさんだ。私個人の考えとしてはやはり人間は肉も食わねば健康によくないのでは……?と思っているのだが、平沢氏レベルになるとイメージ的に近いのは霞を食らう仙人ではなかろうか。寧ろカッコいい事態。このまま悠久の時を生きてほしい。

 このように上記のようなツイートは何を言っているのか、非常によく分かる。ただ問題は次のような例。

 

 マ〜ジで何言ってんだろう。

 私も全く古参ではないのでそれほど自信はないが、このツイートを百倍くらいに希釈すると『いいとこのたくあんを薄切りしてヴィーガン用マヨで和えたら深みのある味がして美味しいよ、という話をオチにして今日のツイートはお終いです』という事、だろうと思う。というか、この程度くらいなら理解ができる自分が恐ろしい。初めて平沢進という人間のツイッターアカウントを発見した時、ツイートのその極まる難解さに私はてっきり言語翻訳ガバガバの異星人が運営する謎のサイトに来てしまったのではなかろうかと錯覚した。ぶっちゃけ今ももし『平沢進は異星人です』という事実が露呈されても『せやろな〜』とノータイムで納得するだろう。

 

 そんな可愛いおじさん平沢氏が先日行なったのがライブ『24曼荼羅』である。

 先ほど貼った動画は四年程前の『第9曼荼羅』、コンセプト的にはこのライブの続編に近しいもの。何の数字だろうか? 3の倍数? 3×3から……3×8……2.6666倍……全て関係がない。これは平沢氏のツイッターフォロワー数だ。9万人に到達しちゃった時に『ライブ中にスネアドラム9万打する』第9曼荼羅、24万人に達しちゃった先日のは『ライブ中にスネアドラム24万打達成する』として24曼荼羅何言ってんだ……

 常々平沢氏は己のツイッターアカウントのフォロワーが増えることに苦言を呈し、「平沢進メジャーではない。ステルスだ」と自称している。可愛い自撮りをうpするのがよくないと思うよ だがこのようなコンセプトのライブを開催してくれる辺り、やはり満更でもないのかもしれない。因みにフォロワーの数だけスネアドラムを叩くという意向の真意は、私にはちょっとよく分からないですね。

 また、フォロワー数はかなり前におじさんのツイートがバズったことで25万に到達している。それについて平沢おじさんは25万ではなく『24万超えてしまった』としきりと言及していたのだが、私はそれをはじめ見た時「一瞬で1.5万人くらい増えちゃった現実を直視できないのか……」と思っていた。実際ファン───馬の骨のみなさまもそう思ってらした。しかし恐らく違う……フォロワー数24万を超えた時点で『24曼荼羅のライブを企画する』という構想を、随分前からおじさんは練っていたのではないだろうか。そしてまさか瞬時に24超えて25万人のフォロワーが発生するとは夢にも思っていなかったのだろう。現在、彼にはそろそろ26万という数字が見え始めている。テレビに出るような有名人でもないアーティストなんてそんな勢いでフォロワ増えるもんじゃないよ普通……。

【追記】スムージーをぶちまけた写真をツイートした事などからこの記事を書いた2日後、おじさんのフォロアーは無事26万人を超えました。 

 

 ライブ開催の告知を見て私は唸った。私は基本的にクソケチである。曲などCDを聴けば良い、というか観客の悲鳴などがない時点でCDの方が音がいいのは明らかだと思っている。加えてチケット代は高い。あとよくチケット会社がトラブっている(偏見)。遠征する必要もあり日帰りが難しい。ライブで新曲が披露されてもそのうちiTunesやアマゾソで配信されるだろう。更にはチケットが高い。もう一つ言えばチケットが高い。このような考えの下、ライブなどには基本『行かない』という選択を取りがちだった。立ちっぱとか今の私には死に等しいし。

 だがよくよく思い出してみる。平沢氏はライブ中、真顔でステージ上にてディスクグラインダーで金属を切り始めたり、真顔で謎のスプレーを両手に持ち噴霧し始めたり、真顔でチェーンソーを持ち出してきたりするアーティストなのだ。

 気にならない方がおかしくない?

 私だってレーザーハープをつま弾く美しいおじさんにキャーと言いたい。そうかこれがライブに行きたいという思いか。私は納得した。

 更に私は思い出した。平沢おじさんだっていつか死ぬのだ。いくらこの私が有象無象の木っ端若人であろうと、平沢進氏が自分と同じ星に生まれた事、国に生まれた事、そして同じ年代を生きている事の全てが奇跡ではないか。ならば奇跡の下生まれし者として、生声を聴きに行かぬ手はないだろう。更には平沢氏の動画のコメントにはよく『CD音源より声がいい』と書いてあるのだ。最早選択は決まったものである。

 そして意気揚々とチケットを取った私の元へ数週間後に届いたメール。

 

 「感染拡大防止の為、OH阪行きのバスが欠便しました」

 

 チクショ〜〜〜〜〜!!!!!!!(慟哭)

 分かってはいた。正直情勢的によくなさすぎる。しかも何かとOH阪に関するニュースが倍増していた時期に、ライブ会場は天下のウメダである。この場合、「もし厄介ごとになった際自己完結で責任が取れるのかどうか」という点が重要なのだ。そしてその答え、社会的責任能力も危うい実質ニートには明らか。

 ……とは言えどやはり悲しすぎたので、私は天下の連れに泣きついた。

「行きたすぎて自分で自分の背を押せない。どうか俺に『行くな』と言霊をぶつけてはくれまいか」

行かないでほしい。

よし行かない。

 こうして、私の机の中の『行けなかったイベントコレクション』が増えてしまったのであった。これは去年の四月から増え続けている。慰めていいよ。

 

  ◆◆◆

  

  兎に角私は音楽が分からぬ。義務教育であったリコーダーと暫し習っていたピアノをそこそこ、あとはオカリナとウクレレアコーディオンを弄ってみようとした時期があったが、皆目何も上達するに至らなかった。半音抜きの単一の音の絶対音感くらいしかなく、そしてこんなものは道ゆく車のクラクションを指差し『今の音“ラ”やんな!?』とすっとこどっこいなボケ目的で指摘するタイミングでしか用がない。コードという概念も分からぬ。時々有名なアニソンなどをピアノ弾きのユーチューバーが「この曲のコード進行が凄い」と評価しているが、この議論をするための同じ土俵に立つどころか、まず私には土俵そのものが見えぬ。

 メロスは音楽が分からぬ。メロスは本読みのオタクである。けれども『音楽を聴いた瞬間の直感』に関しては、最低限人並み程度には敏感であった。

 

 平沢氏の楽曲で初めて聞いたのはかの有名な一曲『パレード』だ。この曲は出だしから“異質”具合が凄まじく、しかし初心者をはじき出すどころか寧ろ一秒で取り込んでくるよう。イントロは複雑怪奇で、不協和音だらけではないかと思ったほど。鼻歌で歌ってみろと言われても無理である。恐らく自分と同じ元素で同じように構成されたヒラサワ脳で作り出されたのであろうなと予想しているが、一体全体どういう順序で曲の完成まで至るのだろうか。単純なワンフレーズを思いついてから、後から層状に音を追加していったのか? 初っ端の発想でこんな分厚い音が無から生まれているのか? 分からない……。私の葬儀で流すなら断然何より平沢進がいいのだが、私はまだ葬儀で平沢進が流されるに値する人間たりえぬ。そこが非常に悔しいところである。因みに『パレード』だけは流さないでほしい。斎場に百鬼夜行が来そうだから。

 そして歌詞も凄まじい。蒙昧だの湿すだの、非常用漢字と難解な単語によるまさにオン“パレード”。すみません死にます。しかもストーリー性が全く見出せず言わば『混沌』そのものである。この楽曲が提供されたアニメ映画の、この楽曲が流れるシーンも混沌と混乱で困惑するようなカオスな場面だったのでバッチリマッチしている訳だが、この曲に限らず平沢氏が書く歌詞は大抵予想の斜め一層上をゆく。先で紹介したツイートのような語彙全開で彼は曲の歌詞を書くのだ。もう全ッ然分からん。分かる馬の骨はいるのか?作詞家は?言語学者は?人類は?…………。だがそれが途方もなくカッコいい

 本当に常人離れしたセンスで溢れているため、もしかするとほんの些細なバタフライエフェクトで彼がただの狂人として黙殺され消えゆく世界線もあったのではないだろうかとすら思っている。そしてそれは、平沢氏自身もお考えだったようだ。

susumuhirasawa.com

 氏が書いた文章で私が一番好きなものだ。何処でも推す。何度でも。今こうして一部の人間たちから熱狂的に、だが程々にステルスされたメジャーとして支持される平沢進氏そのものと共に、我々の知らぬ場所の何処かで、ほんの些細な影響で敢え無く散っていったのかもしれない天才の人間たちの影をふと垣間見て、私は時々虚しい気分となる。

 

 コロナ禍の中決行された、爆心地OH阪での平沢進のライブ。一日目の終わりに彼は『現実の整合性の悪い中お越しいただき……』と、一風変わったMCを行なっていた。

 遠征を断念した私だったが、しかし流石の平沢師匠はアーカイブ配信チケットも売ってくださっていた。素晴らしきインターネット社会、自宅で飲酒しながら寝間着でライブが見られるのである。

 ぶっちゃけ知らない曲も多かった。加えて『聴いたことあるけど曲名出てこない!』もあった。我ながらなんと情けないことか。が、1日目の最初に論理空軍という知っている曲のイントロで入ってきたのには非常に興奮した。あの場で聴ければどれだけよかったかと思うのと同時に、アーカイブ配信がなければネットで聴くことすら叶わなかったのかとも思った。

 此度のライブで初めて聴いた曲の中において、最も好きになったのは『遮眼大師』だ。無駄に長い謎の棒をライフル銃のように構えシャウトする、六十代後半の紳士がかっこよすぎて駄目だった。地声シャウトと裏声ともに本当に美しい。カラオケで歌いたいが、『周囲皆窮鼠、周囲皆窮鼠』と抑揚なく歌っていると居合わせる人間は全員馬の骨でないと流石にド滑りしそうだと思う。

 ライブの主役は衣装も重要であるが、此度のおじさんも非常によかった。銀に輝く白髪に、文字っぽい紋様が一部帯状に描かれた黒の詰襟、赤の正中線ライン、ゴツめのブーツ。カッコよすぎる。両脇で演奏をしていた二人組の面といい、平沢氏は彩度が極低な白黒に赤のアクセントが入っているのがお好きなのだと思われる。私も好きだから一緒だね……。この色合いのおじさんが蛍光グリーンのレーザーを文字通り指先でつま弾くのだ。幼い男児の如く喜ばないオタクがこの世に居ろうか。あまりに挙動がカッコ良すぎると一杯やりながらめっちゃ絶笑してしまった。

 驚いた奇行は、氏がステージ上で唐突に氷をぶちまけたこと。袖から水筒を持ってきて口元へ傾け、氷を大量にギター及び床へと大量にこぼしていたように見えたが、どうも有識者によると『星』のようだ。星とは? もしかしたら氷ではなく、水筒のような容器に入った透明な固体だったのかもしれない。いやそれは氷では? 二日目ではそれを床から拾って、無表情で客席へ投げていた。 やはり氷を投げていたのでは?

【追記】氏本人の配信『Back Space Pass』より、発光ビーズとの事。しかも「よければ舞台上で使ってください」と割と直前に渡され、当惑する氏は「どうしろっていうの(´・ω・`)」と言いながらも瓶に詰めて置いておいたところ、ライブ真っ最中に「これ歌詞と合わせたパフォーマンスができるのではないか。でかしたヒラサワ」と完全にアドリブでキラキラぶち撒けをやったそうな。

 

 アーカイブ映像を見る限り会場観客席には欠席も目立ち、全員が漏れなくマスクをし、曲の合間は拍手のみ。ゲーム音楽のオーケストラコンサートには何度か言ったことがあるが、あんな感じであった。

 残念ながら、そして当然ながら歓声などは全くなかった訳だ。動画に上がっているライブ映像を見ていると、やはりというか観客がキャーと歓声をあげているのが見られる。主に平沢氏が真顔で決めポーズをキメた時や、真顔で客へ「帰れー」と宣うた時など。馬骨は師匠の足に踏まれる生き物なのだ 今回の場合は、平沢氏が五メートルはあるかと思われるほど長い棒の先に、360度カメラ(恐らくRIC◯H社製の●HETAである)を取り付け前方客席に翳していた。先ほど言った『遮眼大師』の演目の時。おじさんにカメラで撮られていた前席観客ら、恐らく有料会員の人々は嬉しそうに棒の先っぽのレンズに手を振っていた。

youtu.be

 【追記】アーカイブ紹介動画が公式から出た!此処!此処の棒振り回しおじさんです。

 嗚呼〜心底羨ましい。私もおじさんに『誰屈した、誰屈した』と歌われながら珍妙な道具を頭上に翳されたかった。あと透明の固体を無表情で投げつけられたかった。中々デレまで長くて一向にアンコールしに出てこないおじさんに手が腫れるまで拍手したかった。

 

 ……とはいえ別に、これが平沢氏のライブの最後ということではない。次はフジロックに出るとのこと。また数多の日本のロックバンドたちに紛れて素人どもの目をくり抜きにゆくのだろうか。どっかの日程一日だけの一部だけっぽいので行くかどうかはのんびり後で決めよう。気が狂ったら参加するつもりである。

 

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 因みにこれはこの前描いた。

 以上。

 

  石澄香